WEB特集

“ヒーローは助けに来ない” 南海トラフ地震 医師からの警告

「被災地で助けを呼んでも、ヒーローは来ません」

災害医療の第一人者は、みずからの研究結果をもとにこう訴えました。

南海トラフ地震が起きたとき、被災地で医師の不足が深刻になるというのです。

巨大地震で、私たちの命を救う病院は、医療はどうなるのか。

医師たちの警告です。

(社会部記者 宮原豪一/ 高知放送局記者 伊藤詩織 古川賢作)

大震災「医師が足りない」

2011年3月11日、東日本大震災のあと、救命救急医の阿南英明さんは東京・立川市の災害医療センターに詰めていました。

全国から東北の被災地に派遣する医療チームの調整の指揮をとるためです。

そのチームとは「DMAT=災害派遣医療チーム」。

医師や看護師などで構成され、災害時には48時間以内をめどに被災地に向かいます。災害医療の専門的な訓練を受けたチームです。
2011年3月 画面右で電話をしているのが阿南医師
調整は難航を極めました。全国から被災地に派遣できるのは1チーム4人程度の約340チーム。

南北数百キロに及ぶ被災地のどこにどれだけのチームを派遣すればいいのか。被災地の医療はひっ迫し、「もっと応援を出してくれ」と要請が相次ぎます。

一方、福島の原発事故の影響でチームを派遣する病院から「福島にスタッフは出せない」と言われることもありました。阿南さんは「前からも後ろからも弾が飛んでくるような状況だった」と振り返ります。
阿南英明 医師

被災地で見た現実

昼夜を問わず働き続け、病院から自宅に帰れたのは震災から9日後でした。

そして発災から2週間ほどたったころ、岩手県大船渡市で活動をする機会が来ました。
震災直後の岩手県大船渡市
見たこともない津波の被害に圧倒された阿南さん。「これが被災地なのか」と痛感する場面があったと言います。

それは地域の医師たちが「お前、生きていたのか!」と抱き合って喜び合う場面でした。

2週間も互いの生存確認をする余裕すらなく、診療に追われていた現実。被災地への外部からの支援の重要性を実感したと言います。
岩手県大船渡市で活動する阿南医師(画面右)
阿南英明医師
「支援が滞っている中での現場の医療というのは本当にきついんだなと思いましたし、この人たちのニーズにどう応えればよいのかと考えました。情報が途絶している現場では、こちらが想像力を働かせて本当に現場がほしいものを要請される前に提供していく必要があります。次の災害に向けて私たちは『被災地ではこんなにひどいことが起きる』というリアルなイメージを共有し、何ができるのかを事前に詰めておく必要があると思っています」

南海トラフ地震で医療は…

東日本大震災のあと、阿南医師は改めてDMATの体制の充実のため動き始めました。

今、阿南さんが最も危機感を強めているのが、南海トラフ地震です。最悪の場合、建物の倒壊や津波などによる死者は32万3000人、けが人は62万3000人にのぼると想定されています。
この未曽有の巨大災害が起きてしまったとき、被災地の医療はどうなるのか。

阿南医師らの研究グループはシミュレーションを行いました。調べたのは特に甚大な被害が想定される10県(静岡県、愛知県、三重県、和歌山県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、大分県、宮崎県)です。

どの県からどの県に医療チームが派遣されるかも仮定したうえで、被災地で必要な医療チームの数と、全国から派遣が可能な医療チームの数を試算しました。(医療チームは1チームあたり医師や看護師など4人で構成)

初の試算 必要数の3割余

医療チームの支援先は多岐にわたります。医療の指揮の拠点となる病院や県庁、建物が大きな被害を受けた病院などです。その数を算出した結果、必要とされる医療チームの数は1756チームにのぼりました。

これに対し、全国から陸路ですぐに派遣できるDMATの数は全国で600チームでした。必要なチーム数のわずか34%と大幅に不足する可能性があるのです。
南海トラフ地震が起きた場合、被災地で医療資源が圧倒的に足りなくなることが、初めて具体的な数値で明らかになりました。

県ごとの結果では、すべての県で50%を下回っていました。
さらに阿南さんは、実際はより深刻になる可能性があるといいます。

南海トラフ地震では、この10県以外でも大きな被害が想定され、予定どおり医師が派遣できない可能性があります。

さらに道路が寸断されて到着に時間がかかるため、活動できるチームはさらに少なくなると見られます。

「南海トラフは別格の災害」

この結果をもとに阿南さんが提言するのが、これまでの災害医療を変えることです。

これまでは患者を被災地の中から外へと運び出す「広域医療搬送」が柱とされてきました。

しかし、南海トラフ地震では「被災地の中での医療体制の強化」が必要だと言います。
阿南英明医師
「南海トラフ地震は、これまでの災害対策の延長線上で考えていては対応できないレベルの別格の災害です。困ったときに正義のヒーローが来て、助けてくれる。残念ながらそんなヒーローはいないんです。数万単位の入院患者のケアという問題もあり、外から支援が来て、患者さんを被災地外に移し、医療をやってくださいではすまないんです。被災地内でなんとか医療を継続するよう頑張っていくというふうに考え方を変えていかないといけない。いかにそのための体制を作るのか、今非常に求められている課題だと思います」

高知 “籠城”覚悟で備えも…

外からの支援が十分に見込めない中、病院の備えはどうなっているのか。深刻な被害が想定される高知市の病院を取材しました。

高知市の浦戸湾に面する地区にある潮江高橋病院です。
この病院は80の病床を抱えますが、津波により最大約3メートルの浸水も想定されています。

事務長の松崎博典さんが見せてくれたのがボートです。
この病院では患者と職員あわせて3日分の食料や飲料水などを備蓄しています。それでも足りなくなり、さらに浸水が長く続いた場合に備え、自分たちで物資を補給できるようにしているといいます。

また、医療機器に必要な自家発電設備についても現在は数時間しか稼働できません。

そうした中、来年度には設備を充実させ3日程度は稼働できるよう準備を進めています。少しでも“籠城”できる時間を延ばすための取り組みです。
対策を進める中、不安の一つがやはり「医師や看護師の不足」です。

夜間や休日、それに津波で周囲が浸水した場合、医師や看護師らが駆けつけられなくなる可能性もあるといいます。

外部からの支援も見通せない中、病院の医師や看護師でさえ十分に医療に関われるかわからないのです。
潮江高橋病院 松崎博典 事務長
「何よりも浸水する可能性が高いので、職員にも家庭や家族もありますし、本当に参集できるのか。発災後はけが人が来るなど通常とは違う状況も考えられるので、人手が不足している状況だとどこまで対応できるのかという不安がかなりあります」

87%の病院が「不安」

他の病院でも、医師や看護師の確保に不安を抱えている実態が見えてきました。

NHKは長期の浸水が想定され、入院病床がある高知市内の33の病院に先月から今月にかけてアンケートを行い、70%にあたる23の病院から回答を得ました。

その結果、救急医療人材の確保について「不安」「やや不安」と答えたのは20の病院、87%に上ったのです。

“専門外”の医師も救急学ぶ

医師などの不足が深刻な課題となる中、人材の底上げを目指す取り組みが始まっています。

「専門外」の医師や看護師にも、災害時の医療のスキルを身につけてもらうための研修です。

先月、ふだん救急医療などに関わらない医師や看護師など20人余りが参加して行われました。
この研修で学ぶのは治療の優先度を決める「トリアージ」です。
患者の症状に応じていち早く治療が必要な人を明らかにする手順を確認します。

さらに患者に応急処置を施して容体を安定化させる対応も確認しました。

南海トラフ地震でまさに「陸の孤島」となる高知で命を守れるかは、今いる医師や看護師一人ひとりがカギを握っているのです。
参加した看護師
「ふだんは一般病床でしか働いていませんが、実習形式で学ぶことができて勉強になりました。災害が発生したら、一看護師として被災者の役に立ちたいです」
講師のひとり 近森病院 井原則之 救急部長
「支援が来るまでの間は高知県の医療を展開できる力は限られるので、今ある力をいかに有効に活用するかという点に、考えるべきテーマは絞られてくると思います」

難局を乗り越えるには…

今回、南海トラフ地震の試算を行った医師の阿南英明さんも対策に動き始めています。

医療チームをどこからどこへ配置すれば最も効果的なのかを地震の発生パターンごとに検討し、初めての「DMAT初動派遣計画」を作成しようとしています。

道路データなどさまざまな要素を分析し、地震のとき、少しでも早くチームを被災地に派遣できるように準備を進めているのです。
阿南英明医師
「DMATの数が圧倒的に不足しているからと言って我々が被災地を見捨てることはありません。『必ず支援に行く』という思いを持って取り組んでいます。だからこそ私たちの手が届くまでの間、どうやったら少しでも長く被災地で頑張ることができるのか、家庭や地域、そして病院で準備できることは何なのか、一緒に考えてほしいと思います。ひとりひとりがその考え方で取り組めば、必ず大きな力となって難局を乗り越えることができるはずです」

私たちにできる備えは

南海トラフ地震という巨大災害に向けて何ができるのか。医療のひっ迫も踏まえたうえで、できる備えをまとめました。
被害を減らすために大切なのは、まずはこの現実を知り、着実に地震に備えていくことだと思います。

ひとりひとりが最善を尽くして対策を前に進めていく必要があると感じました。
社会部記者
宮原豪一
2008年入局
東日本大震災事務局、気象庁担当 徳島放送局などを経て現所属
南海トラフ地震などの防災取材を担当 防災士
高知放送局記者
伊藤詩織
2016年入局
広島放送局を経て現所属で防災取材を担当
西日本豪雨の復旧復興や南海トラフ地震対策などを取材
高知放送局記者
古川賢作
2007年入局
社会部を経て現所属 10年ぶりの高知赴任
当時と比べ津波避難タワーが多く設置され、進む防災対策を実感

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