「学費のためのお金なのに…」苦学生が直面した生活保護の壁

「学費のためのお金なのに…」苦学生が直面した生活保護の壁
「良判決。地裁GJ」
「よかった。こんなの通ってたら、貧困に生まれた子はみな貧困に沈めってなるもんな」

10月、熊本地方裁判所が行政の決定を覆す判決を言い渡し、SNS上で大きな反響を呼びました。熊本県が70代の夫婦の生活保護を「ある理由」で打ち切ったことを違法と判断したのです。その理由とは、この夫婦(=祖父母)と暮らしていた孫娘の収入が増えたこと。当時、孫娘は看護師を目指して看護専門学校で学びながら病院で働き、学費を賄っていました。県は、孫娘が稼いだお金を祖父母の家計に充てれば生活保護は必要ないと考えていたのです。

大学や専門学校に進んで貧困の連鎖から抜け出そうとする若者が直面する課題が、判決から見えてきました。(熊本放送局記者 岸川優也)

祖父母と孫娘の3人暮らし 厳しい家計も進学を

審理の対象になったのは熊本県の祖父母と孫の世帯です。祖父母は、かつて娘夫婦が離婚した際、まだ幼かった孫娘を引き取り、それ以降、一緒に暮らしていました。

祖父は製造業に勤めたあと、みかん栽培の仕事で生計を立てていました。しかし2013年には、収穫作業中に転倒して足を悪くし、働けなくなりました。その後、祖父はがんを患い、定期的な通院が必要に。

祖父母に育てられていた孫娘は、両親の離婚などの影響もあって中学までは引きこもりがちでしたが、高校は定時制に通って卒業。2014年、看護専門学校の准看護科に入学しました。技能を習得して安定した職に就きたいという思いからの進学でした。

入学金や学費は、奨学金とともに病院でアルバイトをして賄うことにしました。祖父母の生活費は、月12万円弱の年金が頼りでしたが、医療費がかさんで貯金も尽きました。

そこで祖父は福祉事務所に生活保護の相談に行きました。
すると、孫娘が専門学校に通っていたことから、「世帯分離」という手続きを説明されました。

進学に必要な「世帯分離」

どういう手続きなのでしょうか。

実は、生活保護の受給世帯では、子どもの就学は、原則として高校までしか認められていません。生活保護費を大学や専門学校の学費に充てることはできないのです。

ただ、子どもの自立促進に有効と認められれば、子どもを親などと家計を切り離して別の世帯として認定することで、親などと同居しながら進学することが可能になります。

これが「世帯分離」です。

ただし、学費や生活費は、奨学金やアルバイトなどで、子どもが自分で賄わなければなりません。また、親などの世帯の生活保護費は分離した子どもの分が減額されます。
2014年夏、祖父母と孫娘は「世帯分離」をして、祖父母は生活保護の受給が始まりました。

孫娘は、引き続き同居したまま通学することができました。学費と自分の生活費は、働いて得た収入を充てていました。

孫娘の収入増加で 世帯分離が解除に

2年後の2016年、この状況に変化が起きました。

孫娘が准看護科を卒業、看護師を目指して看護科に進みました。入学金やテキスト代など44万円が新たに必要でした。これとは別に授業料なども月額で准看護科のときよりも多い4万5000円かかります。

一方、准看護師の資格を取得したことで、アルバイトの時給が上がりました。

ただ、看護科では実習が多く働けなくなる時期もあります。
それを見越して、学費を貯めておく必要があり、シフトを多めに入れて働いたことも重なって、この年の4月から11月までの間、月収がそれまでのおよそ8万円から平均で手取り13万円ほどに増えたのです。

朝6時か7時には家を出て病院で働き、昼間は学校、そして夜はまた病院で働く生活でした。

こうした中でのことでした。12月、熊本県の福祉事務所のケースワーカーが一家との面談で、孫娘の収入の増加を把握。
県は、孫娘の収入と祖父母の年金を合算すれば、3人での最低生活費16万2000円を上回るとして、翌月、「世帯分離」を解除し、祖父母の生活保護を打ち切ることを決定したのです。

孫娘が稼いだお金を家計に回せば生活保護は不要とする判断でした。

孫娘の経済負担増大 裁判に

孫娘は大きなショックを受けました。

「祖父母を養うことになると、看護専門学校の学費が払えなくなるかもしれない」

祖父母に不安を漏らすこともあったといいます。再び引きこもるようになり、「うつ病」と診断され、一時、休学することになりました。

祖父は国と県に世帯分離の解除を取り消すよう審査請求を行いましたが、いずれも棄却。このため2020年6月、熊本地方裁判所に提訴しました。

裁判で、熊本県は次のように主張し、訴えを退けるよう求めました。
「孫の収入が大幅に増え、祖父母と孫の世帯は経済的に自立できる状態になったと判断し、世帯分離を解除した。就学を妨げるとも言えず、合理的な判断である」

「実習が始まることで収入が減少し、収入が最低生活費を下回る状況になれば、再び生活保護を申請することができるため、将来の経済的不安まで考慮する必要はない」
2年余りの審理を経て、熊本地裁はことし10月3日に判決を言い渡しました。

判決 “表層的な現象のみに着目、自立促進の視点に欠ける”

判決では、「世帯分離を解除した県の判断は裁量の範囲を逸脱・濫用するもので違法」だと判断。

世帯分離の解除が違法である以上、祖父母世帯の収入が最低生活費を上回ることはなく、生活保護の打ち切りも違法だとして取り消しました。
その判断の詳細です。
「世帯分離」の趣旨について
生活保護を受ける家族と同居しながら大学や専門学校での教育を受けられるようにし、能力を身につけることで自立の促進をすることにある。
今回のケースについて
世帯分離をした時点と解除した時点で、孫は祖父母と同居して看護専門学校で学びながら学費を病院での収入と奨学金でまかなっていたという状況は変わっていない。看護師の資格を取得すれば、准看護師の資格だけよりも病院等へ就職がしやすくなり、給与や仕事のやりがいも増加する。世帯分離を継続することが孫や祖父母の経済的な自立に資する状況にあったことは明らかだ。
生活保護を打ち切った県の判断について
収入の大幅な増加という表層的な現象に専ら着目したがゆえに、世帯分離していることで、孫や祖父母の経済的な自立促進に効果的な状況が継続しているという視点に欠けるところがあったというべきで、著しく合理性を欠いていた。
そのうえで、次のように指摘しました。
祖父母の生活保護を打ち切れば経済的に困窮し、孫の就学に支障が生じる可能性が高いことは容易に予測できた。

控訴の県知事“断腸の思い”

控訴期限の10月17日。

県は福岡高等裁判所に控訴し、蒲島知事がオンラインで取材に応じました。
蒲島知事
「生活保護は(国の強い関与のもと、国の代わりに県が行う)法定受託事務。努力して貧困から脱却しようとする県民を支援する立場から控訴を回避する道を探ったが、国の判断には応じざるを得ず、断腸の思いで控訴した」
その一方で。
「担当者からは、国の通知に基づいて、お孫さんが就学を継続できるよう必要な経費を確認し、世帯が自立できると判断したうえで生活保護を廃止したと聞いている。現在の制度・通知では担当者が保護を打ち切る判断をせざるを得ない。そのため、控訴と同時に厚労省の政務官にも運用の問題提起もさせていただいた。今後、国全体で運用を考えていくべきだ」
控訴を判断した厚生労働省にも見解を尋ねました。
厚生労働省 保護課の担当者
「判決の中に、国のこれまでの世帯認定の考え方と異なる部分があった。係争中なのでどこが異なるのかについては回答を差し控える。今後、訴訟の中で明らかにしていきたい」

専門家 大学などへの進学は「ぜいたく」か

今回の裁判について、元ケースワーカーで、生活保護行政に詳しい専門家は次のように指摘します。
吉永純 花園大学教授
「判決でも示されているとおり、県の一連の処分は問題があったのではないか。お孫さんは世帯分離されているなかで、みずからの将来のため、自力で学費と生活費を賄おうと努力していた。その結果の収入の増加であって、そのお金で祖父母を養うというのは現実的ではない。大学や専修学校に通っている子どもについては無事卒業・就職してもらい、その後余裕に応じて家族を支援してくださいというのが通常の対応だと考えられる。より長期的な視点で、自立に役立つかを検討すべきだった」
今後、生活保護と子どもの就学をめぐって、運用の見直しも必要ではないかと指摘します。
「現状では、生活保護世帯からの大学・専門学校進学は『ぜいたく』だとして「世帯分離」をしなければ認められていないが、一般に高校生の進学は大学が5割、専門学校や浪人も含めれば8割を超えている。生活保護世帯からは専門学校などを含めても4割と、大きく下回っているのが現状だ。希望する人には、生活保護での支援をしながらの進学を認める時期に来ているのではないか」
吉永教授は、長期的には国の財政にもメリットがあるといいます。
「例えば、単純計算だが、在学中の4年間保護をしたとして、月5万円保護をすると4年間で240万円。一般に高卒と大卒の生涯年収は6000万円違うと言われるので、大学を無事に卒業してもらうことで、支援した分の240万円を上回る額が税金で納入されることになる」

「教育というのは貧困の連鎖を断ち切るために大変重要。生活保護を受けているのに『ぜいたく』だという発想からは脱却して議論をしていく必要があるのではないか」

貧困の連鎖を断ち切るために

SNS上では、ふだん生活保護の受給世帯に対する厳しい意見も少なくないなか、今回は判決を支持する意見が目立ちました。若い世代の貧困と教育の問題にもつながっていたことから、「学ぼうと努力する若者を応援したい」という気持ちからの書き込みが多かったように感じます。

就学中の収入増加をどう扱うか。

受給世帯の子どもの将来の自立という観点から示された今回の判決には、「貧困の連鎖を断ち切る上で教育が重要だ」と強調した点で、大きな意義があると思います。

一方、国は現在、5年に1度の生活保護の見直し作業を進めていますが、生活保護世帯からの大学などへの進学は引き続き認めず、授業料の減免や奨学金の拡充などの政策での対応を検討しています。一般家庭からも高卒で就職する人や学費を自分で賄う人がいることから、バランスを考慮したことを理由としています。

ただ、生活保護世帯からの大学などへの進学率が、全世帯の平均を大きく下回っているのがまぎれもない現状です。

貧困が原因で進学を諦めざるをえない若者が1人でも少なくなるよう、どういった制度・体制が有効なのか真摯な議論が求められると感じます。
熊本放送局記者
岸川優也
2020年入局
これまで豪雨災害や事件事故の取材を中心に担当
今回の裁判を契機にして、生活保護や若者の貧困などのテーマも継続して取材していきたいと思います