保育士に救われた私 なのになぜ…相次ぐ離職 変わらない基準

保育士に救われた私 なのになぜ…相次ぐ離職 変わらない基準
私は悲しい気持ちで、息子の1歳の誕生日を迎えました。

「こんなにできることが少ないまま、1歳になっちゃった…」

子どもの発達の遅さが不安だったのです。

ところが、保育所に入ると状況は一変しました。保育士の先生が、息子の小さな成長を毎日見つけて一緒に喜んでくれ、私も心が軽くなりました。

保護者にとっては子育てのパートナーとも言える保育士。しかし、今、その保育士たちの働く環境は厳しさを増しています。

いったいなにが起きているのでしょうか。
(首都圏局記者 氏家寛子)

保育士に救われた

冒頭の写真は、5年前、1歳の誕生日を迎えた私(記者)の長男です。

寝返り、はいはい、お座りなど発達は育児書よりもだいぶゆっくりのペースでした。

子どもと近い月齢のママ友と話があわなくなり、孤独でした。

「私の育て方が悪いのではないか」と悩み、子どもと向き合うこともつらく感じていました。

そのためか、かわいい盛りのはずの当時の写真は手元にあまり残っていません。
ところが、保育所に入ると状況は一変しました。

保育士(以後は先生と記します)は、息子の小さな成長を毎日見つけて、私に伝えてくれました。

当時の連絡帳を読み返すと、そこには「だんだん、おにいさんになっていきますね!」と記されています。

そんな温かいコメントに本当に励まされました。

さらに、送り迎えの短い時間のなかでも、先生は、子どもが頑張ったことなどをその状況が目に浮かぶように丁寧に伝えてくれました。

私も子どもの良い面に目が向くようになり、心が軽くなりました。

私たち親子は「保育所」、そして「保育士」に救われたと感じています。

“母親として”育ててもらった

私と同じく、保育士を子育てのパートナーと感じる保護者は少なくありません。

「保育園の先生に育ててもらったのは、子どもだけでなく私もなんです」

こう話すのは、名古屋市の美容師、下里世志子さんです。

保育園児と小学生2人の合わせて3人の子どもがいる下里さんは、11年にわたり保育所を利用してきました。生後57日目で復職するため、頼りにしたのが保育所でした。
初めての子育てだった下里さんは、ミルクをあげるときの哺乳瓶の角度や離乳食の進め方など、多くの育児相談にのってもらいました。

初めての育児はわからないことばかりでしたが、保育士とのやり取りを重ね、自信をつけていったといいます。

私に対して「子どもの健康とか精神的な安定はお母さんが元気じゃないと、ということをいちばんに考えてくれた」と振り返りつつ、こんなエピソードを話してくれました。
下里世志子さん
「上の子が生まれる数日前に、自分の父が亡くなったんですね。そのショックもあったのか母乳も全然出なくて気に病んでいました。でも保育所に連れて行くと、『ミルクでいいですよ、罪悪感なんて持たないで』と言ってもらえて、子育てのプロからの言葉は本当にありがたく感じました。大変だった時のことも笑って話せるのは、先生たちに寄り添ってもらったからです。ママ友に、保育所を“第二の実家”と表現した人がいるんですけど、私も自分の実家の母以上にいろんなことを相談してきました」

“先生がいなくなった”

そんな下里さんですが、ずっと気がかりだったというのが保育士たちの忙しさだといいます。

その思いを強くしたのが、以前子どもを預けていた保育所での出来事。子どもと丁寧に向き合ってくれた保育士が心を病んで休職してしまい、悲しい思いをしたからでした。
下里世志子さん
「一生懸命仕事をしてくれる先生ほど頑張りすぎてしまうことはあると思います。先生自身もつらいだろうし、慣れ親しんだ先生がいなくなってしまうのは、親も悲しい。そして、その気持ちを言葉にすることが難しい子どもは、突然、保育所に行き渋りしたり不安定になったりすることもあります。先生たちがもっと働きやすい環境で、長く楽しく働けるようになってほしい」
これを聞いて、私も同じ体験をしたと思い出しました。
当時私たち親子が利用していた保育所では、突然辞めてしまう保育士が後を絶ちませんでした。

いろいろな悩みを聞いてもらい慕っていた先生との涙の別れもありました。

人見知りする性格の長男にとっても、せっかく懐いていた先生が急にいなくなってしまったことはとても不安だったと思います。

先生は、私たち保護者や子どもの前ではいつも笑顔でいてくれました。しかし、当時は“働き続けるのが難しい労働環境なのだろうか”と感じつつも、それ以上、立ち入って聞くことはありませんでした。

相次ぐ離職の背景に何があるのか。保育士に子育てを支えてきてもらったひとりとして、あらためて関係者から話を聞くことにしました。

国の配置基準 戦後ほとんど変わらず

私たち親子にとっても大切な場所である保育所。取材を進めると、大きな疑問にぶつかりました。

それが国が決めているという保育士の配置基準という問題です。

実は、保育士の人件費は国や自治体が負担し、配置基準をもとに計算した人数分しか出ない仕組みとなっています。

例えば、0歳児であれば子ども3人に対して保育士が1人、3歳児であれば20人に保育士1人といった具合です。
私が驚いたのが、この国の基準が、戦後ほとんど変わらず1・2歳児は半世紀以上、4・5歳児は基準が制定された昭和23年から、一度も見直されていないことです。

取材すると、保育所の中には基準どおりの保育士の数ではやっていけないため、園の側が増えた人件費を負担したり、保育士1人あたりの手取りを減らしたりするなどして、対処しているところも少なくありませんでした。

こうした保育所は、ギリギリの経営を余儀なくされています。
さらに、近年、虐待の問題やコロナへの対応など、保育士たちが取り組まなくてはならない課題は増えるばかりです。

自治体の中には、独自の予算を組んで保育士を増やしているところもありますが、「子どもの安全にも関わる“保育の質”がどの地域に住んでいても保たれるように、国にこの配置基準を見直してほしい」という声は、取材した保育関係者が共通して口にした言葉でした。

“現場は崖っぷち保育です”

そうした厳しい保育現場の実情を、“崖っぷち保育”という漫画を通して訴えている保育士にも出会いました。
愛知県の保育士、坂本将取さん(34)です。

国の基準どおり、3歳児20人を1人の保育士でみたときの実態を知ってほしいと、自身の経験をもとに漫画を描き、ことし2月にSNSに投稿。話題になりました。
こちらが坂本さんの漫画です。保育園の給食の時間。

1人の保育士が20人分の配膳を終え、ようやくみんなで食事を始めます。

しかし、ほっとする間もなく、園児たちからは「スプーンをおとしちゃった」「へらして」といった声が次々と上がります。

保育士は「まっててね」と声をかけ続けながら、バタバタと1人で対応に追われる姿が描かれています。
坂本さんによると、給食の時間は毎日がこんな感じで、食べ物をのどに詰まらせるなどの事故が起きないよう気を張りつめて見守る大変さもあるといいます。

「子どもの安全を守るため、保育士たちが安心して働けるため、今の配置基準を見直してほしい」。

坂本さんの切なる思いです。
保育士 坂本将取さん
「若い保育士で、2年とか3年で自分は向いていないんじゃないかとやめてしまう仲間もたくさん見てきました。もう1人保育士が増えれば、そう思う人も救えるんじゃないかと思うし、その中で保育を受ける子どもたちや預ける保護者にとっても安心・安全の保育をしていけるかなと思います」

国の担当者に聞いた

こうした保育士たちの声を国はどう受け止めるのでしょうか。

配置基準についての省令を定める厚生労働省と保育所の運営費に関する予算を握る内閣府にそれぞれ聞いてみました。
厚生労働省 担当者
「基準を変えて配置すべき人数を増やすことは当然望ましいことに思えますが、地域によっては、必要な保育士が確保できない可能性があります。そうなると、基準を守れず運営できなくなる園が出かねません」
内閣府 担当者
「特に厳しいと指摘された3歳児については平成27年度から15対1に配置した場合、上乗せして給付しています。これは消費税を8%に引き上げた際の財源を充てました。しかし、1歳児と4・5歳児については安定財源の確保が課題となり、毎年度、予算確保に取り組んでいますが、実現できていないのが現状です」

専門家 “多様化する保育ニーズにあっていない”

専門家にも意見を伺ってみました。保育研究所の所長で、帝京大学元教授の村山祐一さんは、多様化した保育のニーズに、今の国の基準のままで対応するのは難しいのではないかと指摘しました。
保育研究所 村山祐一所長
「乳児保育や延長保育が増え、保育ニーズは多様化しています。それなのに、保育所の職員配置の改善が進んでいないのは問題だと思います。国の配置基準では保育ができず、職員ひとりあたりの給与を下げて、人数だけを確保する園もあります。ギリギリの人員配置では事故が起きやすく、重大事故も増えています。保育所の整備など“量の拡充”に力点が置かれて、“保育の質”の議論は後回しにされてきたのが現状です」

皆さんの意見お待ちしています

親として、ようやく仕事を終えて保育所に迎えに行き、子どもの顔を見てホッとした時に、「○○くん、きょうこんなことがあってね」と具体的なエピソードを聞けるとうれしい気持ちになります。

しかし、取材すると、保護者とこうしたささやかな会話をする時間さえとれない保育士の実情がみえてきます。

配置基準の改善は、保育士と保護者、そして子どもにとって大切な問題だと改めて感じます。

来年4月にはこども家庭庁も設置されますが、私たちは「保育現場のリアル」と題して、この問題を皆さんからの意見をもとに取材を重ねています。

ぜひこちらまでご意見をお寄せください。
首都圏局記者
氏家寛子
2010年入局
岡山局、新潟局など経て首都圏局
保育所に楽しく通う男の子2人の母