防衛力強化の最前線「国境の島」でいま起きていること

防衛力強化の最前線「国境の島」でいま起きていること
初めて与那国島を訪れたのは、ことし4月のことだった。

それ以来、島にはさまざまな変化が矢継ぎ早に訪れ、私たちはそのつど、取材に入った。

東京から距離にして2000キロ。台湾からおよそ110キロ。「国境の島」の9か月を記録した。

(沖縄放送局記者 小手森千紗)

コールセンターと自衛隊

那覇空港からプロペラ機で南西へ1時間余り。

石垣島や西表島の上空を通過して程なくすると海岸沿いに切り立った崖が続く、険しい地形の島が見えてくる。
日本最西端の島、与那国島。人口は約1700人。

車を走らせれば1時間ほどで1周できる小さな島だが、海、山、草原を歩く馬など、多様な景観が訪れる人を楽しませる。離島の診療所を描いた人気ドラマ・映画の舞台としても有名だ。

4月に訪れたのは、島にコールセンターが開設されるというトピックを取材するためだった。島に唯一あるリゾートホテルは新型コロナの影響で休業していて、その建物をコールセンターとして活用するという、珍しい試みだった。
コールセンターの設置はスタッフとして働く若者たちの移住を促進し、人口が増えるきっかけになるのではないか。

そんな期待とともに島の人たちが口にしたのが、不思議なことに「自衛隊」という言葉だった。

過疎化を食い止めるため

開所式に出席した与那国町の糸数健一町長は胸を張った。
与那国町 糸数健一町長
「私が与那国に必要だと思っていたものは2つ。1つは自衛隊。もう1つは光ファイバー。陸自の駐屯地もできたし、光ファイバーのおかげでコールセンターもできて、感慨深い」
さらにマイクを向けた飲食店店員も。
「コールセンターができれば人口が増えるので歓迎しています。今後、自衛隊員も増えると聞いているので、祭とかのメンバーが増えて楽しくなると思う」
与那国島では「コールセンター」と「自衛隊」が同じ文脈で語られていた。調べてみると、それには理由があった。

“島を二分した”議論

与那国島はかつて「けん銃2丁で守る島」とも形容された。駐在所に配属された2人の警察官のけん銃だけが、島を守る武器だという意味だ。

島に自衛隊の配置計画が持ち上がったのは2000年代後半のこと。
住民は誘致賛成派と反対派に分かれ“島を二分する”議論が起きた。

このとき、賛成派は「自衛隊は過疎化を食い止めるための手段」だと主張した。恒常的な人口減少に悩まされてきた島の人たちにとって、当時、自衛隊の誘致は地域振興の起爆剤と位置づけられた。

2015年の住民投票では中学生以上の未成年や、永住外国人5人にも投票資格が与えられ、結果は賛成632票 反対445票で賛成が反対を上回った。
翌年、島に駐屯地が開設されると、自衛隊は着実に島に根を下ろしていった。島の小学校には隊員の子どもたちが通うようになった。

地域の催事も活気づき、時の経過とともに自衛隊をめぐる議論は表立って見られなくなっていった。

漁業者たちの苦悩

コールセンターの取材から4か月がたった8月2日。

台湾の空港にアメリカのペロシ下院議長が降り立ったその夜、那覇の自宅でツイッターを眺めていると中国メディアのアカウントから1枚の地図の画像が投稿された。

中国が台湾を取り囲むように軍事演習を行うという。地図を拡大すると、与那国島を南北から挟むように2つの訓練区域が設定されていた。
私は急きょ、島に出張することになった。

島に入ったのは3日の午後。演習が始まる前日だ。まず漁協に向かうと、嵩西茂則組合長がファックス用紙を手に頭を抱えていた。
海上保安庁からたったいま届いたという資料によると、予定されているのは射撃訓練で、場所は与那国島の北西64キロと波照間島の南西60キロの2つの区域。

うち1つは、ふだん漁船が操業している場所から30キロほどしか離れていない。
嵩西茂則組合長
「漁ができないのは死活問題だが、どの程度危険なのかも計り知れない。どのタイミングで漁に出るのをやめるよう指示すればいいのか分からない」
嵩西組合長はこの日、漁の自粛を呼びかけなかった。

町にも情報がない

町役場では総務課の職員たちがネットニュースで情報収集にあたっていた。
夕方になっても国や県からの情報提供はなかった。糸数町長もいらだちを隠せない様子だった。
与那国町 糸数健一町長
「国や県から情報が何もなくどういった対応をしなさいという指示もない。不安をあおるようなことはあまり言いたくないが、演習の延長線上に有事があるというのに」
“台湾有事”のリスクが取り沙汰されるなか、これまで糸数町長のもとには海外メディアを含む40社以上が取材に訪れたという。最前線になりうる「国境の島」で、住民の安全を預かる町長の危機感は大きい。

本物の「有事」でも同じことが起きるのではないか――漁協の組合長と町長がともに抱いていたのは、島が情報面で置き去りにされることへの懸念だった。

4日、演習が始まったことを中国メディアの報道で知る。

島にいるぶんには、爆発音が聞こえるわけでも、煙が上がるわけでもない。いつもと変わらない風景だった。

弾道ミサイル6発が撃ち込まれた

事態は夜に動いた。

午後8時半すぎ、日本のEEZ=排他的経済水域内に中国の弾道ミサイルが着弾したという情報が飛び込んできたのだ。さらにEEZ外ではあるが、島からおよそ80キロの地点に落ちたものも。
島の周辺に撃ち込まれたミサイルは6発にのぼった。

しかも発表された時点で、着弾からおよそ5時間が経過していた。
夜が明けて開かれた漁協の臨時の理事会では、参加者から怒りとも不安とも取れる発言が続いた。
「訓練海域に艦船を出すだけかと思っていたが、海域に着弾させる演習になっている」
「トラブルを起こしたらミサイルが島に落ちてくる可能性もあるのではないか」
「収入の補償は漁協ではできない。漁はあくまで『自粛』とするほかないのではないか」
これまでも中国のものとみられる艦船が目撃されることはあった。それでも大陸から、台湾を超えてミサイルが飛んできたことに経験豊富な漁業者たちは動揺していた。

ある日突然、自分たちの職場が危険にさらされるという事態。島では、海の緊張の高まりが人々の生活に直結する。

7日、4日間にわたった軍事演習は終了した。その後、ミサイルが飛んでくることはなく、漁もふだんどおりに戻った。

島にアメリカ軍がやってきた

秋に入ると、島の動きは慌ただしくなった。

10月下旬、日米合同委員会はアメリカ軍が与那国駐屯地を使うことを承認した。日米共同統合演習「キーンソード」の一環だという。

米軍関係者から「軍が与那国島で訓練をしたがっている」という話は聞いていた。それでも、こんなに早く表面化するとは思っていなかった。
11月上旬からの訓練ではアメリカの海兵隊員およそ40人が陸自のヘリコプターで駐屯地に降り立ち、指揮所を設営する演習を行った。
さらに別の日には、自衛隊の機動戦闘車が公道を走行した。ふだんは軽自動車ばかりが走っている商店の前の道を、重火器を備えた軍事車両が進んだ。

ほんの数年前まで「けん銃2丁」だった島で、いずれも初めてのことだ。

住民が感じていた動揺

話を聞くことができた住民の多くは戸惑いをあらわにした。

複数からは「自衛隊誘致に賛成していた人たちでさえも、あまりに速い状況の変化に動揺している」という声が聞かれた。

別の住民は「私は駐屯地ができるとき、反対派の人に、『アメリカー(米軍)来るよりよっぽどマシだよ』と言っていた。まさかこんなことになるとは思わなかった」と話した。

日米の訓練の直後にあたる11月末には、弾道ミサイルを想定した初めての避難訓練も予定されていた。

ところが町の担当者の話では、参加者が思うように集まらない。一連の演習が行われたことで、住民たちが引いてしまったのではという。

一方、11月は、与那国島では島の存続と繁栄を祈願する祭「マチリ」が行われる時期でもあった。町の担当者は、神聖な祭事の期間中に「ミサイル想定の訓練」をおおっぴらに周知することは、はばかられたと話す。

結局、訓練の規模は当初の計画より縮小され、一部の地区の20人余りが参加することとなった。

ミサイルからどう身を守るのか

住民たちは当日、「ミサイルからどう身を守るのか」についてレクチャーを受け、実際にサイレンが鳴ると走って公民館に逃げ込み、頭を両手で抱えてかがみ込んだ。
参加者たちの多くは「いざというときの行動を確認できた」と語った。

一方で、その意味に疑問を持つ住民も少なくなかった。
「例えば台風なら備える時間があるが、ミサイルは強烈な台風が10分でやってくるようなもので、その時どう対処するかといっても無理だ」
「訓練に反対とか賛成という話ではないが、こんなことをいまさらやっても町民を守ることはできないのではないか」
島の周辺にミサイルが飛んできたのはわずか数か月前のことだ。

島にシェルターはない。いざミサイルが飛んできたとき、身を守れるのか。

住民にとって切実な問いだ。

島民に共通する願い

島で起きている変化を住民はどう見ているのか。

私たちは肯定的な立場の人、否定的な立場の人、それぞれからじっくり話を聞いた。

肯定派として取材したのが、漁業者の大宜見浩利さんだ。自衛隊駐屯地の誘致を進めてきた立場でもある大宜見さんが口にしたのは、島が再び二分されてしまうのではないかという危惧だった。
漁業者 大宜見浩利さん
「国に言いたいのは、島民に情報を説明してほしいということ。戦闘車を公道走らせるにしても、説明してほしい。右を向いても左を向いても知り合いしかいないような島。自衛隊誘致のときのように、島が二分されることはあってほしくない。島民が安心できる島になってほしい」
そのうえで、防衛力強化に不安を募らせる人たちの気持ちも理解できると話す。
漁業者 大宜見浩利さん
「沖縄戦では多くの人が亡くなったという現実がある。『与那国に駐屯地があるから、日米訓練があるから戦争が起きるのではないか』という声に対して、私も不安はあります。だけど、自衛隊がいたからこそ、日本は抑止力を保ってきたし、アメリカ軍もいるからこそ、戦争に至らずに平和に生活をやっているのではないかと思っています」
一方、否定的な立場として取材した、元教師の池間龍三さん。戦争を回避するための方策は十分に議論されていないと話す。
元教師 池間龍三さん
「防衛力が不要だとは思っていません。ただ、緊張を高めて戦争リスクがどんどん高まるのに対して、リスクを高めないようにする動きが見えてこないんです。防衛力を強化すれば国が守られるって言うけど、それで緊張が高まれば、そこにいる住民は出ていかなければならなくなる。矛盾です。そういうことも含めて、議論していく必要があると思っています」
池間さんは「平和を望む」という点では島民全員が同じ立場だと強調した。
元教師 池間龍三さん
「目指すところはみんな同じと思うんですよね。歩み方は違っているかもしれないけど、やっぱり誰だって戦争はしたくないというところは共通している。その共通したとこに立って、みんながそれぞれの知恵を出し合っていくのが大事だと思う」
振り返ると、島では声を大にした「賛成」とか「反対」はなかなか聞かれない。

目の前に具体的な脅威を感じながらも、小さな島のなかで対立するのでなく、一致できる点を探るべきだと語る住民たちの思いに、背筋が伸びる思いがした。

変わる島の風景

取材を終えた12月13日。

与那国空港に到着すると、ちょうど自衛隊の輸送ヘリが離陸するところだった。この日まで行われていた日米合同演習「ヤマサクラ」に参加していた自衛隊員たちが乗っているのだという。
空港の出発ロビーでは、アメリカ軍関係者とみられる外国人男性が自衛隊員に見送られていた。

12月16日、政府は安全保障に関する3つの文書を閣議決定した。沖縄関連では、那覇市に司令部がある陸上自衛隊の第15旅団を増強して「師団」に改編することや、宮古島や石垣島(2023年に駐屯地開設予定)の部隊に敵を攻撃するミサイルを配備することなどが盛り込まれている。

与那国町は、独自に準備を進めている。議会では、緊張が高まった際、島外に避難した人の生活支援に充てることも想定した基金を設置する条例が制定された。災害と同様、有事を実際に起こりうるものと位置づけた備えが始まっているのだ。

この9か月、私は与那国島で着実に進む変化を目の当たりにした。

そのスピードはさらに加速するのだろうか。
沖縄放送局記者
小手森千紗
2017年入局。岐阜放送局を経て2020年9月から現所属
主に経済やアメリカ軍の取材担当