生後2か月の娘がなぜ…産後ケア利用中に失われた命

生後2か月の娘がなぜ…産後ケア利用中に失われた命
初めての育児に救いの手だと思いました。

産後ケアで子どもを預けて体を休めたり、育児の相談に乗ってくれたりしたことには感謝しています。

でも、私たちの子どもの笑顔を見ることは、もうできません。

多くの人に必要だからこそ、2度と事故を起こしてほしくない。
私たち夫婦は安全のために何が必要かをいまも考え続けています。

娘が突然、事故に…

2022年6月8日。

私が生後2か月の茉央(まひろ)と宿泊型の産後ケア事業を利用したときのことでした。

その日は朝9時に助産院へ向かい、日中は育児の相談に乗ってもらいながら過ごしました。

午後9時に寝かしつけたあと、睡眠を取るために茉央を助産師に預けました。

このとき「この子はあまりミルクを飲まないので、何かあれば遠慮せずにすぐに起こしてください」と伝えました。

異変が起きたのは、日付が変わった真夜中でした。

寝ていた私は「お母さん起きてください」という切迫した声で目を覚ましました。

目を開けると「茉央ちゃんが…」と慌てた様子の助産師の姿が。

すぐに茉央の元に駆けつけると、顔色が悪く呼吸をしていませんでした。

「救急車を呼んでいます」と言われ、状況がわからないまま一緒に蘇生処置を行いました。

まもなくやってきた救急車に茉央と乗り込み、病院へ向かいました。

夫も駆けつけ、祈るように見守るなか、処置が続けられました。

しかし、午前3時58分、医者から茉央が亡くなったことを告げられました。

あの日何が

司法解剖の結果、肺にミルクのようなものが残っていましたが、死因はまだわかっていません。

警察が捜査していたこともあり、助産院や事業を委託していた横浜市から話を聞けず状況がわからない日々が続きました。

それでも私たちは「何があったのかどうしても知りたい」と、説明を聞ける日を待ち続けました。
事故から2か月がたった8月。

ようやく助産院から直接、話を聞く機会が訪れました。

助産院の院長と担当の助産師と向き合いました。

これまでに2回、合計4時間半の話し合いで、事故の状況が少しずつわかってきました。
<事故の経緯>※助産院や両親への取材に基づく※

当時、助産院にいた助産師は1人で、預かっていたのは茉央ちゃん1人。

6月9日
・午前1時10分

寝ていた茉央ちゃんがぐずりだす。
助産師がミルクを100ml準備。60ml飲ませてあやす。

・午前2時ごろ
茉央ちゃんが寝つく。
助産師が寝る時に残りの40mlを飲ませて10分ほど様子を見て部屋を離れる。

・午前2時~2時30分ごろ
助産師は別のスペースで翌日の朝食の準備や洗濯物の取り込み。
泣き声が聞こえるように部屋のドアを少しあけて、近くのスペースなどで作業。
茉央ちゃんの顔は見えない状態。

・午前2時30分ごろ
助産師は白衣を干しに行くために茉央ちゃんが寝ている部屋に戻る。
顔の一部が布団で隠れていて、呼吸をしていないことに気づく。
最初に部屋を離れてから30分ほど目を離していたうえ、呼吸や心肺が停止したら反応するセンサーが当日は使われていなかった。

詳しい死因はまだ不明ですが、ようやく明らかになった状況に「異変に早く気づいていれば」という思いを抱かずにはいられませんでした。

待望の長女の誕生

茉央は私たちにとって初めて授かった子どもでした。

妊娠がわかったのは去年8月。

心待ちにして迎えたことし3月の出産日。

2842グラムの小さな姿を目にしたとき、「やっと会えた」と喜びをかみしめました。
出産から数日後、茉央とわが家に帰りました。

感染対策で出産に立ち会えず、面会もできなかった夫は、帰宅を心待ちにしていました。

用意した色紙とともに写真を撮りながら新しく家族に加わった娘を見て、夫は「こんなにも小さくてかわいらしい子なんだ」と愛おしさを感じていました。

初めての育児 産後ケアとの出会い

一方で初めての育児は想像以上に過酷でした。

実家はコロナ禍などで頼りづらく、夫は、年に1度の繁忙期で泊まり込んだり、日曜に出勤したりの日々で育休が取れませんでした。

いわゆる「ワンオペ」状態で、初めての育児に戸惑うことも多く、夜中は数時間おきの授乳で睡眠不足に悩まされました。
私は、病院の1か月検診で育児のつらさを訴え、あふれる涙を抑えきれませんでした。

その後、市の担当者から産後ケア事業を行う助産院を紹介され、利用することに。

助産師に茉央を預けている間、出産後初めてといっていいほどゆっくりと休めました。

相談にも乗ってもらえ、育児に対して少しずつ前向きになっていきました。

茉央を失ったのはそんなやさきでした。

助産院に無かった安全基準

事故後、助産院から話を聞く中で、ほかにもわかったことがあります。

具体的な安全基準が定められていなかったのです。

私たち夫婦は、助産院の院長に次のように尋ねました。
「30分くらい顔色を見られないような状況は普通のことなのか」
院長は次のように答えました。
「私が担当の時は夜勤に入るときに先に雑務を終えて、子どもを預かったらなるべくそばにいるようにしていたが、1人1人ケアの仕方が異なり、ケアの仕方が統一されていなかった」

「呼吸が止まった場合に反応するセンサーを使うことについて院内でルール化していなかった」
そして、事故をうけて初めて具体的なマニュアルを作ったと説明されました。

そこには「睡眠中はそばを離れないことを原則とし、離れるときは携帯センサーを使用する」「10分以上は空けずに観察に戻ること」などと書かれています。

ただ、補助金が不十分で夜間に助産師が1人で対応にあたらざるを得ないと言われました。

私たちは、事故が起きるまで事故を防ぐための具体的な安全基準を定めたマニュアルなどが無かったことを知り、「プロなのになぜ…」と驚きを隠せませんでした。

産後ケア事業の安全管理 その実態は

「茉央の事故を多くの人に知ってもらい、安全について考えてほしい」という思いが時間がたつにつれ、強くなっていったという両親。

まだ事故を思い出すのもつらい状況のなか、言葉に詰まりながらも私(記者)に話を聞かせてくれました。
そもそも産後ケア事業は、1歳未満の乳児を助産師などが一時的に預かるなどして、母親に休息を取ってもらったり、育児の相談に乗ったりするサービスです。

厚生労働省が産後うつ対策として令和6年度末までに全国展開を目指しています。

昨年度は全国の78%にあたる1360の自治体で実施され、市町村は医療機関や助産院、民間の事業者に委託するなどしています。

受け皿が広がる中、公的サービスであるにもかかわらず、なぜ安全管理の基準が現場になかったのか。

両親の話を聞いて疑問に思った私は取材を始めました。
まず、国は安全管理について何か定めているのか、厚生労働省に取材したり、産後ケアを定めた法律(母子保健法)などを読み解いたりしました。

そのなかで2017年に厚労省が作った「産後ケア事業ガイドライン」に「実施機関、担当者によって相違が生じることがないよう、市町村でマニュアルを作成する」という記載があるのを見つけました。

国は市町村にマニュアルの策定を求めていたのです。

このマニュアルを横浜市は作っていたのか。

市の担当者に取材すると、「市が独自に作ったマニュアルはない」という答えでした。

横浜市は国の補助金事業となる前の平成25年度から事業を行っていますが、これまで1度もマニュアルを作ってこなかったというのです。

理由について、担当者は「委託先が医療機関や助産院であるため、一定の安全性は担保され、市として作る必要がないと考えてきた。委託先がマニュアルを作っているかはわからない」と話しました。

他の自治体も横浜市と同じような状況なのだろうか。

疑問に思った私は、ほかの3人の記者の協力を得て、東京23区、神奈川、埼玉、千葉の県庁所在地と政令指定都市にマニュアルの策定状況などを取材することにしました。

取材したのは28の自治体、1つの自治体をのぞく27の自治体から回答を得ました。

その結果、23の自治体でマニュアルが策定されていなかったことがわかりました。

マニュアルがある自治体でも、安全面に関して何かしら定めていると答えたのは2つの自治体のみでした。
なぜ、マニュアルを作らないのか。

自治体からは「厚生労働省のガイドラインが不明瞭だから」という声が聞かれました。

厚労省のガイドラインは

一部の自治体から不明瞭だと指摘された厚生労働省のガイドライン。

ガイドラインに何度も目を通し、法律や省令なども確認しましたが、具体的にどのようなマニュアルを作れば良いのか、どこにも書かれていません。

具体的に定められていない理由について、厚生労働省は、
「内容については地域によって実情が異なると思うので各市町村に任せている」
「産後ケアを中心に行う助産師は国家資格を持っていて一定の基準を満たし、任せている。国が具体的に何を要求すれば良いかわからない」としています。

厚労省は市町村にマニュアルの策定を求めている一方で、具体的な内容を示さずどんなマニュアルを作るかは自治体に任せるというのです。

そして私たちが取材した自治体の多くがマニュアルを作っていないことを伝えると、厚生労働省の担当者は
「市町村にマニュアルの策定を求めているが、強制しているものではなくて、ただちに問題があるとはいえない」と答えました。

誰がマニュアルを作るべきなのか、ガイドラインの素案の作成に関わった委員を取材しました。
ある委員は、
「助産院などの現場はなにかしらマニュアルを作るべきだが、自治体が必ずしも作る必要はない」と答えましたが、

その一方で、別の委員からは
「たとえ委託先が医療機関であっても委託元の市町村が責任を持って作るべきだと思って、『市町村がマニュアルを作成する』という一文を入れた。ただ、市町村側も作成を求められても内容を決めるのが難しいと思うので国が具体的な基準を定めるべき」
という意見も聞かれました。

厚生労働省は、ガイドラインが不明瞭だという自治体からの指摘があったことを受けて、ガイドラインの改訂を検討したいとしています。
産後ケア事業の具体的な安全基準について、専門家は、国や自治体が責任を持って作るべきだと指摘しています。
NPO法人Safe Kids Japan 山中龍宏理事長
「産後ケア自体は必要なサービスだが、歴史が浅く、どんどん利用を広げていこうというところが注視されて、具体的な安全管理に関する基準が定められていないのが現状だ。同じように0歳児を預かる保育の現場では5分に1回呼吸を確認するなど厳密なマニュアルが定められている。産後ケアでも事故を教訓に、国や自治体が基準を設けてどんな対策ができるか考えていくべきだ。また、夜間に1人体制となっているのであれば補助金を増額して必要な態勢を整備していくべきだと思う」

対応を模索する現場

国が具体的な基準を示していないなか、産後ケアを行う施設を取材すると、「赤ちゃんを預かって部屋を離れるときはセンサーを使用する」や「5分に1回様子を確認する」などといった独自の安全基準を設けて、事故防止を模索してきた施設も複数ありました。
このうち、富山市にある「産後ケア応援室」では、平成29年度に開設されてから、事故を防ぐためのマニュアルを作り、改訂を重ねています。

マニュアルには、窒息を防ぐために寝ている赤ちゃんをうつぶせにしないことや顔の周辺に物を置かないこと、転落を防ぐために柵のあるベビーベッドでケアを行うことなどが定められています。

スタッフの間で議論してマニュアルを改訂してきましたが、自分たちだけで対処していくことの難しさを感じてきました。
産後ケア応援室 助産師・田中裕美さん
「これまでスタッフみんなで話し合ってマニュアルを改訂してきました。ただ、話し合いの中で意見の違いが出てくることもありそこをみんなで統一させるようにマニュアルを作るのは大変でした。ゼロから自分たちで作るのではなく国のガイドラインなどで最初から何か一定の基準が示されていたほうがよいと思います」

ようやく娘の写真を

事故から4か月後。

わざわざ取材のために現像してくれた写真を手に茉央ちゃんのお父さんがつぶやいた一言がいまでも忘れられません。

「実は最近になってようやく写真を見られるようになったんです」

そして夫婦で一枚、一枚見せながら娘との大切な思い出を話してくれました。
ようやく笑うことができるようになったこと。

父親の指を吸う姿がかわいかったこと。
あらいぐまの人形がお気に入りだったこと。

ベビーカーに1回しか乗せてあげることができなかったこと。

2人の願い

茉央ちゃんを亡くした両親の悲しみは癒えていません。

それでも同じ事を繰り返してほしくないと願い、自分たちができることが何なのか考え続けています。

2人は産後ケア事業自体は必要だと感じています。

育児で辛かったときに支えてもらったことも事実だからです。

母親と赤ちゃんにとって安全で安心できる場であってほしい、そのために国や自治体には命を守るための具体的な安全基準を示してほしい。

2人の今の願いです。
横浜放送局記者
尾原 悠介
2018年入局。大阪府警担当を経て、2021年11月から横浜放送局で事件・事故を中心に取材。1児の父親として子育て分野についても取材を続ける。