“出会いと学びあい” ウクライナからの大学生のいま

“出会いと学びあい” ウクライナからの大学生のいま
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻によって、日本の大学は400人を超えるウクライナの学生などを受け入れて学業や研究を継続できるよう支援しています。

その学生たちの現状を取材をすると、“学びあい”を通じて、ウクライナと日本の学生の双方にある変化が起きていました。

(おはよう日本 キャスター 井上二郎 / ディレクター 長野匠)

ウクライナから日本の大学に

都内にある東洋大学には12人のウクライナの学生が通っています。

そのうちの1人、ポリャチェンコ・アリナさん(20)はみんなに「アリ」と呼ばれていて、日本社会などについて学んでいます。
アリさんは16歳の時にウクライナで柔道を習い始めたことをきっかけに日本が好きになり、首都キーウの大学に進学して日本語を勉強していました。
そこで起きたのがロシアによるウクライナへの軍事侵攻でした。

アリさんはキーウを襲った爆撃を体験し、その日のうちに母と姉が暮らす別の町に避難しました。
アリさん
「爆発音は大きくて、本当に怖かったです。戦争があした終わったとしても、ロシア人について私の意見はもう変わることはありません。彼らがいま起きていることを当たり前だと思っているのなら、彼らについて考えたくないです。戦争は正当化できないものです」
避難生活が続く中、アリさんは、日本の大学がウクライナの学生を受け入れるという話を聞きました。授業料は免除され、住まいや生活費への支援もありました。

自分だけ安全な場所に避難してもよいのかとためらうアリさんに家族は「私たちのことは心配しないで。自分の人生を歩みなさい」と言葉をかけたと言います。
アリさん
「家族を安全でない場所に残したまま、自分だけ日本に行くのはつらかったです。それでも家族は、そういうチャンスは人生に2度とないかもしれないと本当に喜んで送り出してくれました」

支援した日本の学生は

外国人などに日本語を教える専門家を育てる、日本語教員養成プログラムを学んでいた東洋大学大学院の1年生、江東寧々さんは、ことし5月にアリさんが大学に来た時のことをよく覚えていました。
江東寧々さん
「ガチガチに緊張していて、不安そうだなと思いました。私たちは日本で特に身の危険を心配することなく暮らせているのに、違う国にいるだけで毎日危険があるというのはすごく怖いだろうと思うし、そういうことを考えると悲しくなりました」
その寧々さんはもともと、性格がおとなしく引っ込み思案だったことに加えて、コロナ禍で大学はオンライン授業が中心となって友人と会う機会が大幅に減ったことから、気持ちが沈む日々を過ごしていました。
「外にも出られないし友達にも会えないし、いろいろな要因で本当に気分が落ち込むことが多くなっていました。将来のことも、まぁいっか、もう何でもいいやって思うようにもなっていて…」
静かにかみしめるように語る寧々さん。しかし、アリさんの怒りや不安そうな様子を目の当たりにする中で、何かが変わったといいます。
「非人道的で、許されないことをされた国から来てくれて、そういう人たちが私の目の前にいるのに助けないなんてない。大きいことはできないけれど、小さいことでもいいからできるんだったらやろうと思ったんです」
寧々さんは、アリさんの勉強をサポートすることにしました。

授業の際にはペアを組んでともに学び、日本語をまだよく理解できないアリさんのために授業前の準備から手伝います。
アリさんは寧々さんの最初の印象をこう語ります。
アリさん
「初めて会ったときに一緒にチョコレートを食べようと持って来てくれました。私にとってそれは本当にいいことでした。最初から友達になれると思っていました」

休日も一緒に出かけるように

そんなアリさんの勉強を助けようと、寧々さんは日本の文化や生活を通して日本語を学び、日本のよさを知ってもらおうと考えました。

休みの日にもアリさんと一緒にいろいろなところに出かけました。

案内したのはアリさんがウクライナで経験したことのなかった回転寿司。食文化に興味があるアリさんは回転寿司にハマりました。「マグロ」や「エビ」が好物に。
それに、大好きだというカピバラを見に水族館などにも行きました。

「穏やかで優しいところが好き」だというカピバラに餌をあげて一緒に楽しみました。
江東寧々さん
「すごく面白くておちゃめなアリさんなので、とても私に刺激を与えてくれています。こんなに仲よくなるとは思っていませんでした。アリの両親は『日本でできることをしてきなさい』と思っているんじゃないかなと思っています。ウクライナにいて、日本に留学に来られなかった人たちの分もアリには日本の生活や文化を経験してもらおうと考えています」

“変わったね”と言われるように

寧々さんは、アリさんと出会ってから周囲の人に変わったと言われるようになったと言います。
「いちばん変わったねと言われるのは積極性です。ちょっとずつ変わったねとか、成長したねって言われて、確かにそうなのかなと思っています。逆に気付かせてもらっている感じです」
象徴的だったのはウクライナのゼレンスキー大統領の講演会です。2022年7月、ウクライナの学生を受け入れている大学などとオンラインで結んで開かれました。

寧々さんはみずから手を上げて、学生代表として大統領に質問をする大役を買ってでました。
「ウクライナ復興のために両国の若い研究者の卵に大統領が期待することを教えてください」
ゼレンスキー大統領
「友達になってオープンなコミュニケーションをする。それが、一番すばらしい勉強だと思います」
アリさんと出会い、多くの経験を重ねた寧々さんは、これまで見失っていた将来の目標が見えてきたといいます。
江東寧々さん
「日本語教師になって世界中で教えられるような先生になれたらいいなって思っています。というより、なりたいというのが今の目標です」

ウクライナで日本語を教えたい

アリさんの留学は2023年3月で終了し、ウクライナに帰る予定になっています。

アリさんがぜひ見てほしいと私たちに見せてくれたのは、祖国ウクライナから大切に持ってきた伝統衣装です。姉からもらったもので、青い色には平和の意味が込められています。
アリさんも、日本での経験から将来の目標を見つけたと言います。
アリさん
「ウクライナに戻って日本語の教師になります。そして、日本語の翻訳や通訳もしてみたいです。日本に来なかったらそのような夢は考えなかったです。それは本当です」

“お互いにやりとりしていくことが大事”

今月5日、アリさんは20歳の誕生日を迎えました。寧々さんからの誕生日プレゼントは、ふたりの大好きな漫画でした。

「いつの日か日本語で完璧に読めるようになって、また一緒に話をしようね」と思いを込めました。
ウクライナと日本。ロシアによる侵攻がなければ出会うことのなかった2人はいま、互いにかけがえのない「学びあい」を経験しています。
江東寧々さん
「出会ったきっかけになった出来事は『戦争』という皮肉なものです。けれども、本音を言えば、離れたくないと思うほどになっています。かなり離れている国どうしで、文化も違うから当たり前なんですけど、伝えたいことはちゃんと口に出さないといけないし、自分は『ここがわかっていなかったんだ』ということを確認しながらお互いにやりとりしていくことが大事かなと思っています」
アリさん
「私たちは生活と人生など、すべてが変わりました。そして、世界中の人々はそれぞれが、いろいろな世界に住んでいます。その違った世界に住む人どうしが出会ってお互いに思っていることを伝えます。そのことによって私たちの中で大切なことを見つけたり、人生の目標が定まったりするのだと思います」
ウクライナからきた400人以上の学生たち。それぞれが新たな出会いを経験したはずです。

“学びあい”を通して育んだ若者たちの友情が、やがて世界を包み込む大きな力になることを信じたいと思いました。
アナウンス室アナウンサー
井上二郎
1998年入局 正午ニュースなどを経て2022年からおはよう日本土日祝キャスター。侵攻後はウクライナ人やロシア人のリポートを制作
おはよう日本ディレクター
長野匠
2017年入局 山形局を経て2021年から現所属
これまでウクライナ情勢や教育などをテーマに取材