あの日、王者から得た人生観

あの日、王者から得た人生観
「人生にすごく大きな影響を与えてくれました」

サッカーワールドカップの大舞台で、王者ブラジルから日本選手として唯一得点を決めた玉田圭司さん。

16年前、あの試合で得たのは歓喜のゴールだけでなく、その後の生き方でした。
(ネットワーク報道部 記者 鈴木彩里)

玉田圭司さんのサッカー人生 “常に笑顔を心がけて”

玉田圭司さん42歳。

昨シーズンまでJリーグで23年間、日本代表では、フォワード一筋でプレーを続けました。

所属したクラブは4つ。

柏レイソル・名古屋グランパス・セレッソ大阪、そして、V・ファーレン長崎で現役を引退しました。

J1で通算366試合に出場し、99ゴール(歴代16位)を積み重ねました。

プロになって仕事としてサッカーに関わるようになった玉田さんが、常に心がけていたのは笑顔を絶やさないことでした。
玉田圭司さん
「どんな時でも笑顔を出すことが大切だと思っていました。そのためにサッカーを楽しむことが大事でした。小さいころからサッカーが楽しくてしょうがなくて、その延長線上でサッカー選手をやらせてもらったと思っていたので、仕事ではあるけど仕事ではないみたいな。仕事と思って臨むとあまりいい結果が出なかったり…」
幼稚園の年長からサッカーを始めた玉田さんは、小さなころから楽しむことで、技術のレベルも上がっていきました。

千葉県の強豪・習志野高校から柏レイソルに入団。
最初からプロ選手として華やかな道を歩き続けていたわけではありません。

年代別の日本代表に選ばれたことは1回もなく「ワールドカップはテレビで見るもの」という思いを抱いていました。

持ち味のスピードとドリブルを生かしてレギュラーとして活躍し始めたのは入団から4年後、初めて日本代表に選ばれたのもワールドカップの2年前でした。
玉田さん
「オリンピックとか年代別の代表に全く縁がありませんでした。ワールドカップを本当に意識し始めたのは、日本代表に初めて選ばれた時からなんですよね」

2006年の大舞台へ

このころからワールドカップへの道筋が見え始めました。

しかし開幕を翌年に控えた2005年に右足を疲労骨折するケガ。

憧れの舞台に向けて手術をすべきかどうか迷うなか、背中を押してくれたのが当時の日本代表、ジーコ監督でした。
玉田さん
「ジーコには『そういう選手を使い続けることができないから、手術するなりして体を治して代表のファミリーに早く戻って来られるように努力してくれ』と言われました。手術をすると2か月くらいプレーできないので悩みましたが、ジーコがことばをかけてくれたので本当に感謝しています。『ファミリー』ということばを使ってくれたのがうれしくて。そういう監督はなかなかいない。やっぱり普通の人が言うよりジーコが言うことって重みがあって『この人についていこう』って思いましたね」
足が治り、再び代表に呼ばれるようになった玉田選手はワールドカップへの視界が開けました。

移籍したグランパスで主力として活躍し、ワールドカップの舞台に立ったのです。
26歳で迎えたドイツ大会。

玉田選手は、初戦のオーストラリア戦と2試合目のクロアチア戦で先発メンバーから外れていました。

日本は2試合を終えて1敗1引き分けという苦しい状況でした。
1次リーグの最終戦は、前回王者“サッカー王国”と呼ばれる強豪ブラジルが相手でした。

メンバーが大幅に変更され、玉田選手に先発の機会が巡ってきました。
玉田さん
「うれしかったですね。相手がブラジルというのもあるし、コンディションもすごくよくて。それをジーコが見てくれていたんだなというのがあるし、もう本当に失うものがない状況だった。だから自分たちが当たって砕けろという精神でやることができたと思います」

“王国”から日本選手初ゴール

0対0の前半34分。

三都主アレサンドロ選手のスルーパスが前線の玉田選手へ。

「あうんの呼吸」でパスを受け、左足で強烈なシュートをしました。

“レフティー”の玉田選手にとって得意のゴール左45度の位置からでした。

歴史的なゴールは、日本にとって待望の先制点でした。
玉田さん
「実は鮮明には覚えていないんです。映像を見返すと『こういう動きしてたな』っていうのはあるんですけど、本当に感覚でやっていた部分もあるし。アシストしてくれたのはアレックスだったんですけど、その瞬間に何を考えていたかもあんまり覚えていなくて。記憶がないわけじゃないんですけど、自分がどういうふうに動いていたとか覚えてないんです。本当に感覚というか。そういうふうに覚えてないことってたまにあるんですよ。すごく集中しているときかもしれないですね」
このゴールが王者ブラジルを本気にさせました。
1次リーグを2連勝で最終戦を迎えたブラジル。

決勝トーナメント進出がほぼ確実となっていて、そのメンバーには、フォワードのロナウド選手とミッドフィルダーのロナウジーニョ選手など、スター選手がそろっていました。

終わって見れば、日本のゴールは玉田選手の決めた1点のみ。

1対4で、ブラジルに力の差を見せつけられて敗れました。

大舞台を楽しんでいた王者・ブラジル

玉田さん
「ブラジル代表は余裕があるような状況だったので、笑顔の選手もいたりして本当に楽しみながらサッカーをやっているのをすごく感じました。2勝したからちょっとプレッシャーから解放されていたというか。でもそういうときのブラジル代表って本当に最強なんだなと思いました。やっぱり心の底からサッカーを楽しんでるほうが個人としてもチームとしても何かプラスに働くんだなというのを感じて。『やっぱりサッカーってこうだよな』と改めて思わせてもらったんです」

“楽しむ”は魔法のことば

次のワールドカップ、南アフリカ大会も日本代表に選ばれた玉田さんはサッカーを「楽しむ大切さ」を忘れずプレーを続けました。

16年前、強豪・ブラジルの選手たちから得たものでした。
玉田さん
「あれほど楽しんでいるチームを見たのは初めてでしたね。だから自分も今後はこういう気持ちを持ってやっていくべきだなって思わせてくれたので。だからこそ長くプロとしてやれたのかなって思ってます。
もちろん楽しくないこと、難しい、苦しいことはたくさんあったんですけど、その“楽しむ”ということばをかけることによって自分を奮い立たせていた部分がありました」
現役引退を決めたV・ファーレンに移籍してからも、笑顔を心がけて『練習からサッカーを楽しんで』と言い続けました。

最初はとまどう選手がいましたが、徐々に楽しみながらプレーすることが浸透していったと言います。
玉田さん
「V・ファーレン長崎でも『楽しもう』ってことばをかけていたら、みんなも使うようになって。自分が楽しむためにはどういうプレーをすればいいかを考えてくれる選手がたくさん出てきたので、『楽しむ』ってことばをかけて本当によかったなと思います」
引退を発表後には、チームの後輩たちが次々にSNSなどで反応しました。

一緒にプレーをした元日本代表の徳永悠平さんは「最後、玉さんの楽しんでいる姿を目に焼き付けたい」とつづりました。
現在は、フットサル場やストレッチ専門店を経営している玉田さん。古巣のV・ファーレンで広告塔の役割をするアンバサダーと、下部組織を不定期で指導するコーチに就任しました。

9月からはチームの公式ユーチューブにも出演し、聞き手にまわって選手たちの素顔と笑顔を引き出しています。

指導する側となった今でも大切にしているのは、やはりあの日に得た“楽しむという人生観”です。
玉田圭司さん
「小さな頃からサッカー一筋でやってきたサッカー小僧でもあるし。指導者としてカテゴリー問わずいろんな人に自分のサッカー観や人生観を教えられればいいかなと思っています。まずは『楽しむ』っていうことですね、やっぱり。あとは短所を修正するより長所を伸ばしていくこと。短所っておもしろくないじゃないですか。自分の得意なことをすると楽しいし、長所を伸ばすことによって短所って補っていけるものなんだなって思っているので。そのバランスをうまく使いながらやっていきたいですね」
みずからを“サッカー小僧”と表現する玉田さん。

指導者の道を視野に入れて、常に「楽しみながら」サッカーと関わっていきます。
ネットワーク報道部 記者
鈴木彩里
2009年入局
スポーツニュース部を経て現所属
仕事に育児に余裕をなくしてしまいますが、玉田さんを見習ってたくさん楽しみたいです