あの時の後悔から28年

あの時の後悔から28年
k10013945391_202301122206_202301122207.mp4
今月17日で阪神・淡路大震災から28年になります。

心に傷を負った子どもや保護者に寄り添い、震災の教訓を伝えている小学校の教員がいます。

自分も被災し、目の前の命を救えなかったことを悔やみながら子どもたちと向き合ってきました。

今取り組んでいるのは、震災の経験を語れずに大人になった人たちに声をかけ、震災の教材を一緒に作ること。

教員が歩んだ日々と、今を追いました。

(大阪放送局 カメラマン 釋河野公彦)

風化への危機感

兵庫県の芦屋市立打出浜小学校の教員の永田守さん(55)。

取材を始めた直後に話してくれたのは、震災の風化への危機感でした。
永田守さん
「震災から28年経って、もう震災の授業はやらなくてもいいんじゃないかっていう周りの雰囲気を感じることもあるんですけど、いやいやいやって思うんです」

目の前で助けられなかった命

永田さんが被災したのは教員6年目のときでした。

当時、アパートの2階に住んでいて助かりました。

しかし、「まるで巨大な怪獣が箱を激しく揺らしたようだった」と語る大きな揺れで、1階部分は押しつぶされていました。

生き埋めになっている住民がいることに気がついた永田さんは、近所の人とともに素手で助け出そうとします。
永田守さん
「掘っていくと足が出てきて、触ったらまだ温かかったんですよね。これは助けることができると思って、腰・肩となんとか出すことができたんです。でも、よく見てみると彼の首の上に大きな梁がのっていて、それ以上出すことができなかった。私はただ彼が、彼の体がだんだん冷たくなるのを見守ることしかできませんでした」

生きていることへの罪悪感

本当に助けることはできなかったのか。

自分と亡くなった人との生死の境は何なのか。

自分は生き続けていい存在なのか。


当時付き合っていて妻となった秀子さんとドライブに行ったとき、「ここでハンドルを切って事故を起こして死んでしまったら楽になるんかな」とつぶやいてしまうほど前を向けずにいました。

児童8人 保護者6人が亡くなった小学校への赴任

震災から5年後。

児童8人、保護者6人が亡くなった芦屋市立精道小学校に赴任します。亡くなった児童や保護者に言葉を送る追悼式を毎年行っていました。

涙ながらに向き合う児童や教員、そして遺族に出会い、頭を殴られたような衝撃を受けたといいます。

永田さんは、自分が逃げていた震災と向き合う覚悟を決めました。

『人生は生きるに値する』と信じて

2008年1月17日。

震災13年、精道小学校の追悼式に出席した永田さんはある遺族の言葉にハッとさせられます。

それは2人の子どもを亡くした米津勝之さんの追悼文の最後にあった「人生というものは生きるに値する」という言葉でした。
永田守さん
「私よりももっとつらい状況で我が子を失った人がこんなにも生きることを肯定してくれて、何よりの励みになったんです」
生きる価値を見失い、何度も教員をやめようと思った永田さんでしたが、以来、この言葉を心の支えに教員を続けてきました。

語り始めた元児童たち

永田さんは、これまで経験した震災を語ることで再び歩み始める子どもを数多く見てきました。

一方で、震災の経験を語れないまま大人になった人もいました。

そんな人たちが被災体験を語ることで、前を向くきっかけをつかんでほしいと永田さんは願っていました。
永田さんが現在赴任している打出浜小学校の卒業生、松村彩子さん(39)。

小学5年生の時、仲がよかった同級生の中島祥子さんを亡くしました。
打出浜小学校には中島祥子さんを追悼する「しょうこさんの木」がありますが、松村さんは震災のよくとしに植樹して以来、気持ちの整理がついておらず、一度も訪れることができていません。

被災体験を元に一緒に教材を作らないかと永田さんに声をかけられ、松村さんは挿絵と文章を書くことにしました。
しょうこさんのひょうきんな性格。

突然の大きな揺れで街が一変し、恐怖したこと。

しょうこさんの遺影を避難所で見て、信じられなかったこと。

しょうこさんの死をクラスの友だちと語り合うことができかなったこと。

身を切る思いでしょうこさんのことを思い出し、2週間かけて書きあげました。

児童の受け止めは…

授業を通して児童たちにどう伝わるのか、松村さんは不安げな表情を見せていました。

そんな気持ちをよそに教材を読み込んだ子どもたちが次々と発表していきます。
女子児童
「松村さんは、しょうこさんのことを考えたくないと言っていましたが、私も友だちがそんなふうに死んでしまったら、私も何も考えたくなくなるんじゃないかと思いました。この当たり前の毎日がずっと続くことを祈ります」
男子児童
「この本は何を僕たちに与えているのだろうかと考えました。僕なりの答えは松村さんやしょうこさん、この本から感じ取れるすべての人の思いをつなぐことだと思います」
松村彩子さん
「当時のことは忘れてはいけないけれど、思い出すのがとてもつらいです。でも、子どもたちが私の話を読んで、命の大切さを感じたり、災害に備える気持ちにつながればと思って取り組みました。きょう子どもたちの発表を聞いて、伝わっているって感じて本当にうれしかったです」
松村さんは、授業に参加したこの日も「しょうこさんの木」を訪れることができず、その後も訪れることができていません。

教材の最後には「いつかはしょうこさんの木を見られることを祈りながら」と書き記されていました。

子どもたちは『希望の星』

永田さんは、被災した当初は想像できなかった自分の今の状況をかみしめながら、子どもたちと向き合っています。
永田守さん
「子どもたちは希望の存在です。次の世代の子どもたちも、またこの教材で学んで、その子らがさらに希望の星になってくれたらうれしいです」
傷つきながらも、支えあうことで前を向いてきた永田さん。

最近、ようやく自分を認められるようになってきたといいます。

インタビューの最後に「子どもたちのためって言っているけど、案外自分のためにやってるのかもしれない」と、かみしめるように語ってくれました。
大阪放送局 カメラマン
釋河野 公彦
2002年入局
ニュースカメラマンとして事件事故災害を撮影するほか、NHKスペシャルなどドキュメンタリーを取材撮影