“ふるさとを守りたい” 中越地震の記憶とUターンした25歳

“ふるさとを守りたい” 中越地震の記憶とUターンした25歳
18年前の新潟県中越地震で震源地となり、最大震度7の揺れで甚大な被害を受けた新潟県の旧川口町。

復興は進んだものの人口減少と高齢化に歯止めがかからず、そこにコロナ禍が追い打ちをかけています。

地区唯一のスーパーマーケットの存続も危ぶまれる中、地域の暮らしを守りたいと、東京からUターンして店を支える25歳の男性がいます。

彼をふるさとにいざなったのは幼き日の地震の記憶と母の背中でした。
(新潟放送局記者 野尻陽菜)

“地域密着” ただ1つのスーパー

旧川口町(現在の長岡市川口地区)のスーパー「安田屋(あんたや)」。扱う商品は肉や野菜、総菜から日用品まで多岐にわたり、地区の人々の暮らしを支えています。
2022年の春からここで修行を始めた人がいます。この店の長男、山森健也さん(25)です。

ゆくゆくは店を継ぎ、仕入れから販売、経理まですべてを取りしきらなくてはならない健也さん。朝から晩まで勉強の慌ただしい日々を送っています。
山森健也さん
「メンチカツを素早く、均等な大きさにするのが難しいです。ベテランのパートさんは僕の半分の時間で出来るんです。総菜は作る量も多いので、家で作るより味の加減がずっと難しいです」

“育った店なくしたくない”

健也さんは地元の高校を卒業したあと東京の大学に進学。そのまま都内の企業に就職しました。OA機器を扱う会社で営業に取り組む日々にやりがいを感じていました。
「いつか地元に戻るのかな」

そんな漠然とした思いはあったものの、スーパーを継ぐことを真剣に考えたことはなかったといいます。
心に変化が生まれたきっかけはコロナ禍でした。

離れて暮らす家族を案じて電話で話す回数が増える中、実家の状況を初めて知りました。もともと人口減少や高齢化で経営が厳しかったところにコロナ禍が直撃。売り上げが激減し、店をたたむかどうかの瀬戸際という現実を突きつけられたのです。

「地区唯一のスーパーがなくなれば生活がままならなくなる人たちがいる」

健也さんは会社を辞め、ふるさとに戻ることを決めました。
山森健也さん
「人が減っているとはいえ、ここで暮らしている人はいるんです。必要としてくれている人がいるからこそ、今の場所でスーパーをやっていくことに価値があると思いました」

地域のため 働いた母の背中

健也さんが守りたいと思った地域の暮らし。それは2004年の新潟県中越地震の時に母親の瑞江さんが懸命に守ろうとしたものでした。
18年前の2004年10月23日、穏やかな日常を新潟県中越地震が襲いました。震源地の旧川口町は最大震度7の揺れによって、町全体の80%近い住宅が半壊以上の被害に。自宅を兼ねていた店は1階部分が押しつぶされました。
当時7歳だった健也さんは家族と一緒に店の隣にある町役場の駐車場に避難しました。

相次ぐ余震に人々が身を寄せ合う中、母親の瑞江さんは崩れかかった店からお菓子やパンなど食料を抱えられるだけ持ち出し、地域の人たちに配って歩きました。

その姿が今も目に焼き付いていると健也さんは語ります。
山森健也さん
「当時は小さかったので母に危ないところに行ってほしくなくて、泣いていたのを覚えています。今考えると、自分の身をさらして危険なところに行って商品を持ってくるというのはすごいことだなと。誇らしいですし、そのことを今でも覚えていてくれる人もいるんです」

店を継ぐ 苦労知る母は

「店が無くなれば川口がだめになる」。

健也さんの両親は1億円以上かけて店を再建しました。しかし、人口減少に歯止めはかからず、地震前に約5700人だった人口はあれから18年後の今、4000人を下回っています。

店のかじ取りを続けてきた瑞江さんは息子の選択に複雑な思いもあったと明かします。
瑞江さん
「経営はずっと大変です。楽しいことやうれしいこともあったけど、ここ10年くらいは本当に大変。親として苦労は本当はさせたくないんですよね…。でも、健也が『店を継ぐ』と言ってくれた時はうれしい気持ちが多かったかな」

地域と店の絆 つなぎたい

「家族が守った店を今度は自分が盛り上げていきたい」。

ふるさとに戻った健也さんが最初に取り組んだのはこれまで行っていなかったSNSでの情報発信でした。
特売情報を投稿すると新しい客が店を訪れてくれるようになったといいます。SNSをきっかけに知り合った企業から新商品を仕入れるなど新しい動きも生まれ、売り上げは徐々に回復しつつあります。
健也さんが「一番好きな仕事」と語ってくれたのは、“地域密着”ならではの配達です。

高齢者が多い川口では買い物に来られなかったり、重い商品を持ち帰れなかったりする人が少なくありません。そこで電話で注文を受け、無料で配達を行っているのです。

そして、特産のコイや手作りの総菜などこの店でしか買えない品を増やし、地域との絆を守りながら新しいスーパーを作りたいと意気込んでいます。
山森健也さん
「小さい頃は大変そうだし休みもなさそうだし『やりたくないな』と思って見ていました。でも今は、大変そうだけど価値ある仕事だと思っています。ここでスーパーをやってお客さんのために働くのはすごいことだという感性に変わりました。母が守ってきたものを受け継いでいくという思いです」

取材後記~復興 その先へ

川口を歩いていると、人の温かさや親しみやすさの一方、人口減少や高齢化の波が押し寄せる厳しい現実を実感します。

そうした場所で店を継ぐと決めたのは並大抵のことではありません。

健也さんと周りの人たちが交流する様子を取材で見るたびに、一生懸命働く家族や従業員、店を必要とする人たちに囲まれて育ったからこそ、地域の暮らしを何よりも尊く思い、その人たちのために働こうと決断したのだと感じました。

「自分しだいでどうにでもできますよ」と笑顔で語ってくれた健也さんのこれからが本当に楽しみです。
新潟放送局 記者
野尻陽菜
2020年入局
2022年8月から長岡報道室
「安田屋」の取材で生まれて初めてコイの刺身を食べました。とてもおいしくオススメです!