命絶った息子が受けたのは“体罰”じゃない

命絶った息子が受けたのは“体罰”じゃない
「おはよう」

両親は仏壇に毎朝、声をかけます。

息子は大阪市立桜宮高校バスケットボール部のキャプテンでした。10年前、当時の顧問から繰り返し体罰を受け、自殺に追い込まれました。体罰は、今もスポーツ指導の現場に残っています。両親が語りました。

「会社で上司が部下を殴ったら“暴行事件”なのに、なぜ教育現場では“体罰”と呼ぶんですか?」

指導の名を借りた暴力の根絶を。
スポーツに関わるすべての人に届いてほしい思いです。
(大阪放送局 記者 鈴椋子)

事件から10年 体罰今も

2012年12月。大阪市立桜宮高校のバスケットボール部でキャプテンだった男子生徒(当時17)が自殺しました。当時の顧問の教諭から繰り返し体罰を受けていたのです。

元顧問は傷害罪などで有罪判決を受けました。
事件から10年になるのを前に、日本バスケットボール協会が体罰に関する調査を行いました。

小学生のチームを対象にした調査で、指導に暴力があると答えた保護者が1割いました。

協会は事件のあと、体罰根絶の取り組みを続けてきましたが、体罰は根強く残っていたのです。

協会の専門家も「非常に衝撃的」とショックを受けた調査結果でした。

私たちは、ことし10月にこの調査結果を報じました。

亡くなったキャプテンの遺族は、どう感じているのだろうか。

弁護士を通じて取材を申し込んだところ、両親が話を聴かせてくれることになりました。

“体罰”という言葉への疑問

両親が語ったのは“体罰”という言葉そのものへの疑問でした。
父親
「指導する側を擁護するような言葉だと感じます。社会人になって、例えば会社の上司が部下を殴ったら“暴行事件”と言われるのに、教育現場であれば“体罰”になる。指導する側が“体罰”っていう言葉に逃げている。容認されているのではないかと思います」
“体罰”という言葉は、生徒側に非があるようにも聞こえるといいます。

しかし、息子が元顧問から受けた暴力は全く異なるものでした。

例えば、練習試合でチームが思うようにプレーできなかったとき。

部をまとめるキャプテンとして、繰り返し繰り返し十数回も平手打ちされていました。

こうした暴力が“体罰”と呼ばれることにも違和感を覚えているのです。

楽しかったはずのバスケットボール

亡くなった息子は、中学校でもバスケットボール部に所属。

当時はバスケットボールを楽しんでいました。

しかし、強豪の桜宮高校に進学後、表情が暗くなっていったといいます。

「大学ではバスケはやりたくない」とも話すようになりました。

特にキャプテンになってからは元顧問の暴言や暴力に悩まされ、たびたび家族に相談していました。
母親
「キャプテンになってからは、私は『早く高校終わらないかな』って、それだけでした。『早く乗り越えて終われば』って。親があんまり口を出すと、過保護だとか、親離れできていないとか言われるだろうと思ったので、子どもの力でできることを裏でアドバイスできたらなって」
しかし、2012年12月23日。息子は自宅の部屋で命を絶ちました。
父親
「息子が頑張っている姿を見ていましたから、なんとか頑張れるようにサポートしていたんですけど、息子はそれが無意味になるくらいの暴力を受けていたので。今、もし変えられるのであれば、当時もっと(指導方法などに)口出ししておけばよかったなと思います」

「しばけば解決すると思っているのですか」

息子は生前、元顧問への手紙を書いていましたが、渡すことができませんでした。

その手紙にはこう記されていました。
「僕は先生に言われたことをしようとは思っています。考えようと努力もしています。でも、なかなかできないです。僕は、先生がキャプテンが必要とすると言っている、多くのことができていないです。やろうとはしています。僕は僕なりに、その場の出来事をどうやったらいいだろう。と考えています。先生は僕に、何も考えていないと言いますが、僕は考えています」
(一部抜粋 原文ママ)
苦しいなかでもキャプテンとして頑張っていたことを伝えようとしています。そのうえで、暴力への疑問や憤りをつづっていました。
「なぜ、僕だけが、あんなにシバき回されなければならないのですか?一生懸命やったのに納得いかないです。理不尽だと思います。僕は、今正直、何やっても無駄だと思います。キャプテンをしばけば何とかなると思っているのですか?僕は問題起こしましたか。キャプテンしばけば解決すると思っているのですか。もう僕はこの学校に行きたくないです」
(一部抜粋 原文ママ)
この叫びは、後にスポーツ現場から暴力をなくそうという取り組みにつながりました。

今回、改めて手紙を読んだ母親はこう語ります。
母親
「あの当時は余裕が全くなかったけど、10年たって改めて読んだときに、自分の子じゃないみたいに『この子すごいな』って。『しばいてもなんとかならない』っていうことは今なら分かる。世の中みんなが分かるよねってことを当時の17歳が訴えている。すごいぞって。息子も、自分ができることを精いっぱいやったんですよ」
今も両親は仏壇の息子に、毎日声をかけ続けています。

「おはよう」
「行ってきます」
「ただいま」
「ごはんの時間だよ」
「寝るよ」
母親
「日々のなかで息子のことは忘れていないし、ずっと家族だし。亡くなった事実はちゃんと分かっているけど、生きているかのような家族の生活っていうか。毎日なんでもないことも話しかけ、なにかの区切りのたびに話しかけ、たまに思い出話して笑うこともしたり、そんな日々です」

抑止力になると信じたのに

今回の取材の直前。部活動の現場で、またも深刻な暴力が明らかになりました。
兵庫県姫路市の高校のソフトボール部で、女子生徒が顧問の教諭にほおをたたかれ、あごが外れるけがを負ったのです。

生徒は精神的なショックで登校できない状態となり、別の高校に移りました。
父親
「私たちが裁判で頑張ったのは『こうした事案に対してはこういうペナルティを受けるんだ』という事例を作ることが抑止力になると信じたから。それだけに暴言・暴力がなくなっていない現状というのは非常に残念です。姫路の女子生徒や親御さんはどういうお気持ちだろうかと考えます」

暴力を容認する保護者へ

暴力根絶の難しさを示すデータもあります。
日本バスケットボール協会が小学生のチームを対象に行った調査では、暴力を容認するような保護者の存在が明らかになったのです。

チームに「暴力がある」と答えた保護者のうち、そんな環境でも「子どもが成長している」と回答した保護者が9割を占めました。

両親は、こうした保護者へ「暴力は指導力のない人がすることだという認識を持ってほしいです」と訴えています。
さらに著名なアスリートが学生時代に受けた暴力を、美談やおもしろい昔話のように語る姿にも疑問を呈しています。
父親
「学生時代に暴力を受けてきて、たまたま運良く死ななかった人が、後々それを美談にしちゃいけないんです。『俺は暴力を耐え忍んで、だから成功しているんだ』っていうのが負の連鎖を生んでいるんだと思います」

子どもがスポーツを楽しめるように

子どもが楽しんでスポーツに取り組むために。

部活動のあり方、そのものから考えてほしいと訴えます。
父親
「学校の先生も忙しいなか、部活動の顧問も引き受けなければならない。先生方も余裕がないなかで、根気よく指導するのが難しく、主従関係を作って暴力をふるったほうが手っとり早いという考えを生んでしまうのではないんでしょうか。一部には、勝利至上主義に走り、顧問が絶対的な権力を握っている学校もあると思います。競争意欲をかきたてる全国大会などが加熱しすぎているのではないかと思います」
母親
「息子はもう戻ってこないから、この先、同じような犠牲者が出ないように、子どもがもっと楽しくスポーツをできるようになるのが理想です。『苦しいけど頑張ってきたよ』じゃなくて、『失敗もあるけれど、楽しく自分のベストを尽くしました』っていうのが現実になるときが来たらすごいなと思います」

17歳の叫びに耳を傾けて

成長するためなら、少しくらいの暴力はしかたないことでしょうか?

暴力は、体だけでなく心にも一生消えない傷を残します。

もしも暴力をふるいそうになるときがあれば。

容認しそうになるときがあれば。

10年前に命を絶った高校生の叫びを思い出してください。
大阪放送局記者
鈴 椋子
令和2年入局
警察担当を経て遊軍担当