“住む家がない…” 何とかしたい、その思いで

“住む家がない…” 何とかしたい、その思いで
離婚してから初めて、幼い子どもと行った旅先。ふだんは撮る機会もない家族3人そろって写真を撮りました。

カメラに向かい、子どもたちを力いっぱい抱き締めた日から約10年後。
彼女は、かつての自分と同じ境遇の女性たちを支える活動を始めました。

着の身着のまま飛び込む母子も

神奈川県伊勢原市。その住宅は最寄り駅から程近い閑静な住宅街にあります。築26年の木造2階建てのシェアハウス。

共有部分のリビングのほかに、広々したキッチンとバスルームが2つずつとトイレが3つ、それに、それぞれの世帯が住む10平米ほどのオートロック付きの部屋が8つ。

敷金・礼金はなく、家賃はおよそ4万円前後。原則、保証人や保証会社の必要もありません。

入居できるのは女性と、その子どもだけ。必要な家具や家電、洗剤やトイレットペーパーなどの生活用品まで備え付けられています。
コロナ禍をきっかけに全国のシングルマザーから問い合わせが絶えず、現在も満室です。

記者が訪れた日は、仕事から帰宅した母親たちが子どもが元気に遊び回る様子を見守りながら、“お疲れさま”と声を掛け合い入れ代わり立ち代わり手際よく食事の準備をしていました。

同じつらさを経験したからこそ

このシェアハウスを運営しているのは、不動産会社の代表の竹田恵子さん(46)。
竹田さん自身、31歳の時に離婚を経験しています。当時、子どもは10歳と4歳。2人の子どもと生きていくため、必死だったといいます。

勤め先の不動産会社で朝早くから夕方まで働いたあと、家に帰って夕食を作って子どもに食べさせ、お風呂に入れ、わずか1時間半後には再び家を出て、日付けが変わるころまでアルバイトしたそうです。

今も忘れられない記憶があります。

『さみしい、行かないで』

夜、仕事に出かけようとする背中で、パジャマ姿の子どもに大泣きされたのです。

子どもとの時間を作らなくてはと一念発起。お金をためて独立し、不動産会社を立ちあげました。同時に、シングルマザーを支援したいという思いが芽生えたといいます。
シェアハウスを運営する竹田恵子さん
「シングルマザーの中には、その日をどう生きるかに必死で、先のことを考えられる余裕のない人もたくさんいます。住まいを用意することで、前を向いていけるサポートをしたいと思いました」
地域の空き家を借り上げ、およそ600万円でリフォーム。家賃は安くおさえ、足りない分は国の支援制度を活用したり、他の事業の売り上げでカバーしたりして運営しています。

オープンから5年 女性たちのその後

去年の秋まで入居していた奈々さん(仮名・30)は、竹田さんにとって印象深い女性の1人です。
出会いは約2年前。
正式な離婚が成立しないまま幼い子ども2人を連れて夫の元を離れた奈々さんは、家を借りるまとまったお金も、家財道具も持っていませんでした。

たまたまインターネットでこのシェアハウスを見つけ、相談にやってきたのです。
竹田さん
「頑張って収入を増やしてアパートで住めるようになりたいという話を聞いて、じゃあ全力で応援するよと」
奈々さん(仮名)
「子どもを寝かせたあとに大人どうしで会話したり、地震が起きたら大丈夫?って声を掛け合ったり。夜、下の子が磁石を飲んじゃったかもしれないというときに竹田さんが駆けつけてくれたこともありました」
奈々さんはその後、正社員として就職し、アパートに引っ越すことができました。
奈々さん(仮名)
「まず一歩踏み出せる場所を作ってもらえたおかげで目標をかなえることができました」

“家がない人を放っておけない”

兵庫県尼崎市にも住宅支援に奔走する人がいます。
前田裕保さん。

生協の職員として日頃から地域支援の活動に携わり、コロナ禍では仕事や住まいを失う人を目の当たりにしてきました。
コープこうべ 前田裕保さん
「放っておけない。何とかできないかという気持ちがわき上がってきました。まず何よりも住まいの支援が大事だと」
最初に考えたのは、住宅を提供すること。しかし専門的な知識のない不動産事業を新たに立ちあげることに、内部の理解はなかなか得られませんでした。

模索を続けていた去年の秋、尼崎市の住宅担当者から一本の電話がきます。

「空いている市営住宅の有効活用に頭を悩ませている。何かいい使いみちはないでしょうか?」

「これだ!」

前田さんはすぐに市役所に向かいました。

全国でも珍しい“建て替え予定”の市営住宅を活用

「空いている市営住宅」とは、建て替えを数年後に控えて入居者の公募を停止している物件のことでした。

こうした住宅では空き部屋が増えるにつれ、残った住民に自治会費が重くのしかかるようになっていました。
その負担を軽減するために、なにか活用ができないかというのです。しかも、貸すことができるのは建て替えまでの期間限定。

前田さんはふだんから連携している生活困窮者の支援団体などとグループをつくり、空き部屋を借りることにしました。市との契約は原則1年。入居者の選定やアフターフォローはこのグループで責任を持って行うという約束です。

こうして全国でも珍しい住宅支援が始まりました。

50平米3DKで家賃6500円

そのうちの1つ。バスの停留所が目の前にあり、病院やスーパー、小学校が徒歩10分以内という好立地です。

ただ築48年と古く、現在の耐震基準を満たしていないため、6~7年後には建て替え予定です。この住宅の1室に、ことし4月に入居したミャンマー出身のモジン タウッさん(32)。

2年前に来日しました。日本語学校の卒業を目前に、寮を出て住まいを探す壁にぶつかりました。
「日本語もあまり分からないし、貯金もない。友人から“日本で家を借りる時は保証人がいないと借りられない”と聞いて不安でした」
ミャンマーの家族にとってはモジンさんの収入が頼りのため、何としても、日本で家と仕事を見つけたかったのだそうです。
入居した部屋は約50平米・3DKの部屋を家賃6500円/月。
今、介護の仕事をしながら介護福祉士の勉強と、家族への仕送りを続けています。
モジンさん
「家がなかったらどうなるのか不安でしたが、この部屋に入ることができて助かった」
ことし4月から始まったこの取り組みで、これまでに20組が新たな生活を始めています。今後さらに320戸の空き部屋が住宅支援に活用される予定だそうです。
前田さん
「入居する前のしんどそうな顔を知っているので、こんなに変わるのかというのを目の当たりにすると、やってよかったなと思います。
いろんなところから問い合わせは結構来ているので、広がっていってほしいです」。

増える民間の住宅支援

今回、取材した取り組みはいずれも思いのある民間の力があって実現しました。

住まいの問題に詳しい専門家も注目しています。
「社会貢献にもなる形で住まいを提供する大家は、増えていると感じています。

シングルマザーのためのシェアハウスは全国におよそ30件。また尼崎市のように入居募集を停止した公営住宅は全国におよそ20万戸あります。このうち状態のよいものは、それぞれの地域で活用法を見直す動きも出てくるのではないでしょうか。

一方で、住宅支援に熱心な現場の人たちの自助努力に支えられているのが現状です。国はサポートを一層進めてほしいと思います」
そのうえで国による“恒常的な”支援も必要だと指摘します。
葛西准教授
「経済的に困窮した人が受けられる恒常的な家賃補助などの支援制度が必要です。

住まいや住所は“存在証明”でもあるので、一度失ってしまうと公的な支援も受けづらく、社会的に不安定になります。

誰もが安定して住むことができる環境をつくるのは国の仕事だと思います」
(ゆう5時 ディレクター 野口沙織 宮崎玲奈/ネットワーク報道部・秋元宏美)