300年の“情熱のバトン”~昆虫画家メーリアンに魅せられて

300年の“情熱のバトン”~昆虫画家メーリアンに魅せられて
年季が入った革表紙の大型本を開くと、そこに南米のジャングルが広がりました。

青く光る大型のモルフォチョウ、奇怪な長い脚のカミキリムシ、今にも動き出しそうな大型のイモムシやトカゲ。

エッチングに手彩色で描かれたこの極彩色の図版が、まさか300年前のものとはとても信じがたい思いでした。

著者はマリーア・ズィビラ・メーリアン。欧米では高名な女性の芸術家です。

彼女に魅せられ、その最高傑作を日本語で完全復刻版として出版しようと挑んだ人たちがいます。300年の時空を超えて、昆虫好きがつないだ“情熱のバトン”を紹介します。

昆虫画家 メーリアンの情熱

今から320年ほど前の1699年。日本では「生類憐れみの令」で知られる江戸幕府5代将軍・徳川綱吉の時代の話です。

オランダから南米に向かう帆船に、50歳ほどの女性が娘とともに乗り込んでいました。
向かった先は当時オランダ領だったスリナム。

入植者がジャングルを開墾してサトウキビのプランテーションを経営していたものの、赤道直下の過酷な環境は「焦熱の緑の地獄」とも形容されるほどでした。

そんな過酷な環境にこの女性はなぜ身を投じたのか。その理由は「昆虫を中心とした自然を見たいから」なのでした。
女性の名はマリーア・ズィビラ・メーリアン。ドイツ・フランクフルト生まれ、オランダで活躍した女性の芸術家です。

少女時代から昆虫に魅せられ、野外で幼虫を見つけては、その変態の過程を観察してきました。非常に精密に描かれた昆虫画は高い評価を受けました。

オランダは当時、海外に植民地経営をしていたので、現地からさまざまな美しい動物が送られてきていました。メーリアンはこれまで目にしてきたヨーロッパの昆虫とはあまりに違う外見と多様性に心を奪われました。

しかし、やがて、標本だけでは満足できなくなっていきます。メーリアンが見たかったのは、多様な昆虫が卵から成虫までどう姿かたちを変えていくのか、そのありのままの姿だったからです。
メーリアン
「オランダでは、東インドと西インド諸島から、なんと美しい動物を取り寄せているかを知って驚きました。…多くの人々のコレクションも拝見しました。そこで無数の多種多様な昆虫を見ましたが、それらの昆虫の発生と繁殖の過程は見られませんでした。…幼虫からさなぎになり、さらに変態する過程については全く知ることができなかったのです」 (出典 スリナム産昆虫変態図譜より)

命懸けの航海 そして観察と研究

ついにメーリアンは現地に行って、自分の目で昆虫を観察することを決意しました。今のように交通機関も通信手段も発達していなかった時代です。

オランダからスリナムに渡るだけでも命懸けの航海でしたが、ついにスリナム上陸を果たしたのでした。
メーリアンは現地で娘とともに2年滞在しました。

現地人の案内でジャングルに分け入って、目につく昆虫を採集し、持ち帰って飼育しては、スケッチしたのです。

砂糖のプランテーション経営が関心事の入植者たちから見れば、何の得にもならない研究に没頭するメーリアンは到底理解できない存在で、時に嘲笑を受けたと伝えられています。
当時の寿命からすれば初老と形容してもよい50すぎのメーリアンにとって、長年暮らしてきたヨーロッパの冷涼な気候とはあまりに異なる熱帯気候は身体にこたえました。

それでも森に分け入って虫を探し、持ち帰って飼育し、つぶさに観察してスケッチする。過酷な環境の中で、ただ絶えざる昆虫への情熱を燃やし続けた2年間でした。
滞在を終えてオランダに帰ったメーリアンは、スリナムで辛苦の末に観察・研究した成果を60点の彩色エッチングにまとめ、解説とともに豪華本「スリナム産昆虫変態図譜」(Metamorphosis insectorum Surinamensium)として1705年に出版します。
この図譜は大好評を収め、再版も望まれましたが、メーリアン自身はそれを見届けることなく1717年に69歳の生涯を閉じました。

死後、残された図版を追加して1719年に第二版、1726年に第三版がそれぞれ刊行されました。

昆虫画を芸術の域に

図版の1つを見てみましょう。

これはブドウについていた大きなイモムシを飼育し、羽化したガを描いたものです。太い胴体を持ち、花の蜜を求めて力強く飛び回るスズメガの仲間ですが、2種類の異なる種が明確に描き分けられています。それぞれの幼虫、さなぎ、成虫がブドウとともに1枚の絵の中にみごとに配置されています。

このすごさを十分に表現するのは容易ではありません。まず当時の時代背景を考えてみましょう。
専門家によれば、当時昆虫は腐肉や排せつ物から自然発生すると信じられ、虫けらを飼育して観察するなどという怪しげなことをする女性は「魔女」として迫害されたり、処刑されたりしても不思議では無い時代だったそうです。
「スリナム産昆虫変態図譜」の初版が出版された1705年といえば、動植物に名前を付ける「分類学」という学問の父とも呼ばれるカール・フォン・リンネが「自然の体系」を出版する30年も前、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」で進化論を提唱した150年も前のことです。

昆虫学という学問がまだ確立していなかった時代に、正確なスケッチで昆虫の形態を描写し、卵から幼虫、さなぎを経て成虫となるその生態を詳細に記録したことは驚きです。

さらに学問的な価値もさることながら、昆虫の変態の経過を1枚の絵に閉じ込めた構成力や巧みな配置、昆虫画を芸術の域にまで高めたことも見逃せません。
欧米諸国でのメーリアンの知名度は高く、300年の時を経ても忘れられることなく顕彰され続けています。

生まれたドイツでは切手やお札にもなっているほか、さまざまな都市の通りや学校の名前にもメーリアンを冠したものが多くあります。

没後300年の2017年にはオランダの王立図書館やアムステルダム大学などが共同で「スリナム産昆虫変態図譜」の初版本の復刻版を出版しました。

300年という時間のヤスリに削られることもなく、メーリアンの業績は今もさん然と輝き続けているのです。

ある自然史愛好家の情熱

人の情熱というものは、時に想像もつかないほど烈しく燃え上がるもののようです。

メーリアンの最高傑作「スリナム産昆虫変態図譜」の原本を個人で入手しようという、半ば大それた野望を実現してしまった人が栃木にいます。
白石雄治さん(77)。幼少時からチョウの魅力に心を奪われ、会社経営で多忙を極めるかたわらチョウを追って30数か国を旅してきました。

好きが高じて、ブラジル・アマゾン川中流の都市マナウスに友人たちと共同で博物館を設立するほどののめり込み方でした。

そんな白石さんは生き物としてのチョウを追っているうちに、徐々に17世紀から20世紀の博物学の時代の書籍に心を奪われるようになりました。写真も無かった時代に、紙の上に正確な姿を再現すべく最高の技術を持った職人たちが挑んだ図版はまさに芸術品そのものです。
白石雄治さん
「アジアやアマゾンのジャングルでチョウを追っていた現役の時から古今の図鑑に興味を持って集め、目を通してきましたが、あるとき本で紹介されていたマリーア・メーリアンの描いた絵がとりわけ印象に残りました。ただ将来自分は手にすることはできないだろうと思っていました」

原本を入手 価格は…

世界のジャングルでチョウを追う旅が、いつしか書籍の森の中で幻の本を捜す旅になっていきました。

あるとき、バラで売られていたメーリアンの図譜の図版1枚をついに入手しました。その完成度の高さに驚いた白石さんは、原本を何とか手に入れようと情熱がますます燃え上がりました。
古書店を通じて海外で出物が無いかを探すためにあらゆる努力を重ねました。

しかし、大英博物館やスミソニアン博物館、パリ自然史博物館など全世界の名だたる博物館や図書館にかろうじて原本が収蔵されている幻の本です。

日本には初版本はおそらく存在せず、国立国会図書館に1719年刊行の第二版、東京国立博物館に1726年刊行の第三版がある程度というレベルです。

探索は数年にわたりましたが、およそ40年前、ついにイギリスの貴族が手放したという一報が入りました。当時はポンドの価値が少し下がっていた時だったそうで、白石さんは悲願を果たすことができました。

でも、一体いくらで手に入れたのかについては堅く口を閉ざして語ってくれませんでした。

原本の迫力 “見られるように”

入手できたのは1726年の第三版、保存状態は驚くほど良好でした。

後に白石さんは、ロシア・サンクトペテルブルグのロシア科学アカデミー動物学博物館・動物学研究所で、あのピョートル大帝がコレクションしていたという原本を手に取って見る機会もありましたが、「私が入手した原本の方がずっと状態が良い」と笑って断言していました。
メーリアンの最高傑作を入手した白石さん。本のサイズにぴったり合う特注の桐の箱を作り、まさに家宝として大事に保管してきました。

11月のある日、特別に許可をいただいて白石さんの自宅で原本を拝見する機会を得ました。手袋を着用し、桐の箱から本を取り出すと細心の注意を払って開きます。

もちろん恐れ多くてとても私(記者)は触れることもできず、ページを繰る白石さんの横でただ息を殺して見守っていました。
300年前のものとは思えない鮮やかな図版が目に飛び込んできました。

図版のいくつかは書籍で紹介されていたのですでに知っていたものでしたが、やはり本物の持つ輝きは別格としか表現しようがありません。

メーリアンが目の当たりにした、スリナムのジャングルにすむ昆虫や植物、は虫類の姿がほぼ実物大で見事に再現されていました。
特に昆虫が卵から幼虫、さなぎを経て成虫へと変貌を遂げる変態に尽きせぬ興味を抱いていたメーリアン、1枚の図版に卵から成虫までの過程がすべて収められているのが強く印象に残ります。
幼虫などは今にも紙の上で動き出しそうな躍動感です。

念願だったメーリアンの図譜を入手した白石さんは、やがて、こうした希代の傑作を自分一人で楽しんでいてはいけないのではと自問するようになりました。
白石雄治さん
「これは本当の文化遺産で、たまたま私が預かっているにすぎない。独りで夜中にニヤニヤしながら見るものじゃ無い。個人で持っていていいものではないと思いました。誰でも見られるようにしないといけないと正直思いました」
何とか日本語訳をして完全復刻版を出版できないものだろうかと考えましたが、300年前のオランダ語とラテン語で書かれたテキストを翻訳する力量はありません。

そんな白石さんに旧知の仲間が朗報をもたらしてくれました。

ヨーロッパを訪問したときに、「スリナム産昆虫変態図譜」のドイツ語訳を入手してきてくれたのです。ドイツ語であれば、と翻訳を引き受けてくれた人がいました。

白石さんから情熱のバトンを受け取った人、それが次の章の主人公です。

老ドイツ文学者の情熱

その人は東洋大学名誉教授の岡田朝雄さん。この11月で87歳を迎えたドイツ文学者です。

岡田さんも熱烈な昆虫好きです。

この記事を読んでいる皆さんの中には、中学校の国語の教科書でヘルマン・ヘッセの「少年の日の思い出」という作品を読んだことを覚えておられる方も多いと思います。
昆虫集めに魅せられた少年が、欲しくてたまらないクジャクヤママユというガの標本を友人のコレクションから盗んで壊してしまうストーリーは強く印象に残ります。

岡田さんは数多くのヘッセの作品を翻訳するだけでなく、昆虫の知識を生かして作品に出てくる昆虫の種を正確に同定して新たな日本語訳を提案するなど、ヘッセ研究の第一人者として知られています。
メーリアンの傑作「スリナム産昆虫変態図譜」を日本語訳するのは容易でありません。

単に語学ができるだけではダメで、図示されている昆虫についても知識が無いと正確な再現ができないのです。語学と昆虫、その双方に精通した岡田さんは翻訳には欠かせない貴重な存在なのでした。

とはいえ岡田さんも高齢の身。「これが自分にとって最後の仕事になる」という気概で臨みました。旧知の仲間が入手したドイツ語版をもとに翻訳の作業に入りましたが、早速困難に直面します。

翻訳には苦労も

このドイツ語版のテキストにはメーリアン自身が書いたものと、別人の植物学者が書いたものが字体も同じで、切れ目無く混在していたのです。

ドイツ語の「私」が、メーリアンを指すのか、それとも植物学者を指すのか、慎重な判断が求められました。原本では植物学者の記述はイタリックで印刷されていて、きちんと区別されていたにもかかわらず、何故かドイツ語訳版ではその区別がなされていませんでした。

岡田さんはメーリアンの記述は「です・ます」調で、植物学者の記述は「である」調で、明確に区別して訳出しました。

さらに、テキストには現在では使われていない植物の学名なども頻出していたので、その解読にも膨大な労力を割きました。またテキストに触れられている当時の通貨を現在の貨幣価値に換算するのも多大な労力を要しました。

とどめは、初版には掲載されておらず、第二版と第三版に追加された12の図版のテキストです。こちらについてはドイツ語訳が入手できなかったため、フランス語から翻訳をすることになりました。

これについては昆虫好きのフランス文学者・奥本大三郎さんが翻訳を引き受けてくれました。
岡田さんが長年培ってきた知人のネットワークを総動員して挑んだ「スリナム産昆虫変態図譜」の翻訳作業は、一大プロジェクトと呼ぶにふさわしいものでした。

岡田さんは翻訳を通じて改めてメーリアンのすごさを実感したと言います。
岡田朝雄さん
「翻訳は苦労もありましたが、楽しんでできました。昆虫学が未発達の時代に、一人の女性があれだけ精緻に昆虫の生態を観察して、それを彩色エッチングで完璧に描けたことは、まさに奇跡的なことです」

引き継がれた情熱のバトン

テキストの翻訳だけでなく、肝心の図版の色の再現も難関でした。

スタジオを2日間丸ごと借り切って、プロのカメラマンが原本の図版を1枚ずつ撮影しました。色が正確に再現されていないとして、すべて撮り直したことすらあったと言います。

そんな苦労の連続でしたが、構想から5年の歳月を経て、ついに「スリナム産昆虫変態図譜」の完全復刻版が完成しました。
サイズも原本と同じ、図版の色も細心の注意を払って再現した“完全復刻版”です。

テキストは日本語と英語が併記されています。300年の歳月と洋の東西という、はるかに隔たった時空を超え、昆虫好きが情熱のバトンを引き継いだのでした。
制作を指揮した白石さんは、多くの人に手に取ってほしいという願いから、全国47のすべての都道府県立の図書館や美術館にこの復刻版を寄贈しました。

受領した施設が蔵書として登録し、公開していれば、幻の傑作を誰でも手に取って見ることができるようになりました。
白石雄治さん
「何度も挫折しそうになりましたが、私が長年抱いてきた夢の実現に皆さんが協力してくれて感謝です。まだまだ日本ではメジャーではないけれども、300年前のあの時代に昆虫を見つめ、変態する姿を突き止めたというメーリアンの人間性そのものに触れるには、彼女の残したすばらしい図鑑が何よりも説得力があります。こんな人が居たことをぜひ知ってほしいです」

取材後記~情報の海の中で

現代に生きる私たちは日々膨大な量の情報が飛び交う海の中にいます。

限られた時間を最大限効率的に使おうと、「タイパ」(タイムパフォーマンスの略)なんて言葉が重宝される時代です。

そんな中、膨大な時間と労力をかけて作られたメーリアンの図譜と、それを完全復刻した今回のプロジェクトなどは、まさに「タイパ」とは対極の営みかもしれないと思います。

しかし、そうした営みに傾ける真摯(しんし)な人間の情熱こそが、300年も色あせない輝きを生み出したに違いありません。

鮮やかな図版からは、スリナムのジャングルに生きた虫たちと、あふれるほどの情熱でその描写に挑んだメーリアンの息づかいが、確かに感じ取れました。
(12月6日 追記)※当初掲載したメーリアンの晩年の肖像画は、長らく本人として書籍等で紹介されてきましたが、最近、メーリアンに関する書籍の改訂作業の過程で彼女ではなく、別人の肖像画であることが明らかになったと公開後に指摘がありました。(小川眞里子他訳 『科学史から消された女性たち』改訂新版 工作舎)このため画像を差し替えました。
ネットワーク報道部 デスク
斎藤基樹
記事の皆さんにはとても及ばないものの昆虫好き
詳細は冒頭リンクのNHK 取材note「ちょうちょ記者」をご覧ください