ノーベル経済学賞 バーナンキ氏の光と陰?

ノーベル経済学賞 バーナンキ氏の光と陰?
ことしのノーベル経済学賞に輝いたのはアメリカのFRB=連邦準備制度理事会の議長を務めたベン・バーナンキ氏など3人の経済学者でした。バーナンキ氏は2008年のリーマンショックのときのFRB議長。金融政策の実務を取り仕切ったFRB議長経験者への授与は極めて異例です。バーナンキ氏をめぐってはその卓越した金融政策のかじ取りと、副作用とも呼ぶべき、積み残した課題もあります。元議長の光と陰に迫ります。(ワシントン支局記者 小田島拓也 アメリカ総局記者 江崎大輔)

山中教授の受賞と似ている

「バーナンキ氏とiPS細胞の生みの親、山中伸弥さんが重なって見える」

こう語るのは長年FRBの金融政策を見続け、アメリカにも駐在経験がある元三菱UFJ銀行のエコノミスト、鈴木敏之氏です。

バーナンキ氏は、「金融システムが壊れると経済全体が深刻な危機に陥る」という考え方を経済理論にまとめ、その理論をもとに危機対応にあたりました。

そして、大胆な金融政策を次々と打ち出し、アメリカ経済を回復の軌道に乗せ、その後、史上最長の景気拡大の道を開きました。

鈴木さんは、山中教授によるiPS細胞の発見が様々な治療への活用に期待されているのと同様に、バーナンキ氏の理論が今の金融の安定や経済に貢献している点が似ていると指摘しています。

学者から金融政策のトップへ

バーナンキ氏はマサチューセッツ工科大学で経済学の博士号を取得後、プリンストン大学とスタンフォード大学で教べんをとり、1930年代の世界恐慌を研究したことで知られています。
そして、アメリカ経済学会の学会誌、アメリカンエコノミックレビューの編集長やNBER=全米経済研究所で要職を歴任したあとFRBの理事となり、18年にわたってFRBに君臨したアラン・グリーンスパン氏のあとを引き継ぎ、2006年にFRB議長に就任しました。

当時異端だったバーナンキ理論

スウェーデンの王立科学アカデミーがバーナンキ氏の授賞理由として挙げたのが、1983年に執筆された、1930年代の世界大恐慌に関する論文でした。
信用不安や銀行預金の取り付けなど資金流出が経済を収縮させて不況を深めてしまうというものです。

この内容について、バーナンキ氏本人が、授賞発表をうけて首都ワシントンで開かれた10月10日の記者会見で次のように語っています。
バーナンキ氏
「この論文で私が強調したかったのは、金融システムは景気循環に影響を与え、経済活動の原動力にもなる一方、失業をもたらす力を持っているということだ。もちろん、2008年のように大きな危機を引き起こすものでもある」
“金融システムは経済全体に影響を与える”いまでは当たり前の理論のように聞こえますが、当時はそうではなかったと言います。
バーナンキ氏
「この論文を書いたとき、ある教授に『金融システムは単なるベールに過ぎず、誰が何を所有しているかを示すものに過ぎない。経済に対して独立した影響をもたらさない』と言われた。銀行の破綻が金融危機を引き起こすという私の主張は従来の常識とは異なるものだった」
記者会見でのバーナンキ氏のことばを聞き、これまで常識だと思われることにも疑問をもち、過去のしがらみにとらわれず挑戦することがいかに大切なのかということを痛感しました。

自らの理論 実践と“失敗”

大恐慌と銀行に関する理論は、FRBトップとして未曽有の金融危機に立ち向かう中で政策として実践に移されました。

時は2007年。

アメリカでは上がり続けていた住宅価格が下落に転じ、サブプライムローンショックが発生。
低所得者向けの住宅ローンを束ねた複雑な金融商品が世界中の銀行や証券会社、投資家に販売されていて、ローンの焦げ付きをきっかけに信用不安が起きたのです。

2008年3月にはアメリカの大手証券会社ベアー・スターンズが経営危機に陥り、大量の資金が流出しました。

バーナンキ氏率いるFRBは金融システムを守るため、資金供給を行い、大手銀行JPモルガン・チェースによる救済を強力に後押ししました。

バーナンキ理論は実行に移され、このとき金融危機は回避されました。

しかし、その半年後の2008年9月、証券業界の巨人、リーマン・ブラザーズが経営危機に陥ったときは救済されずに経営破綻。
金融市場はパニックに陥り、世界経済が大きく失速しました。

皮肉なことですが、バーナンキ氏の論文どおりに信用不安と資金流出が金融機関の破綻につながり、それが金融危機を引き起こしてしまったわけです。

前例なき政策を次々と

バーナンキ氏は、危機を収束させるため、前例のない金融政策を次々と打ち出したことでも知られています。

アメリカ初の事実上のゼロ金利政策、長期国債の買い入れなどによるQEと呼ばれた量的緩和などです。

バーナンキ氏はこのときの対応について「金融システムの崩壊を防ぐため、FRBの同僚とともにできる限りのことをしようと強く決意した」と振り返りました。

こうした政策にアメリカ経済は支えられ、徐々に回復軌道にのり、アメリカのみならず、世界経済を救ったと評価されました。

さらに、2020年の新型コロナウイルスのパンデミックにおいても、世界各国の中央銀行がとった政策では、王立科学アカデミーはバーナンキ氏など3人の研究が重要な要素になっていたと指摘しました。

ウォール街救済への批判も

一方、バーナンキ氏には金融危機を予見できなかったことや放漫な経営を続けていた金融機関の救済に加担したという批判もつきまといます。

また、2008年12月にFRBが導入した事実上のゼロ金利政策は2015年12月まで7年間にわたって続き、この間、世の中に出回る資金の量(マネーサプライ・M2)は増え続けました。

ことしの資金の量は21兆ドル余りと、2008年12月の8兆ドル余りの2.5倍以上に膨らみました。

こうした前例のない金融緩和によってアメリカでマネーがあふれ、いまの記録的なインフレの要因の1つになったという指摘も出ています。

“資産バブルを引き起こした”

投資銀行やヘッジファンドなど金融業界で30年以上勤務し、いまは金融コンサルタント会社の共同創業者を務めるエリック・サルツマンさん。
バーナンキ氏について、アメリカで株式や債券などの価格が上昇する資産インフレを引き起こした責任があると指摘しています。
サルツマン氏
「バーナンキ氏は2008年にリーマンショックが起きる前に問題に対処することができたはずだった。しかし、どういうわけか、彼は英雄になった。彼の遺産はゼロ金利政策と量的緩和策で、膨大な量のリスクを負う行動を生み出した。アメリカの資産価格のバブルに責任があるといえる」

理論をどういかすか

中央銀行のトップは責任も重く、孤独です。

金融政策を決めるにあたっては合議制とはいえ、毎回大きな決断が求められ、その経済に与える影響はあまりに大きく、そして困ったことに結果が現れるのにタイムラグがあります。

リーマンショック以降、わずか14年のあいだに世界経済は大きく波を打ち、今なお激動が続いています。

バーナンキ氏の理論を活用してどう経済を安定させていくのか、後に続くセントラルバンカーたちの手腕が問われることになります。

若者へのメッセージ

10日の記者会見でバーナンキ氏は学生へのメッセージを問われ、大学教授の顔に戻り、次のように話しました。
バーナンキ氏
「学びのスキルを磨き、計画を立てすぎないこと。幅広い経験をして、異なる多くの人と仕事や研究をすることで私たちの経済や社会に必然的に起きる変化に柔軟に対応できるようになる」
ワシントン支局記者
小田島 拓也
2003年入局
甲府局、経済部、富山局などを経て現所属
アメリカ総局記者
江崎 大輔
2003年入局
宮崎局、経済部、高松局を経て現所属