【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(26日の動き)

ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻が続いています。
ウクライナの各地でロシア軍とウクライナ軍が戦闘を続けていて、大勢の市民が国外へ避難しています。戦闘の状況や関係各国の外交など、ウクライナ情勢をめぐる26日(日本時間)の動きを随時更新でお伝えします。
(日本とウクライナは7時間、ロシアのモスクワとは6時間の時差があります)

ゼレンスキー大統領「今も600万人以上停電の影響受けている」

ウクライナのゼレンスキー大統領は、25日に公開した動画で、ロシア軍のミサイル攻撃による停電で、今も600万人以上が影響を受けていることを明らかにしたうえで、「きょうの重要な課題もエネルギーだ」と述べました。

ミサイル攻撃があった23日に比べて停電の影響人数は、半数程度まで解消したものの特に首都キーウとその周辺、西部のリビウ州とビンニツァ州、南部のオデーサ州、東部のドニプロペトロウシク州で依然、深刻な状況だとしています。

一方、ゼレンスキー大統領は25日、ロシア軍のミサイル攻撃を受けた集合住宅や、電力不足に苦しむ市民の支援のために設けた、電気やインターネットなどを無料で使える場所を視察しました。

こうした場所は国内の4000か所以上に設置されているということで、各自治体に市民生活を少しでも改善させるよう求めました。

電源喪失のウクライナ3原発が復旧

IAEA=国際原子力機関のグロッシ事務局長は25日、声明を発表し、原子炉の冷却などに必要な外部からの電力の供給が途絶えていたウクライナのリウネ、フメリニツキー、南ウクライナの3つの原子力発電所が送電網に再び接続されたと明らかにしました。

ウクライナでは、11月23日に国内の全ての原発にあたる南部のザポリージャ原発と今回の3か所の原発で一斉に外部からの電力供給が途絶え、グロッシ事務局長は、原発の安全を脅かすあらゆる軍事行動をやめるよう求めていました。

ザポリージャ原発が11月24日に送電網に再び接続されたのに続いて、今回の3か所の原発も外部からの電力供給が復旧したことになります。

停電続くキーウではガソリンスタンドで仕事

ロシア軍によるインフラ施設への攻撃によって、広い範囲で停電が続くウクライナの首都キーウでは、かろうじて電気が来ているガソリンスタンドにパソコンを持ち込んで仕事する人の姿も見られるなど、市民は困難な状況下での生活を強いられています。

キーウは、23日のロシア軍のミサイル攻撃によって市内全域が停電になり、復旧作業が進められていますが、市当局は、今月24日現在、依然として70%が停電していると発表しました。

多くのオフィスや自宅で暖房が使えないほか、インターネットも通じなくなっています。

このうち、かろうじて電気が来ているガソリンスタンドの飲食コーナーでは、多くの人たちがパソコンを持ち込んで仕事をしていました。

銀行で働く37歳の女性は、「停電でインターネットが通じず、世界から切り離された気分ですが、こうした場所のおかげで仕事が出来てありがたいです」と話していました。

ウクライナ “ホロドモールから90年”で追悼

ウクライナでは、毎年11月の第4土曜日が「ホロドモール」の犠牲者を追悼する日になっていて、この歴史を忘れないようにするため、さまざまな催しが行われています。
首都キーウにある国立の博物館では、ことしが「ホロドモール」から90年の節目になるのにあわせて、当時の様子を記録した写真の特別展が開かれています。

この中では、当時、東部ハルキウなどに住んでいたオーストリア人の男性が、当局の監視の目を逃れて撮影した49枚の写真とともに、撮影に使われたカメラなどが展示されています。
このうち、手書きで「飢え」と説明が書かれた写真には、道ばたに倒れた人のそばを住民が通り過ぎていく様子が写されていて、飢えで多くの人が亡くなることが日常になっていたことを表しています。

また、死亡した人たちが埋葬された集団墓地を撮影した写真なども展示されています。

ウクライナでは、ソビエト時代に起きたホロドモールと、ロシアによる今回の軍事侵攻を重ね合わせる国民も多くいます。

展示会場を訪れたトカチェンコ文化情報相は、NHKのインタビューに対し「残念ながら、今回もホロドモールと同じようにウクライナの国家とアイデンティティーに対する攻撃が繰り返されてしまった。今回の戦争だけでなく、ホロドモールも知ることが世界に対する大きな警鐘となるだろう」と話していました。

「ホロドモール」とは

「ホロドモール」とは、1932年から1933年にかけて、ウクライナを襲った大飢きんで、数百万人が亡くなったとされています。

ウクライナ語で「飢えによる虐殺」を意味し、ウクライナでは、当時のソビエトのスターリン政権によって人為的に発生させられた飢きんだったとされています。

背景には、スターリン政権が当時、農家を強制的に集団農場に編入させる中で、統治していたウクライナの農村地帯から徹底的に食料を没収していたことがあると指摘されています。

ソビエト崩壊後、実態が少しずつ明らかになり、ウクライナ政府はソビエトによるウクライナ人に対する集団虐殺「ジェノサイド」だったと位置づけています。

ホロドモールの記録を伝える首都キーウにある国立の博物館によりますと、ホロドモールをめぐっては、これまでに欧米などの18か国がジェノサイドと認めているということです。

一方、ロシア政府は、飢きんはソビエト全土で起きていたなどと反論し、ジェノサイドという認識を否定してきました。

日本政府は「評価する立場にない」とする一方、こうした悲劇が2度と繰り返されてはならない、という考えを示しています。

当時を生き抜いた102歳の女性

ウクライナ北西部ジトーミル州に住むリュボーフ・ヤロシさんは102歳。

12歳のときに大飢きんに見舞われました。

ヤロシさんは6人兄弟でしたが、妹は餓死し、兄は近くの村で野菜を採ろうとしたところ監視員に見つかり、殴られて死亡したということです。

ヤロシさんは当時の状況について、「私たちは木の葉を食べて、しのごうとしていた。栄養失調で体が膨れあがり、横たわっているだけだった」と話しています。

ある日、小麦の穂をかき集めて家に持ち帰りましたが、監視員に見つかりすべて没収されたとして、「監視員に『なんてことをするの?食べるものは何もないのに』と泣き叫ぶしかなかった」と話し、ソビエトによる厳しい監視下にあったと証言しています。

ウクライナでは90年前の「ホロドモール」と、ことし2月からのロシアによる軍事侵攻を重ね合わせる国民も多く、ロシアへの徹底抗戦にもつながっているとも指摘されています。

侵攻開始後、ヤロシさんの3人の孫はウクライナ軍に従軍し、ロシア軍と戦っているということです。
ヤロシさん自身も、ボランティアで、ウクライナ軍の兵士が戦場で体を覆い隠すことができる服を作る作業に参加しました。

ヤロシさんは、「旧ソビエト時代のような恐怖に満ちた生活はもうしたくない」と話していました。

そのうえで「戦争が終わるというラジオでの知らせを待っている。その時まで生きていたい」とうつむきながら話し、軍事侵攻が一刻も早く終結するよう訴えていました。