26年ぶりの発見 星野道夫のカメラと奇跡の写真

26年ぶりの発見 星野道夫のカメラと奇跡の写真
アラスカを拠点に厳しい大地に生きる“いのち”を撮り続けた写真家の星野道夫さん。その写真は死後26年がたっても評価が高く、著作は増刷を続けています。

その星野道夫さんの生誕70年の今年、26年以上眠っていたパノラマカメラが発見され、中のフィルムの現像に奇跡的に成功しました。

そこに写っていたのは、星野さんからのメッセージのような氷の大地に生きる“いのち”の輝きでした。
(NHKエンタープライズ 原田美奈子ディレクター)

撮り続けた“極北の生命の営み”

星野道夫さんは、1年の大半が雪と氷に閉ざされる極北の地、アラスカをたったひとりで旅し、撮影を続けてきました。自然や人を撮った写真は国内外で高い評価を受け、旅で深めた思いをつづった文章とともに多くの人の心をとらえています。
とりわけ情熱を傾けたのは、カリブーと呼ばれる野生のトナカイの大移動の撮影です。先住民でさえその姿を見られるものはほとんどいないといいます。
星野さんは最果ての原野でひとり1か月以上もトナカイを待ち続け、その幻の姿を写真におさめることに成功します。

そして撮影のテーマや舞台がアラスカからさらに大きく広がる中、1996年、43歳の時にロシアのカムチャツカ半島での取材中にヒグマに襲われ亡くなりました。

26年ぶりのカメラの発見

2022年は星野さんの生誕70年。大規模な写真展も企画され、私たちNHK取材班も星野さんの特集番組のため、撮影を進めていました。

そんな中、私たちが注目したのは星野さんのパノラマ写真です。これまでに14枚のパノラマ写真が作品として発表されていて、いずれも解像度が高く、圧倒するほどの美しさがあったからです。

しかし、このパノラマ写真を撮影したカメラを取材しようと探したのですが、機材類を保管していた場所にはなく、このカメラだけが行方不明であるとわかったのです。
それからしばらくして、私たちが取材のためにアラスカのフェアバンクスの自宅に行くと…遺族の直子さんが「あったんです!」とうれしそうに大きなケースを運んで来ました。

私たちは直子さんの手元を見てびっくりしました。カメラとは思えないほど大きなケースを持っていたのです。
アラスカの地下倉庫で26年間、忘れ去られていたケースを開くと、中にはずっしりと重たいパノラマカメラがありました。

それは、日本の富士フイルムがつくったパノラマカメラでした。

高精細で美しい写真が撮れるのですが、野生動物を撮影のために原野に持って行くことなどは考えられないほどの大きさと重さがあるカメラです。

保管場所が涼しくて真っ暗な地下倉庫だったことが幸いし、カメラにはカビひとつ生えていません。

星野さんが亡くなった後、撮影機材はすべて日本に持ち帰ったと思い込んでいたために長い間、地下倉庫で眠っていたことに気付かなかったのです。
そして、取材に同行していた写真家の大竹英洋さんがあることに気が付きます。

「カウンターが進んでいます…!」つまり、使用中のフィルムが残ったままの可能性があったのです。没後26年。2度と星野さんの新しい作品には出会えないと思っていただけに、全員が夢膨らむようでした。
星野直子さん
「使わない物が置いてある地下にはまさかないだろうと思い込んでいたんです。でも最後に探す場所はそこしか残っていませんでした。そうしたらこの箱があって。もしかしたらと思って開けたら、カメラがあったのでとてもびっくりしました」

フィルムは取り出せるのか

カメラに残っているかもしれないフィルムを現像するためには、フィルムを巻き取って取り出さなくてはいけません。

直子さんはアメリカの現像所をあたりましたが、26年という年月、しかも古い日本製のカメラのため「フィルムの取り出しはできない」という返事でした。

それならば、日本に持ち帰ろうと決断。ところが今度は空港の保安検査場の問題が浮上しました。検査のためのX線を照射されれば、フィルムはダメになってしまいます。

アラスカの友人らが協力して交渉を行い、カメラはX線を通さずに担当者が目視で検査することで飛行機に積み込む許可が下りました。

そして、ことし10月1日、直子さんは無事カメラを持って帰国しました。
空港からの移動中、ひざに抱えた大きなカメラに「おかえりなさい」とささやいた姿は、安どに満ちていました。

直子さんはどうかフィルムが無事であってほしいと願い、星野さんが最後に何を見ていたのだろうと、眠れなくなるほど考えた夜もあったそうです。

しかし、26年がたったフィルムが無事に現像できるのは奇跡でも起きないとできないと見られていました。

成功の確率は2~3割

帰国後すぐにフィルムの巻き取りと取り出し作業にかかります。

26年がたったフィルムでは巻き取りができる保証はなく、巻き取りに失敗すれば写真を現像することは不可能になります。成功の確率は2割から3割程度。そのため、取り出すのは直子さん本人が行いました。

カメラをつくった富士フイルムに協力をお願いして、同じモデルのカメラで何度もフィルムを取り出す練習をするなどサポートを受けたあと、静かな部屋で技術者が見守る中、本番に臨みました。

そして、大切な遺品のフィルムを手で巻き取ります。
キュルキュル…、不安な音が鳴りますが、技術者が「大丈夫です」と声をかけ、作業は進みました。

ほどなく、手の感触がふっと軽くなりフィルムが巻き取り終わったことがわかりました。

カメラの中にフィルムは確かに残されていたのです。

巻き取ったフィルムは現像にまわされました。現像に成功するか、結果がわかるのは数日後になります。

「タイムカプセル」のような贈り物

現像結果が入った封を開けた直子さん。淡いピンク色が目に入ります。

そして、そのピンク色の中に、像がしっかりと浮かびあがっていました。

「あ!」と言ってルーペで確認する直子さんはつぶやきました。
「ホッキョクグマだったんですね」

26年以上がたったフィルムが無事に現像でき、想像以上にはっきりと写っていたことに驚きました。

ホッキョクグマは星野さんが亡くなる数年前から積極的に被写体にした動物でした。

星野さんの撮影記録を調べた結果、このパノラマ写真を撮影したのは亡くなる前年の1995年、11月にホッキョクグマを最後に撮影した時のものではないかと推定されました。
経年劣化でピンクがかった写真は、親子のホッキョクグマが、氷に閉ざされた海の上をゆっくりと歩いている場面でした。

親子は何かの気配を感じ、ぴたりと体を寄せ合って遠くを見つめ、画面から歩いて消えていきます。

しかし、写真の主役のように存在感を発揮しているのは凍った海です。生き物を取り巻く環境をなによりも大切に考え、撮影してきた星野さんらしいパノラマ写真でした。

そして、淡い記憶のように、この光景が26年前の姿であることを強く意識させるものになっていました。
星野直子さん
「ホッキョクグマの生きている世界の広大さ、広がりをパノラマで表現したかったのかな。何が出てくるかな…とずっと思っていて、本当にタイムカプセルのようです」

写真展で公開決定

発見されたパノラマカメラと現像結果は、11月19日から来年1月22日まで東京都写真美術館で開かれる写真展に急きょ展示されることが決まりました。

私たちは星野さんのフィルムが保管されている事務所で、未発表のパノラマ写真を確認しました。このパノラマカメラで撮れるのは、1本のフィルムでたった8枚しかありません。

それでも同じ被写体の光を変え、時間を変え、何度も撮影していることがわかりました。重量のある機材を使ってでも、最高の一瞬を何としても伝えようとする強い思いが込められています。

今回の写真展では、星野さんが最後に見つめたものを多くの人と分かち合うために展示され、長い歳月を物語るピンク色もそのままの状態で飾られます。
東京都写真美術館 関次和子 学芸員
「星野道夫さんの資料は出尽くしたと思っていたが、カメラごと見つかったのは驚きです。豊かな動物の営みの一片が残されていて、この26年でいかに地球が変わったかを知る貴重なメッセージと感じます」

“閉そく感を癒やす” 星野道夫の作品

星野さんは人間には2つの大切な自然があると言ってきました。

一つは日々の暮らしの中で関わる「身近な自然」。もう一つは、訪れることのない「遠い自然」です。

「遠い自然」は、そこに在るという意識を持てるたけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる―。星野さんが伝えたかった「遠い自然」にあたる悠久の大自然の営みは、私たちの想像をはるかに超える圧倒的なスケールでした。
そのため、星野さんが旅したアラスカの大自然とそこに生きる人々に思いをはせた作品に、読者は閉そく感を癒やされ、生きる力を見いだすのかもしれません。

その一方で星野さんは、誰にも見られていない自然が徐々に人類の活動によって変わっていくことへの危機感をもち、自然の姿を記録する大切さも感じていました。
今回のピンク色に染まったホキョクグマのパノラマ写真は、写し出された26年前の姿が「今も残されていますか」「失われてはいませんか」と私たちに問いかけるメッセージのようにも思えました。
NHKエンタープライズ 自然科学部ディレクター
原田美奈子
大学では航海学を学び、船乗りを目指していた
「ダーウィンが来た!」など自然番組を担当