渡辺京二さんと長年、交流を続けてきた作家の米本浩二さんは、石牟礼道子さんとの2人の作品が水俣病の患者救済への道を開いたと言えるのではないかと指摘しています。
米本さんは「渡辺さんは、石牟礼さんの書いたものをより分かりやすく解説して人々に届ける役割を担っていて、水俣病をめぐる闘争では、患者さんをことばで支え支持を得ていた。闘争の一線を退いてからも石牟礼さんの、ほぼすべての作品の清書を行うなどサポートを続けてきた。また、自分の著作でも、教科書に載っていない庶民の目から見た歴史『小さき者』という言い方をしていたが『小さき者』の視点からの歴史を書き続けていて、渡辺さん自身も石牟礼さんから学んだことが多かったのではないか」と話していました。
そのうえで「お元気だったので亡くなったと聞いて本当にびっくりしている。渡辺さんの水俣病の患者さんを助けたいという思いは強かった。水俣病の歴史がだんだん風化しているように思うが、渡辺さんや石牟礼さんの著作を通じて歴史をたどることで、今も続く患者さんの苦しみを理解できると思うので、著作を読んでもらいたい」と話していました。
評論家 渡辺京二さん死去 92歳 評論「逝きし世の面影」など
代表作「逝きし世の面影」をはじめ、日本の近代を問う多くの著作を残し、4年前に亡くなった作家の石牟礼道子さんを支えた評論家の渡辺京二さんが25日、熊本市の自宅で老衰のため亡くなりました。92歳でした。
渡辺京二さんは、京都府で生まれ東京の大学を卒業後、両親の出身地だった熊本で「公害の原点」と言われる水俣病の患者たちが起こした裁判などの支援に関わりました。
文芸雑誌を創刊して編集も行っていた渡辺さんは、その活動の中で4年前に亡くなった作家の石牟礼道子さんと出会い、患者や家族の苦しみを描いた石牟礼さんの代表作「苦海浄土」の編集に携わるなど、半世紀にわたって、執筆活動を支えました。
渡辺さんは、幕末から明治にかけて生きた日本人の姿を、当時、日本を訪れた膨大な外国人の記録をもとに記した代表作「逝きし世の面影」をはじめ日本の近代を問う多くの著作を残しました。
親族によりますと、渡辺さんは25日、熊本市の自宅で老衰のため亡くなりました。
92歳でした。