俳優のあき竹城さん死去 75歳 映画やテレビドラマなどで活躍

数多くの映画やテレビドラマ、それにバラエティー番組などに出演し、温かみのある山形弁の語り口で親しまれた俳優のあき竹城さんが今月15日、大腸がんのため東京都内の病院で亡くなりました。75歳でした。

あきさんは山形県出身で、中学校を卒業したあと上京して映画やテレビに出演するようになり、1983年には今村昌平監督の映画「楢山節考」に出演し、その演技が高い評価を受けました。

テレビドラマへの出演も数多く、NHKでは連続テレビ小説「どんど晴れ」や大河ドラマ「天地人」などで味のある演技をみせていました。

また、テレビのバラエティー番組でも活躍し、温かみのある山形弁の語り口と明るく飾らない人柄がお茶の間でも親しまれました。

所属事務所によりますと、あきさんはおよそ2年前から大腸がんで闘病していましたが、「元気なあき竹城でごあいさつしたい」という本人の希望もあり、公表せずに治療を続けてきたということです。

あきさんはこの秋、病状が悪化し、今月15日、大腸がんのため東京都内の病院で亡くなりました。

75歳でした。

中学の同級生「優しくて繊細な人でした」

あき竹城さんの出身地、山形県米沢市の中学校時代の同級生は、「テレビでのイメージとは違い、優しくて繊細な人でした」と話し、あきさんをしのびました。

中学校時代にあきさんとクラスメートだった、米沢市の木村郁子さん(75)と佐藤豊子さん(75)は、中学校時代の写真を見ながら当時を振り返り、木村さんは「あきさんは声が大きく、熱心にダンススクールに通っていました。あきさんの家に遊びにいったときに、お母さんがたこやきを作ってくれたのがいちばんの思い出です」と語りました。

また木村さんは「『元気なあき竹城でごあいさつしたい』という本人の希望もあり、公表せずに治療を続けてきたことは、わからなくもありません。あきさんは本当は優しくて繊細で、気遣いができる人でした」と話し、あきさんをしのびました。