このうち、ソビエトの情報機関KGB=国家保安委員会出身のパトルシェフ氏と、ボルトニコフ氏が、軍事侵攻の必要性を強く主張したといいます。
ウクライナへの対応をめぐっては、去年夏の時点で、ウクライナ東部に小さな「国家」を樹立することや、領土のロシアへの併合、それに、ゼレンスキー政権を完全に排除し、ロシアのかいらい政権を打ち立てるという3つの案が検討されたとしています。
そして、夏の終わりまでには、パトルシェフ氏とボルトニコフ氏が、軍事侵攻の必要性を含めた原則的な決定を行い、あとはプーチン大統領を説得するだけという状況になっていたということです。
そうした中で、ショイグ国防相は、作戦にためらうこともあったとしています。
その後の具体的な検討も、ごく少人数で進められ、ラブロフ外相ですら、首都キーウに攻め込むといった作戦の詳細を直前まで知らなかったと指摘しています。
また、記事では、側近らが、プーチン大統領が高齢となり、西側への決定的な対抗策を見いだす時間が残されていないと考え、軍事侵攻という判断を急いだ可能性を伝えています。

ロシア軍事侵攻“去年夏以降 大統領最側近ら内密に計画” 英紙
イギリスの新聞「タイムズ」は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の具体的な計画は、去年の夏以降、プーチン大統領の最側近らが中心となって内密に進め、最終的に、大統領を説得する形で決定したなどとする内幕を伝えました。
「タイムズ」の今月3日付けの電子版の記事は、ロシア政府の関係者の話として、ロシアを戦争に導くうえで中心的な役割を果たしたのは、プーチン大統領以外では、パトルシェフ安全保障会議書記と、治安機関のFSB=連邦保安庁のボルトニコフ長官、それに、ショイグ国防相だったと伝えています。
