好きなもの詰めていいんです

好きなもの詰めていいんです
ことしも、あと半月。皆さん、お正月におせちは食べますか?

「味付けが地味…」
「食べたいものがない」

ネガティブな意見も聞かれる中、いま、好きなものだけを詰めたおせち「欲望おせち」がSNS上で話題を集めています。

でも、なますも、昆布巻きも食べなきゃいけないんじゃないの?

いえいえ、「欲望おせち」で、いいんです。

(おはよう日本 東勇哉 ネットワーク報道部 鈴木彩里 芋野達郎)

おせち、どう思います?

街に出て聞いてみると、お年寄りの街、巣鴨では、少なくとも何品かは「自分でつくる」という人が目立ちました。
73歳女性
「私の母親はおせちを全部つくっていたので、私も黒豆や煮しめ、なますは自分でつくります。でも、子どもたちはお雑煮やお肉が好きで、おせちはあまり食べないので、残りますけどね」
一方、渋谷で出会った、ともに28歳だというこちらの2人。
2人のおせちへの印象は、まったく逆でした。
左の女性(28)
「私は、毎年自分でつくって食べてます。なますはつくるんですけど、煮物はまだつくれません。つくったり、食べたりすることでお正月を感じます」
右の女性(28)
「おせちって味付けが渋いというか、素朴じゃないですか。堅苦しい感じもするし、子どものころから魅力を感じませんでした。もう10年は食べてません」
おせちをつくる、あるいは、食べるという人は多かったものの、なますや昆布巻きといった定番のメニューを中心に「好みではないものがある」という意見が聞かれました。

好きなものだけ集めました

そんな中、いま話題を呼んでいるのが、冒頭にご紹介した「欲望おせち」です。
ステーキに、クリームチーズ、タルトにフルーツと、伝統的なおせちではまず見られないようなメニューがずらり。

正直、食欲をそそられます…。

「欲望おせち」の生みの親は、この方、潮井エムコさん(29)です。
色鮮やかな見た目で、お正月の「特別感」が感じられるところがおせちのいいところだと思うという潮井さん。
ただ、つくるのに時間がかかり、苦手なメニューもあることから、ずっと避けてきました。

しかし、去年、友達と一緒に年越しをする際、「好きなものだけを詰めたおせちを食べよう」と思い立ち、みんなで相談しながらメニューを決めたそうです。

それぞれのメニューには、ちゃんと、「いわれ」もあります。
ステーキは「ステキな一年になりますように」。
おすしは「ことぶきをつかさどる食べ物 縁起の塊」。
みそ漬けクリームチーズは「みんな元気に30(みそ)代を迎えられますように」。
チーズは牛乳を固めたものなので「地盤を固める」の意味も。
そして、タルトは「足る時」。
満ち足りた1年になりますように」だそうです。
潮井エムコさん
「昆布巻きの『よろこんぶ』とか、えびは『腰が曲がるまで長生きするように』といったいわれは、冗談や、こじつけのようにも感じていたけど、その根底にある『みんなに幸せになってほしい』という願いはとても大切なものだと思います。『欲望おせち』は、その大切な部分を守りつつ、ゲラゲラ笑いながらとても楽しくつくりました。そして当たり前ですが、何を食べてもおいしかったです」

重箱の中身は変わってきた

おせちの重箱に、何を詰めるのか。
そもそも、決まったものを入れなければならないというものではないんですよ
そう教えてくれたのが、国立歴史民俗博物館の山田慎也副館長。
おせちを民俗学の観点から研究しています。

山田さんによると、おせちの語源は「節句の供え物」を意味する「御節供(おせちく)」。
おせちが正月に食べる料理を指すようになったのは江戸時代とされています。

当初は酒の肴(さかな)という位置づけで、そのころから入っていたのが、かずのこ、田作り、黒豆、そして、たたきごぼうだったそうです。
ただ、だて巻きやなます、きんとんなど、ほかに、私たちが「定番」としてイメージするものが使われるようになったのはもっとあとになってから。

重箱の中身は最初からすべて決まっていたのではなく、時代によって変わっていたのです。

大正時代に西洋風おせち?

山田さんが調べたところ、大正時代の女性向け雑誌にはこんな記述が。
「お正月の重詰 西洋料理」(「主婦の友」大正12年発行)

一の重:スープ
二の重:包み魚蒸焼
三の重:イタリヤ式肉うどん
四の重:野菜サラダ

「新年のお重詰といふ千遍一律(注・一様で変化がなく、おもしろみのないこと)で、口取物とかお煮〆とかに定まってゐます。それで風変わりな洋食の重詰を拵へて(注:こしらえて)みました」
「おせちの中身がつまらない」と、さまざまなバリエーションを模索しようという動きは、このころからあったんですね。
国立歴史民俗博物館 山田慎也副館長
「おせちには祝いの肴や『口取り』を入れるといった前提がありますが、『必ずこの食材を入れなければならない』というものはありません。これまでも、重箱の中身はそれぞれの時代の生活様式に合わせて変わってきました。その意味では、『欲望おせち』が生まれたのもその流れと言えるかもしれません。『欲望』といいながらも新しい年の幸せを願い、ひとつひとつに由緒を見いだして縁起を担いでいるところは、私から見てもとても興味深いです」

“おせちは文化だ”

今回、巣鴨と渋谷で話を聴いたあわせて22組のうち、おせちを「まったく食べない」という人は3組。
当初、想像したよりも、おせちを食べるという人が多かったのが印象的でした。
「食べると正月を感じられ、ないと寂しい」(82歳)
「これで年が明けるという気持ちになる」(22歳)
「家族が集まる機会になる」(68歳)
「黒豆を食べるとまめになるとかしゃれがきいてる。気持ちよく1年を過ごすという意味でおせちはあっていい」(28歳)
「おかあさんとおばあちゃんが一緒につくる。おせちがあると机が映える。ないとさみしい」(21歳)
こちらの21歳の女性は「大掃除とおせちは恒例行事。正月は、家族団らんと決まってます」ときっぱり。

おばあちゃんがつくってくれる黒豆が大好きだといいます。
「黒豆の煮汁に砂糖を入れて“黒豆ジュース”をつくってくれるんです。のどによくて、のどを痛めたときにはわざわざつくって送ってくれました。おばあちゃんのように、上手に黒豆をつくれるようになりたいです」
今回、「欲望おせち」をきっかけに「何を食べるか」を考えてきた私たち。

でも、それはさておき、新しい年の初めに家族の幸せや健康を願っておせちを食べるという文化そのものは私たちの間に広く根付いている。

そして、これからも長く続いていくんだろうなと感じました。