あの日から28年 3人の軌跡

あの日から28年 3人の軌跡
今月17日で阪神・淡路大震災から28年になります。

娘の生きた証しを伝え続ける父親。

1万2000個のおにぎりで被災者の心を癒やした90代の女性。

街の歴史を絵に刻もうと活動する建築士。

あの日、震災を経験した人たちはこの28年をどのように歩んで来たのでしょうか。

娘の生きた証し 伝え続けて 上野政志さん

兵庫県佐用町に住む上野政志さん(75)。小学校の校長を務めるなど、長年教員をしていました。

今年、神戸市で行われる追悼行事で遺族代表のことばを述べることになっています。
上野さんは、震災で成人式を迎えたばかりの娘、志乃さん(当時20歳)を亡くしました。

志乃さんは当時、神戸大学で美術を学んでいました。
志乃さんが1人暮らしをしていた神戸市のアパートは激しい揺れで全壊。

上野さんは志乃さんが使っていた物や着ていた服など、一つでも多く見つけ出したいと連日、志乃さんが亡くなったアパートに足を運びました。

志乃さんが描いた絵本が物語るのは

そして、がれきの中からあるものを見つけます。志乃さんが大学の課題で描いた絵本です。

ページをめくると一匹の魚が、こいのぼりになり、家族と一緒に揺られる様子が描かれています。
上野政志さん
「最後みんなで穏やかな顔になって空を泳いでるというかね。家族というのは、平穏で平凡でもいいから、穏やかに過ごすのはとてもいいことだという思いを込めて作ってるんちゃうかな」

命の大切さを伝えていきたい

家族との何気ない日常の中に感じていた幸せ。

そんな志乃さんの思いを1人でも多くの人に伝え、生きた証しとして残していきたいと、上野さんはこの作品を書籍化しました。

作った絵本は、小学校や図書館に寄贈しているほか、上野さんの語り部の活動で震災を知らない子どもたちに命の大切さを伝えています。
上野政志さん
「上野志乃という娘がこの世におったという、こういう風にして広まっていくというのは私自身も娘は生きておるっていうね。そういう思いになるんです」
娘が生きた証しを刻み続けることで命の重みを伝えたい。

上野さんは、これからもこの絵本を通して命の大切さを伝える活動を続けます。

(神戸放送局 カメラマン 阿部季功)

心を癒やした1万2000個のおにぎり 藤木千皓さん

ことしで93歳になる藤木千皓さんは、今もボランティアを続けています。新型コロナに関する電話相談やウクライナ支援の募金活動など、地元の兵庫県丹波篠山市で、精力的に活動をしています。

ボランティアのきっかけは、震災でのある経験

長年のボランティア活動への敬意から地元で「先生」と呼ばれている藤木さん。その献身的な活動は、阪神・淡路大震災でのある経験が、きっかけになっています。

震災当日、藤木さんは丹波篠山市の自宅にいました。テレビで神戸が甚大な被害を受けていることを知り、直ちに地元の仲間に連絡しました。

おにぎりを届けましょう

地震が起きて1時間余り、藤木さんの呼びかけで地元の公民館にはおよそ10人が集まりました。そこで藤木さんは、「神戸の人たちはきっとおなかがすいている、みんなでおにぎりを作って届けましょう」と伝えました。

握ったおむすびは1万2000個

その日は、およそ300個のおにぎりを作り、生理用品などの必需品と一緒に避難所へ届けました。そして連日、仲間と一緒におにぎりを作り続けました。地震発生から40日間、みんなで握ったおむすびの数は1万2000個にもなったそうです。
被災地に届けた1万2000個のおにぎり。その発端は地域で培ったボランティア精神にありました。

震災当時、藤木さんは行政の見守り活動の一環として、地域に暮らす1人暮らしのお年寄りにお弁当を届けていました。しかし、なかには藤木さんの訪問を快く思わないお年寄りもいたそうです。孤立しがちなお年寄りに会いにいくと、門前払いをされることもありましたが、何度も通ううちにお弁当を食べてもらえるようになりました。
その経験から、藤木さんは食べることが人の心を癒やすと考えるようになったといいます。あの日、テレビで見た神戸の惨状から藤木さんは、今後多くの人々がつらい生活を強いられるのではと感じました。

人の心を癒やしたい 今も変わらぬ思い

そして、みずからができることは食べ物を届けて、ひとときでも心を癒やしてもらうことだと考え、おにぎりを作り続けたのです。

ことしの3月で藤木さんは93歳になります。当時届けたおにぎりを食べた人たちの笑顔が、藤木さんを支えています。人の心を癒やしたいという思いは今も変わっていません。藤木さんが口癖のように話す言葉があります。
「ボランティアはしてあげるのではなく、させてもらうもの」

藤木さんの心に、今も多くの人たちが癒やされているのかもしれません。

(大阪放送局 カメラマン 塩見大輔)

街の歴史を絵に刻む 曹※弘利(チョ・ホンリ)さん

神戸市出身で、建築士の曹※弘利(チョ・ホンリ)さん。やさしいタッチの水彩画で、地元・神戸の街を描くことをライフワークにしています。絵を描き始めるきっかけは、28年前の阪神・淡路大震災でした。

※チョ=曹の縦棒が1本

ただ見つめることしか出来なかった

震災前夜、帰りが遅くなった曹さんは、神戸市須磨区の事務所に泊まっていたところ震災に遭いました。午前5時46分、大きな揺れに突き上げられ、曹さんの体は宙に浮くほどでした。揺れがおさまって窓の外を見ると、街に大きな火の手があがっているのが見えたといいます。生まれ育ったふるさとの街が火にのまれていくのを、曹さんはただ見つめることしかできませんでした。

曹弘利さん
「自分のふるさとを一瞬で奪われた思いだった」
震災が起こるまで、あるのが当たり前だと思っていたふるさとの景色。写真や絵など、記録に残すことはしてきませんでした。当時の思いを、曹さんは「ふるさとをなくすということは、自分の足元をなくすようだった」と振り返ります。

もう、後悔しないように

震災後も各地で災害が相次ぎ、そのたびに胸を痛めた曹さん。自分の経験を生かせればと、新潟県中越地震や東日本大震災などの被災地へボランティアにかけつけました。訪れた先で目にしたのは、災害で景色が変わってしまった街並み。かつての神戸と重なりました。いまある景色も、残しておかないとまた変わってしまうかもしれない。

もう、後悔しないように。

曹さんは、仕事柄得意だったスケッチで、神戸の景色を描き始めました。描くのは、地域で親しまれる店や、そこに集まる人たち。これまでに100枚を超える絵を描いてきました。
曹さんの絵をきっかけに、地域の人たちも笑顔で話が弾みます。
いまも少しずつ、景色が変わりゆく街。「記憶のための記録」として、曹さんはこれからもふるさとを描き続けます。

(神戸放送局 カメラマン 遠藤夏帆)
神戸放送局 カメラマン
阿部季功

1999年より神戸局勤務
阪神・淡路大震災では、西宮で被災。震災取材を通して、出会った人たちとの縁を大切にしています
大阪放送局 カメラマン
塩見大輔
2001年入局
ニュースカメラマンとして主にニュースやドキュメンタリー番組の取材・撮影を担当。去年はウクライナに入り現地取材も行った
神戸放送局 カメラマン
遠藤夏帆
2017年入局
静岡局を経て2019年から現所属。防災・減災報道を志してニュースカメラマンに