“音のない世界” 世田谷代田駅から考える

“音のない世界” 世田谷代田駅から考える
東京・世田谷区のとある駅。

特急や急行は止まらず、各駅停車のみ利用できるこの駅で降りる人が急増しています。

いったい何が起きているのでしょうか?

「手話の勉強を始めました」

小田急線の世田谷代田駅。

周りは住宅街が多く、2021年度の乗降客は小田急線に70ある駅のうち63番目と静かな場所でした。

ところが11月の乗降客は、9月と比べて22.7%増加。

実はこの駅、民放のドラマで、主人公の女性と、病気で聴力を失った元恋人の男性が久しぶりに再会した場面のロケ地です。
取材で訪れた12月19日は1時間半で30組以上が、改札やベンチで記念撮影していました。

若い女性が目立ちますが、親子連れなど幅広い世代が訪れていました。

話を聞いてみると…
23歳女性
「親が片耳が少し聞こえにくくて、よけいに意識して見てしまって。ふだんは親とのコミュニケーションに苦労することはあまりないけど、聞こえることは当たり前じゃないんだなって改めて感じさせられました」
中には、みずから手話を始めたという人もいました。
31歳女性
「接客業をしていて耳が聞こえない方がよく来ます。筆談でいいと言われやり取りしていましたが、ことば、コミュニケーションの大事さに改めて気付き、手話を勉強し始めました」
それぞれに思いをめぐらせていることがうかがえます。

「お互いの違いは気にしない」

2年前から、家族の日常をYouTubeで配信している「ゆうこ」さんと「ととちゃん」さんです。

夫は耳が聞こえず、夫婦のコミュニケーションは手話などで行っています。
同じ会社に勤めたことがきっかけで出会い、結婚した2人。

このところ、交際期間中にどんなことを考えていたかなど、改めて話し合うことが増えたといいます。

感想をYouTubeに載せると「結婚への不安」を語った投稿は90万回以上再生されるなど、大きな反響がありました。

お2人のこれまでを尋ねると…
「恋愛をして嫌なことを言ってしまったり、ネガティブな感情になるのは障害のある・ないで変わりはありません。パートナーと一緒にいること以上に大事なものなんてない!という気持ちがあったから、お互いの『違い』を気にしないようになったと思います」

「フィクションではありません」

「聴覚障害者は決してフィクションではありません」

そう伝えてくれたのは、生まれた時から難聴で、音のない日々の暮らしをエッセイ漫画でつづっている「うささ」さんです。

以前、記者が取材した際に、紹介してくれた作品には、音がわずかにしか聞こえない実情が描かれていました。
「補聴器を通じて音を聞くが、それが何の音でどこからの音かなんて言っているのか知ることはできない」(漫画より)
うさささんに改めて話を聞いてみると…
うさささん
「ドラマで『補聴器は万能じゃない』というセリフが出てきたのですが、本当にそのとおりだと思いました。私自身、補聴器をつければ聞こえる人と同じだという誤解を受けることが本当に多いのです。中には耳が聞こえないことを伝えたとたん、立ち上がり私の真横に立ち、耳元で大声で話す方もいました。補聴器があるならクリアに聞こえるはずだと勘違いされてしまったのです」
うさささんにも今回、発見があったそうです。

生まれた時は聞こえていたのに、病気などの理由で耳が聞こえなくなった「中途失聴者」について、これまで深く考えたことはなかったといいます。
「音のある世界を知っていたからこそ、いろいろと受け入れ難いものがあるんだというのが驚きでした。これまで出会ったろう者の方に『中途失聴者ですか?生まれた時からですか?』と尋ねることはなかったので、私自身も中途失聴者のことを知るよいきっかけにもなっています」

「変わったことが大きすぎる」

中途失聴者の方にも話をうかがいました。

10代のときに耳が聞こえづらくなり、今はほとんど聞こえない、ぽにょさんです。
耳が聞こえなくなってから、変わったことの大きさにがく然としたといいます。
「舞台や映画を見に行くとき、事前に問い合わせをして、配慮してもらえないと諦めるしかない。病院で、手話通訳なしでは診られないと断られたこともあります。前の自分なら断られていないはずなのにと、どうしても過去と比べてしまいます」
人とのコミュニケーションの取り方も変わってしまったといいます。
「見た目は変わらなくても、以前のノリで話すことはできません。つきあいの浅い人であればサラッとコミュニケーションが終わるものの、つきあいが深い人ほど話したい関わりたいものです。でも、コミュニケーションがうまくいかなかったり、音声認識や口の形を読むだけではただAIが話しているように感じ、溝を感じるようになりました」
「歩ける、動ける、ただ聞こえないだけと思われがちな上、過去に聞こえた経験・記憶がしっかりとあるから問題ないと思われがちな中途失聴ですが、精神面の変化はとてもとても大きいです。『聞こえる』から『聞こえない』のコミュニケーションの変化は説明できないほど大きな変化です」

「声でしゃべらないの、なんで?」

ドラマの制作スタッフにも話を聞いてみると…
フジテレビ ドラマ「silent」村瀬健プロデューサ-
「僕たちは本当の意味で多様性と向き合えているんだろうか?実際に多くの方とお会いしてお話を聞いていくうちに、聴者との違いはもちろんのこと、ろう者と中途失聴者の間にも大きな違いがあることを知りました」
手話指導で協力したという中嶋元美さんにも取材を申し込みました。

中嶋さんは中学生のころに感音性難聴であることが分かり、高校1年生のころに完全に聞こえなくなりました。

それまでは補聴器を付けて音は聞こえましたが、言葉としてはっきり分かることが少なく、いつも周りに合わせて笑ったり、なにを言われてるかわからないのにうなずいたり、もう1回言ってほしいと言えなかったり。

相手の会話がわからないので、自分の意見を持つことも少なかったそうです。

『聞こえるわけでもなく聞こえないわけでもない』という立場に苦しんだと言います。

中途失聴者となってからはたびたび、こんなことばを投げかけられました。

「前は聞こえてたならしゃべれるよね?」
「声で話してほしい」
「声で話してくれないから心開いてないの?」

そんな中嶋さんが自分の言葉として受け入れたのが手話でした。
中嶋元美さん
「手話をする自分が想像できなくて受け入れられなかったこともありましたが、実際、ろうの方の手話を見た時に、目に見えるという言葉にすごく感動したのを今でも覚えています。私が声での会話にこだわらないのは、自分らしく自分の言葉として言えるのが手話だからです」
一方で、中嶋さんは、これまでの経験を振り返りながら、率直な思いを伝えてくれました。
「すべての聴覚障害者が同じ生き方考え方とは思わないでほしいなと思います。聞こえない人はこうだ!とか、こう思うよね!とか、手話を使ったら優しさだとか思いやりだとか、そういう偏見で終わらせないで、もっと広い目で見てくれる人が増えるといいなと思います」

Q&Aで知る 聴覚障害者の現状は

聴覚障害をめぐる現状はどうなっているのか。データや当事者の声をもとにまとめました。

Q.聞こえにくさを感じている人は?

A.厚生労働省によると「聴覚・言語障害」の身体障害者手帳を持っている人は平成28年の時点で全国に34万1千人に上ると推計されています。

一方、聴覚障害の団体によると「聞こえにくさ」があって困っていても障害者手帳の基準にはあてはまらないもケースも少なくないほか、聴力の減退を知られたくないと考え、言いだすのをためらう当事者もいるということです。

Q.手話の広がりは?

A.手話を使いやすい環境作りを進めようと、手話を言語であると明確にする「手話言語条例」の制定が全国で進められてます。

全日本ろうあ連盟のまとめによると12月16日の時点の集計で、全国425の区市町村と34の都道府県で「手話言語条例」が制定されています。

Q.コミュニケーション手段はどんなものが?

A.東京都中途失聴・難聴者協会のメンバーによると、手話は習得が難しいので、実際には聞こえなくなった人が家族の口の動きや表情を読む「読話」を使って会話を成立させることが多いといいます。

また、スマホのアプリの活用のほか、「要約筆記者」に頼ることもあります。

「要約筆記」はパソコン画面にキーボードで入力するなどして内容を要約し、その場で文字にし伝える方法で、専門的な知識と技能を持った「要約筆記者」が行う福祉サービスです。

Q.コミュニケーションで大切なことは?

A. 東京都中途失聴・難聴者協会のメンバーによると、キーワードは「対等な関係性」と「心理的安全性」です。

中途失聴者の多くは「話せるのになんで聞こえないの?」と言われることに悩み、「聞こえているふり」をすることもあるそうです。

聞き取れなくても安心していられる信頼関係。ときには会話がなくても、一緒にいてくれる、「普通」に接してくれる、そういうことが一番ありがたいということもあるそうです。

お互いに思いをめぐらせ、コミュニケーションを取ることを諦めないですむ社会になってほしいと話していました。
(和歌山放送局記者 藤田真由香 ネットワーク報道部記者 石川由季・杉本宙矢・池田侑太郎)