“失われた30年”を変えるチャンス?25人の専門家に聞く

“失われた30年”を変えるチャンス?25人の専門家に聞く
物価上昇のペースが一段と上がっています。総務省が11月18日に発表した10月の消費者物価指数は変動の大きい生鮮食品を除き前年同月比で3.6%上昇しました。上昇率は1982年2月以来、実に40年8か月ぶりの水準です。物価の上昇が暮らしを直撃し、日々のやりくりが大変だという方も多いと思います。今後、物価はどうなるのか。今回の特集では、11月19日に総合テレビで放送したNHKスペシャル「円安に物価高 どうなる日本 ~専門家たちの集合知で迫る~」で25人の専門家に取材した内容をもとに物価の先行きについて探っていきます。(経済部記者 古市啓一朗 NHKスペシャル取材班)

来年の物価はどうなる?

今回私たちが取材したのは、金融機関やシンクタンクのエコノミストやアナリスト、大学の教授や元日銀の幹部など総勢25人。10月下旬から11月中旬にかけて円相場や物価、賃上げの見通しについて話を聞きました。

来年、日本の物価上昇のペースはどうなるのかと聞いたところ、「現在のペースより上昇する」と答えた人が2人。
「現在のペースと同じかやや低下」と答えた人は23人。

強弱はあるものの、全員が今より物価は上がると答えました。
こうした多くの専門家の見方は日銀の見通しにおおむね沿った形になっていると言えます。

日銀は2%の物価安定目標を掲げていますが、黒田総裁は、10月の消費者物価指数の上昇率が3.6%の伸びとなったことについて、「かなりの上昇になっていることは事実だが、賃金の上昇を伴う形で安定的、持続的に2%の物価安定目標が達成されている状況にはない」と述べました。

そのうえで来年以降は、物価を押し上げている資源高などの要因が薄れてくるとして、来年度の消費者物価の上昇率は2%を下回るという見通しを示しています。

ただ、専門家からは、状況によっては物価上昇が加速するリスクもあるという指摘もあがっています。
元日銀理事 早川英男さん
「コストプッシュ型のインフレは一時的で、来年度以降の物価上昇率は1%台になるというのがメインシナリオだ。ただしメインシナリオではないが、インフレが加速するリスクはある。インフレ動向を見る上でポイントとなるフィリップス曲線(物価上昇と失業の関係を示す曲線)は、かつてはべたっと横に伸びていた形が、コロナ以降、いびつに上に上昇している。このためFRBはじめ、中央銀行がインフレを読み間違えた。日本も失業率は低いが、インフレとなっていて、フィリップス曲線はいびつな形であり、インフレを読み間違えるリスクは念頭に置くべきだ」

物価上昇の主因は円安に

物価上昇の原因は何か。その1つが輸入品の価格が上がっていることです。
専門家からは輸入物価の押し上げ要因について、当初は原材料価格の上昇だとされていたのが最近では円安の影響が大きくなっているという指摘が出ています。

それを裏付けるデータとして専門家が注目するのは日銀が毎月発表している企業物価指数のうち、「輸入物価指数」という指標。ことしの春ごろから円安要因(青の部分)が大きくなっているといいます。
BNPパリバ証券 河野龍太郎さん
「今は輸入物価上昇の主たる要因は円安ということになっている。本当に限られたモノ以外は上がりも下がりもしない状況が基本的に続いてきたが、今回の世界的なインフレと円安で少し変わりそうだ。平均的には毎年多くのモノが1%前後の上昇が起こりうる世界に変わっていくだろう」
円安傾向が続き、物価をさらに押し上げるという見方が広がるとどうなるのか。

専門家からは消費者や企業の心理が冷え込み、景気の悪化につながるおそれがあるという指摘も出ています。
野村総合研究所 木内登英さん
「円安を主因に物価高が長期化するとの懸念を企業や家計が強めるおそれがあり、それが経済を悪化させる。世界的には、景気を犠牲にして、物価高の定着が回避される方向だが、日本でも経済が犠牲となる一方で物価は安定を取り戻すのではないか」

企業や消費者の意識も変わる?

一方、専門家からは、企業や消費者の意識が「物価は上がる」という方向に変化し、それがさらなる物価上昇につながる可能性があるという指摘もでています。

専門家が注目するのは、日銀が3か月に1度9000社以上の企業に尋ねている短観=企業短期経済観測調査。この中にある「企業の物価見通し」の調査結果です。
1年後の販売価格の見通しについて、企業はことし3月の調査では平均で2.1%の上昇を見込んでいましたが、9月の調査ではこの見通しの数値が3.1%に高まっています。
三菱UFJモルガン・スタンレー証券 六車治美さん
「物価全体の見通しが上がっても販売価格の見通しはあまり上がらなかったという時期もあったが、最近は販売価格の見通しも上がっている。企業はこれまで原油価格が上がって物価全体が上がりそうだけど、自分自身の販売価格は上がらないというような見通しだったが、うちの販売価格も上がるというように変わっている。これは必要な値上げはして消費者が受け入れてくれるような魅力ある商品やサービスを作ろうとか、あるいは、値上げをする代わりにこういうサービスを付けようとか、そのように工夫するようになっているということだ」
このように企業の間で物価上昇分を価格に転嫁する動きが広がっているという見方がありますが、価格に転嫁できず収益が上がらない企業は多いという指摘も出ています。
東短リサーチ 加藤出さん
「今起きている値上げは、特に内需型の企業でマージン(利ざや)が圧縮された部分を少しでも取り戻そうという値上げであって、逆に収益が圧迫されている企業もたくさんある。今の物価上昇がいい方向に向かうには、同時に収益を上げられる企業をいかに増やしていくかが大事だ。急に好循環が生まれる可能性は低く、やはりここには構造改革が重要だ」
一方、消費者の物価観にも変化の兆しが出ているという分析もあります。

東京大学大学院教授の渡辺努さんが日本やアメリカ、イギリスなど5つの国で行ったアンケート調査。「今後1年で物価はどうなると思うか」という質問に対し「かなり上がる」と答えた人は、去年8月の調査で日本では10%未満となり、30%から40%程度だった欧米各国とは大きな開きがありました。

しかしことし5月の調査では日本も40%程度まで上昇しました。

渡辺さんは、日本の消費者も「物価は上がるものだ」という意識に変わりつつあると見ています。
東京大学大学院教授 渡辺努さん
「日本はずっと物価が上がらない状態が続いてきたので、今、社会的な混乱が起きている。やるべきことは賃金を上げること。賃金の上昇に結び付けることができればいい方向なんだと思う。日本の生活者は、消費者としての権利、例えば値上げを嫌うなどの主張をするが、労働者として賃金を上げてほしいという主張は希薄だ。組合が交渉してくれたら上がるというのではなく、賃上げを権利として大事なこととして要求すべきだ」
物価上昇によって、日本はデフレ下で先送りをしてきた課題に向き合うことを余儀なくされると指摘する専門家もいます。
慶応義塾大学教授 小林慶一郎さん
「今は物価が上がり始めたので、いずれは金利も上げていこう、正常なマクロ経済環境を作っていこうということに今ちょうど移れるタイミングなのだと思う。ただ、金利が上がれば国債の利払いが増えて国の財政が苦しくなるので、国の財政をどうやって維持するかもっと真剣に考えないといけない。このように今まで考えてこなかったことを考えないといけない時期になってきた。これまで先送りをしてきたさまざまな改革が目前に迫ってきている。経済の体質を変えるチャンスでもある。政策を変えてこれまでと違うやりかたで成長を実現する、そのためのチャンスが今インフレという形で来ているのかもしれない」

日本経済の体質を変えるチャンス

このように今回取材した専門家の多くが、今の物価上昇は、賃上げを促して経済の好循環を生み出し、日本経済の体質を変えるチャンスでもあると指摘しています。

日本経済が“失われた30年”とも呼ばれる状態から脱却する手がかりをつかむことができるのか。そして今度こそ変わることができるのか。未来を築くための重要な局面にあると言えます。
経済部記者
古市 啓一朗
2014年入局
新潟局を経て経済部
金融を担当