孤独を感じている人たちへ

孤独を感じている人たちへ
「孤独とは誰にも話せない、会いたくないとき。だからこそ気がついてあげられる人になれたらなあ」

北海道小樽市を拠点に活動するシンガーソングライター「花男」(43)のことばだ。社会人2年目の私は、ミスに落ち込み、自信を持てず、孤独を感じた時に彼に出会った。誰しもが経験する“孤独”に寄り添うその歌は、私がそうであったように、多くの人を励まし続けている。(札幌放送局映像制作 三砂安純)※文中一部敬称略

広美さん(34)「止まったとはおもわない」

中学の時に部活での人間関係に悩み、学校の授業にもついていけなくなって苦痛な日々をすごしたという広美さん(34)。

そんな広美さんを変えたのが音楽だった。高校で出会った仲間とバンドを組み、ついにはメジャーデビューを果たす。

しかし、活動休止になり人生の針路を見失ってしまったという。
広美さん
「(バンドが)休止した時は人生が終わったと思いました。青春の全てをささげて、27歳でいったん止まるって。落ち込んだし、誰に相談してもむだって思うようになっていました」
そんな時に出会ったのが「花男」の歌だった。
「page」
「仕事辞めた人だって
音楽やめた人だって
別れがあった人だって
地元に帰った人だって
おれは止まったとは想わない
自分のpageを自分の手で
一枚めくった音なんだ
一枚めくった音なんだ」
「今抱えている苦しみには、ちゃんと意味がある。すべての生き方に失敗はない」

この歌によって気付いたという広美さん。

自分を変えてくれた「花男」のように、誰かの人生に影響を与えるような曲を作りたいと弾き語りで音楽を再開している。

修一さん(54)「もしも出会えていなければ」

生まれ育った岩手県釜石市で東日本大震災を経験した修一さん(54)。自宅は半壊、同級生や知人も亡くした。

ぼう然自失となる中で自宅に戻ってみると、誰かが土足で入った形跡があり、さまざまな物が盗まれていた。

3か月後、ふさぎ込む日々を送っていた修一さんは友人にライブに連れていかれた。そこで見たのが「花男」がボーカルを務めるバンドのライブだった。
「風鈴」
「もしもお前と出会っていなければ
この寂しさとも出会わずすんだだろうけど
もしもお前と出会えていなければ
あの永遠の夏のような思い出と出会えてなかったよ」
修一さん
「ライブ見に言ったら若い子たちが一生懸命やっていた。飛んだり跳ねたりして。こんな時におれ、こんなことしていいのかなと思いながらも自分にもふつふつと沸いてくるものがあった。聴いた曲たちに勇気をもらった。こんな若いのに負けてられないなって。今でも3月が近づくとこの曲たちを聞いて亡き友人たちを思い出すようにしています」

ひとりぼっちだった気持ちが分かるから

札幌市出身で妻のふるさと小樽市を拠点に活動するシンガーソングライター「花男」さん(43)。
24歳の時、バンドのボーカルとしてメジャーデビューを果たす。

しかし、曲作りがうまくいかなくなったり、メンバーが抜けたりして、20代後半でレコード会社との契約が終了。

失意の中で味わった孤独や子どものころに感じた疎外感が、今ソロとなって続けている音楽活動の原点になっているという。
「花男」さん
「やっぱりかつての自分がそうだったように、ひとりぼっちな瞬間に寄り添える音楽を作りたいです。ひとりぼっちだった気持ちが分かるから誰も一人にしたくない、置いていきたくないっていうのが強いですね」
根底にあるのは「暮らしのぬくもり」や「泥臭い生きざま」、孤独や弱さに向き合う姿勢だ。

被災した人たちとの地道な交流も続けている。

仁さん(43)「 いつでもこの町帰って来いよ」

福島県浪江町出身の仁さん。

東日本大震災発生当時住んでいた南相馬市原町区は福島第一原子力発電所から30km圏内。近所のほとんどの人たちが、避難していくなかで、一緒に暮らしていた友人と自分だけが取り残されたような感覚に陥ったという。
仁さん
「原発事故の影響がどれくらいかもわからなくて。仕事はいかなきゃいけないから原発近く通って工場に行って。夜になれば、だれもいないし、人っ子ひとりいなかった。怖くてとりあえず寝ている時もずっとテレビつけっぱなし。経験したことないが、戦時中みたいでしたよ」
「花男」は震災発生直後に行った復興支援ライブをきっかけに、仁さんといっしょに3年後のロックフェスティバルの開催に力を尽くした。

「花男」は、楽しいお祭りの一日にしたいと花火を打ち上げるための資金集めに自ら奔走したという。
「ヒバリ」
「瓦礫と呼ばれる者たちは誰かの宝物 
汚れない思い出はいつだって胸の中
壊れた建物は音楽じゃなおせないが
壊れかけた心なら音楽が抱きしめてくれた
いつでもこの町帰って来いよ
南相馬の騎馬武者が故郷で叫んでいる」
当日は、久しぶりに戻ってきた人もいて、「ただいま!」「おかえり!」という声も飛び交った。

今でも南相馬市で1人暮らししている仁さんと「花男」の交流は続いている。

コロナ禍「乗り越えてきたキミが 今そこにいる」

ギター片手に全国を飛び回っていた「花男」。
新型コロナの感染拡大に見舞われライブ活動は制限せざるを得なくなった。

追い詰められた状況の中でインターネットでのライブ配信を始めた。
ライブ中に書き込まれるコメント1つ1つに必ず返答し、友人と電話しているかのように接する「花男」。
「素晴らしい人生じゃないか」
「悲しい夜もあったよな
 消えたい夜もあったよな
 乗り越えてきたキミが
 今そこにいるんだよな」
特に、さまざま行事が中止され、子どもたちの笑顔が失われるのを目の当たりにしていた学校関係者からは、「悩んで、前を向けない生徒たちに聞かせてあげたい」といった声も寄せられたという。

ひとりぼっちにしない

「page」
「恥をかいた数は闘った数だ
ずっこけた数は進もうとした数だ
まちがえた数はまちがえじゃなかったと想える」
ささいなミスに落ち込み、勝手に重く受け止めてしまう癖のある私。
この歌詞に出会ったのは上司や先輩の信頼を失ってしまったんじゃないかと不安に駆られていたときだった。

「誰も置いていきたくない、ひとりぼっちにしない」

せわしなく過ぎていく日々の中で様々な場面で感じる孤独。
そんな人たちに寄り添う音楽を小樽の地から発信し続けてほしいと願っている。
札幌放送局映像制作
三砂安純
2021年入局
ふだんはニュースの編集を担当
地元の音楽にまつわる取材をしています