(小見)
猪子さんたちの作品は、その中に入り込むというか、体全体で鑑賞するような作品をこれまで作り続けてこられたと思うんですが、それはどうしてなんですか。
(猪子)
単純にいちばん楽しいんだね。本当は、人間はみんなが思ってるよりも、もっと体で世界を認識してると思っているんですね。でも、普通に都市でいると、何か頭だけで理解したつもりになってしまう。頭だけで知って、例えば、テレビを見て、スマホを見て、それで知ったつもりになるけれども、本当はもっと人間は体で世界を認識していて、体験を通して世界を認識していると思うんですね。
そういうと難しそうに聞こえるけど、例えば、テレビやネットでパリの風景を見て価値観変わったとかいう人、あんまりいないじゃないですか。
僕は大学生のとき、友達でバックパッカーをする人がいっぱいいたんだけど、帰ってくるとみんな口をそろえて「価値観が変わった」って言うわけですよね。たぶんそれは本当で。普通にパッと海外のテレビを見て、頭で知ったつもりになっても、別にあんまり価値観変わらないと思うんですね。でも、住むまでいかなくても、何日間か過ごすと、自分の足で歩いて過ごすと、なぜか、多くの人が価値観変わったって言うわけですよね。

チームラボ猪子寿之さんが語る「究極のエンターテインメント」
言葉や文化の違いを超えて世界中で親しまれている、アート集団・チームラボの作品。代表の猪子寿之さんにインタビューすると、「究極的なエンタ―テインメント」という言葉が出てきました。
それはいったい何なのか…
(聞き手:松山局 小見誠広アナウンサー 取材:徳島局 藤原陸遊アナウンサー)
体で世界を認識している

(小見)
体験を通してものの見方が広がったり、自分の世界が広がるということはありますよね。猪子さんにとって、そういう楽しい体験っていうのはありました?
(猪子)
サウジアラビアのメッカの近隣にジッダっていう古都があって、そこにうちの巨大なミュージアムを今建ててるんですけども、それで初めて行ったんです。
ラマダン中だったんですね。ちょっと緊張感あったんですが、でも着いたら、すごいもう何かピースすぎて。治安も全然いいし、女性と子どもだけで、夜中も町じゅう人があふれてるし、すごいみんな優しいし、ピースだし。
「ああ何か、知らず知らずに偏見が積み重なってたんだな」と、自分自身も。
(ジッダは)多様性を享受してるんだ。なぜならイスラム教も世界中にあるから、地域によっていろいろな考え方が変わるし、生活の文化背景も違うから、いろいろな国の人たちが来る町だから、最も多様性を享受する町になっていて。だからいろいろな人が会う。
いちばん教えが厳しい場所なのかなと思ったら、逆に、世界中の人が、いろいろな背景が違う人たちが来るから。おもしろいなと思った。つまり、いろいろな人に会ったり、それでまあ、会うと許しちゃうんだね、人はね。もう体験してるうちに肯定できるわけだよね。だから、体験が多様な価値観を許していくわけだよね。その価値観になるかならないかをこえて、許しちゃうよね、すべてをね。
体験を通してものの見方が広がったり、自分の世界が広がるということはありますよね。猪子さんにとって、そういう楽しい体験っていうのはありました?
(猪子)
サウジアラビアのメッカの近隣にジッダっていう古都があって、そこにうちの巨大なミュージアムを今建ててるんですけども、それで初めて行ったんです。
ラマダン中だったんですね。ちょっと緊張感あったんですが、でも着いたら、すごいもう何かピースすぎて。治安も全然いいし、女性と子どもだけで、夜中も町じゅう人があふれてるし、すごいみんな優しいし、ピースだし。
「ああ何か、知らず知らずに偏見が積み重なってたんだな」と、自分自身も。
(ジッダは)多様性を享受してるんだ。なぜならイスラム教も世界中にあるから、地域によっていろいろな考え方が変わるし、生活の文化背景も違うから、いろいろな国の人たちが来る町だから、最も多様性を享受する町になっていて。だからいろいろな人が会う。
いちばん教えが厳しい場所なのかなと思ったら、逆に、世界中の人が、いろいろな背景が違う人たちが来るから。おもしろいなと思った。つまり、いろいろな人に会ったり、それでまあ、会うと許しちゃうんだね、人はね。もう体験してるうちに肯定できるわけだよね。だから、体験が多様な価値観を許していくわけだよね。その価値観になるかならないかをこえて、許しちゃうよね、すべてをね。
言葉にした瞬間、境界があるかのように勘違いする
(小見)
体験という事がすごく大事なことだというふうに考えてらっしゃる。
(猪子)
そうですね。何かネットを見て、もしくはテレビを見て、もしくは文章を読んで、もしくは人の話だけを聞いて。つまり、頭だけで理解したつもりになる。そういうものは…、何か、自分の考えがすごく価値観が変わるとか、広がるみたいなものになりにくいと思うし、もうちょっと言うと、言葉や論理で理解しようとすると、この世界を切り刻んで理解することのような気がするんですね。
例えば、宇宙と地球は本当は連続していて境界面はない、具体的な境界線はない、誰しも決められない。普通に連続しているから。境界線は決められないね。具体的に誰も決められない。この地面が境界線かっていうと、そうすると、われわれは宇宙にいることになるね。
(小見)
ああ、境界線より上にいるから。
(猪子)
うん。そんなことはないですよね。具体的に境界線は決められないね。連続、グラデーションで変移してるだけだから。
だけど、例えば「地球」と言葉にした瞬間、まるでどこかに境界線があるかのように認識してしまう。本来はないんだけど。
でも、人はなかなか全体を、ありのままを理解することはできないから、むりやり切り刻んで細かくして理解するんだと思うんですね。
たぶん人の能力に限界があるんだと思うんだけど。本来は境界がないのに、言葉にした瞬間、境界があるかのように勘違いしてしまう。地球という境界線があって、存在するかのように勘違いしてしまう。なので、言葉や論理で理解すると、分断して切り刻んで認識してしまう。あたかも境界がはじめからあったかのように認識してしまうんだけども。
でも、体で知るっていうのは、連続しているものをそのまま認識することなんだと思うんですね。だから、ありのままを何か味わうことっていうか、連続しているものを連続したまま認識するし、味わうことなんだと思うんですね。
ほっておくと世界が切り刻まれすぎて、つまらないものになってしまう。自分自身も何か連続しているものそのものを味わいたいし、そういう体験を作りたいと思ってますね。だから、何か、自分と世界が一体であるかのような体験を作りたいと思うし、時間とつながるかのような体験を作りたいと思っていて、それで作品を作っているんだけども。
もしかしたらそういうことは、他の人にとってはそんなに重要じゃないかもしれないけど、たぶん、自分にとってはそれが重要だと思って延々と作ってるうちに、結果として異様なものとなって、異様すぎてそれは他の人にとっては知らない世界すぎて。知らない世界に行くっていうのは、人は楽しいんだね。
体験という事がすごく大事なことだというふうに考えてらっしゃる。
(猪子)
そうですね。何かネットを見て、もしくはテレビを見て、もしくは文章を読んで、もしくは人の話だけを聞いて。つまり、頭だけで理解したつもりになる。そういうものは…、何か、自分の考えがすごく価値観が変わるとか、広がるみたいなものになりにくいと思うし、もうちょっと言うと、言葉や論理で理解しようとすると、この世界を切り刻んで理解することのような気がするんですね。
例えば、宇宙と地球は本当は連続していて境界面はない、具体的な境界線はない、誰しも決められない。普通に連続しているから。境界線は決められないね。具体的に誰も決められない。この地面が境界線かっていうと、そうすると、われわれは宇宙にいることになるね。
(小見)
ああ、境界線より上にいるから。
(猪子)
うん。そんなことはないですよね。具体的に境界線は決められないね。連続、グラデーションで変移してるだけだから。
だけど、例えば「地球」と言葉にした瞬間、まるでどこかに境界線があるかのように認識してしまう。本来はないんだけど。
でも、人はなかなか全体を、ありのままを理解することはできないから、むりやり切り刻んで細かくして理解するんだと思うんですね。
たぶん人の能力に限界があるんだと思うんだけど。本来は境界がないのに、言葉にした瞬間、境界があるかのように勘違いしてしまう。地球という境界線があって、存在するかのように勘違いしてしまう。なので、言葉や論理で理解すると、分断して切り刻んで認識してしまう。あたかも境界がはじめからあったかのように認識してしまうんだけども。
でも、体で知るっていうのは、連続しているものをそのまま認識することなんだと思うんですね。だから、ありのままを何か味わうことっていうか、連続しているものを連続したまま認識するし、味わうことなんだと思うんですね。
ほっておくと世界が切り刻まれすぎて、つまらないものになってしまう。自分自身も何か連続しているものそのものを味わいたいし、そういう体験を作りたいと思ってますね。だから、何か、自分と世界が一体であるかのような体験を作りたいと思うし、時間とつながるかのような体験を作りたいと思っていて、それで作品を作っているんだけども。
もしかしたらそういうことは、他の人にとってはそんなに重要じゃないかもしれないけど、たぶん、自分にとってはそれが重要だと思って延々と作ってるうちに、結果として異様なものとなって、異様すぎてそれは他の人にとっては知らない世界すぎて。知らない世界に行くっていうのは、人は楽しいんだね。
他者の存在を肯定できるには
(小見)
猪子さんの作品は、自分だけではなくて、他者がいる事で成立する作品もあったりして、その自分と他者のつながり、関係っていうのはどんなふうに捉えてらっしゃいますか。
(猪子)
ありとあらゆる、その、エネルギーも全部外国から来てるし、食べ物のほとんども外国から来てるし、もう自分とは人間関係のない、おびただしい数の人のおかげで生きられてるっていうか、生活が成り立ってるわけだよね。
でも都市はもう高度に発達しすぎて、それがあまりにも見えないよね。見えないがゆえに、まるであたかも自分だけで存在できているかのような勘違いをして、だから、すごく認識がゆがんでしまっているからだと思うんですね。
都市は複雑すぎて見えなくなって、まるであたかも他者の存在がなくても生活ができるかのように勘違いしてしまうし。それどころか、もはや何か都市にいるとね、満員電車に乗っても他者の存在は邪魔に感じてしまうね。
アートも、どうしても、例えば「モナリザ」を見に行ったら目の前に人がいっぱいいて見えないよね。だから邪魔に感じてしまうよね。都市にいると他者を邪魔に感じてしまうのは、すごく簡単に言うと、「モナリザ」を見ようとして他者がいて邪魔になるのとたぶん似ていて。もうちょっとちゃんと言うと、他者の存在が「モナリザ」に影響しないからなんだよ。
他者の存在によって「モナリザ」がもっときれいに見えたら、他者がいてよかったなと思うわけよね。他者がいっぱいいたおかげで、電車も走るし、ごはんも食べられるし、エネルギーも海外から届く。だけど、あまりにも都市が複雑すぎて、自分の存在によっても変わらないかのように感じるし、他者の存在によっても変わらないかのように感じちゃうんだ。だから邪魔に感じてしまうんだ。邪魔なものだけのように見えてしまう。
(小見)
確かに生活が便利になりすぎると何でも簡単に手に入るから、その先にある人の存在って見えないですよね。
(猪子)
何かこの空間に他者がいて、他者のおかげで変化して、それが自分にとってもよい経験であれば、同じ空間に他者がいることをもっと肯定できる気がするんですよね。もともとはそうだったと思うんですね。なので、何か他者の存在を肯定できるような空間がいいなと、いつも思うんですね。だからここも、光が動くのは他者がいるからで。
猪子さんの作品は、自分だけではなくて、他者がいる事で成立する作品もあったりして、その自分と他者のつながり、関係っていうのはどんなふうに捉えてらっしゃいますか。
(猪子)
ありとあらゆる、その、エネルギーも全部外国から来てるし、食べ物のほとんども外国から来てるし、もう自分とは人間関係のない、おびただしい数の人のおかげで生きられてるっていうか、生活が成り立ってるわけだよね。
でも都市はもう高度に発達しすぎて、それがあまりにも見えないよね。見えないがゆえに、まるであたかも自分だけで存在できているかのような勘違いをして、だから、すごく認識がゆがんでしまっているからだと思うんですね。
都市は複雑すぎて見えなくなって、まるであたかも他者の存在がなくても生活ができるかのように勘違いしてしまうし。それどころか、もはや何か都市にいるとね、満員電車に乗っても他者の存在は邪魔に感じてしまうね。
アートも、どうしても、例えば「モナリザ」を見に行ったら目の前に人がいっぱいいて見えないよね。だから邪魔に感じてしまうよね。都市にいると他者を邪魔に感じてしまうのは、すごく簡単に言うと、「モナリザ」を見ようとして他者がいて邪魔になるのとたぶん似ていて。もうちょっとちゃんと言うと、他者の存在が「モナリザ」に影響しないからなんだよ。
他者の存在によって「モナリザ」がもっときれいに見えたら、他者がいてよかったなと思うわけよね。他者がいっぱいいたおかげで、電車も走るし、ごはんも食べられるし、エネルギーも海外から届く。だけど、あまりにも都市が複雑すぎて、自分の存在によっても変わらないかのように感じるし、他者の存在によっても変わらないかのように感じちゃうんだ。だから邪魔に感じてしまうんだ。邪魔なものだけのように見えてしまう。
(小見)
確かに生活が便利になりすぎると何でも簡単に手に入るから、その先にある人の存在って見えないですよね。
(猪子)
何かこの空間に他者がいて、他者のおかげで変化して、それが自分にとってもよい経験であれば、同じ空間に他者がいることをもっと肯定できる気がするんですよね。もともとはそうだったと思うんですね。なので、何か他者の存在を肯定できるような空間がいいなと、いつも思うんですね。だからここも、光が動くのは他者がいるからで。

インタビューをした佐賀県武雄市の御船山楽園で展示されているこの作品、人が動きをとめると、その場所から光が広がっていきます。光が向かってくるときは、その元の場所に誰かがいたことがわかります。
(小見)
自分が動くことと他者が動くことで光が交錯して、それが美しく。
(猪子)
そう。この中にいたらさ、自分の存在で光が出てもあんまり楽しくないよね。見えないし。どっちかって言うと、他者が見て楽しいのね。だから、上に展望台があるんだけど、オープン後のほうが見てて楽しいのね。もう作品に体ごと没入してしまうわけだよね。もう物理的に一体となってるわけだよね。
だから自分と作品が一体となり、その作品と他者も一体となっていて、そういう、何か、ものを作りたかったんだね。
他者と共に世界と一体となることが何かすごくポジティブであるようなものを作りたいと思ったし、そういう体験を作りたいと思ったんだ。
(小見)
アートは分断ではなく連続性、つながっているっていうことを感じさせることができるっていうふうに考えてらっしゃる。
(猪子)
そうだね。分断せずに味わうことができるんじゃないかと思ってるし、そういうものを作れたらいいなと思ってるんですね。
(小見)
自分が動くことと他者が動くことで光が交錯して、それが美しく。
(猪子)
そう。この中にいたらさ、自分の存在で光が出てもあんまり楽しくないよね。見えないし。どっちかって言うと、他者が見て楽しいのね。だから、上に展望台があるんだけど、オープン後のほうが見てて楽しいのね。もう作品に体ごと没入してしまうわけだよね。もう物理的に一体となってるわけだよね。
だから自分と作品が一体となり、その作品と他者も一体となっていて、そういう、何か、ものを作りたかったんだね。
他者と共に世界と一体となることが何かすごくポジティブであるようなものを作りたいと思ったし、そういう体験を作りたいと思ったんだ。
(小見)
アートは分断ではなく連続性、つながっているっていうことを感じさせることができるっていうふうに考えてらっしゃる。
(猪子)
そうだね。分断せずに味わうことができるんじゃないかと思ってるし、そういうものを作れたらいいなと思ってるんですね。
連続性を表現したい

連続性を味わえる作品も展示されています。2人が見ているのは、デジタルの花が巨石の上で咲いては散っていくという作品です。長い時間の中で生まれ死んでいく命を表しているといいます。
(小見)
すごい大きな巨石ですね。
(猪子)
これこそまさに、巨岩、巨石ですね。
いつの時代に落ちてきて、それからどれくらい長くここにあるのか分からないんですけども、何か時間を感じるような、時間を持ってるような気がして。
大体1時間ぐらいで1年間の花が咲いては死んで、咲いては死んでをずっと繰り返していくんですけども、長い時間の中で生命が連続してきたことをほんの少しでも感じられたらいいなと思ったんですね。
(小見)
今の子どもたちがまた周りでキャーキャー言ってるっていう、それもある種の歴史のつながりですね。そんな感じもしますよね。
(小見)
時間を表現したい、長い時間とのつながりを表現したいみたいなところって、もう少し説明していただけますか。
(猪子)
ちょっと話が一瞬変わるんだけど、人はたぶん、何か意味があると感じられること、そういうものをより求めるんだと思うんでね、今後ね。何か単純な余暇とか、単純なレジャーではなくて、何か意味をね。
(小見)
自分が経験する意味?
(猪子)
意味。
それで、意味を感じるものって何かって言った時に、たぶん、人は自分の存在よりも大きな存在みたいなものを感じられたときに、しかも、それが自分にとってポジティブなときに、もしくはその存在に対峙(たいじ)したとき、何か意味を感じるんだと思うんですね。
自分が見たこともないような特殊な自然が作った雄大な景色だったり、もしくはありえない時間を感じるような、何か遺跡だったり、もしくはアーティストが人生をかけて一生をかけて作り続けたものの作品群だったり、そういうものに何か意味を感じてしまうんだと思うんですね。
本当は時間は延々と連続しているにもかかわらず、すごい長い時間を人は感じられない。でも、何かすごい特殊な自然が長い時間かけて作った雄大な景色を見たときに、何か、時間の存在に気付けて、たぶんそれですごい感動したり、わざわざ飛行機まで乗ってまで遺跡を見に行って感動するのって、何かそこにすごい時間があるからだと思うんですね。自分が生きた時間よりも長い時間の存在に気付けた時に、人は感動するんだと思っていて。そういうものを何か作れたらいいなと思うんですね。時間の存在に気付けるようなものを。
(小見)
長い時間の存在を実感できる。
(猪子)
そうですね。
長い時間に接続できたときに、自分が生きてることを全面肯定できるし、他者が生きていることを全面肯定できるし、この世界をすごく肯定できるような気がして。それはすごい生きてることに対して幸福な気持ちになれるね。何か生きることそのものが肯定されて。
(小見)
なぜそういう気持ちになるんでしょうね。
(猪子)
なぜそういう気持ちになるか。
でもまあ自分が存在するのはさ、親がいて、親が存在するのはその親がいて、その親が存在するのも親がいて。いつの間にかそれは動物だったころから続いていて。
もっと言うと、もっと何かミジンコみたいなときから続いていて、ずっと途絶えることなく生命が連続してきたわけだよね。
だって突然生まれるわけじゃないから。動物だったこともあって、ずっと続いてきてるわけだよね。それが存在してると思えたならば、それは何かすごい、奇跡的なことだね。そんなことを感じられるって、すごく幸福なことだよね。
それは生きていることすべてを何か肯定できる瞬間な気がするけどね。それは何かすごく幸福なことだね。
(小見)
すごい大きな巨石ですね。
(猪子)
これこそまさに、巨岩、巨石ですね。
いつの時代に落ちてきて、それからどれくらい長くここにあるのか分からないんですけども、何か時間を感じるような、時間を持ってるような気がして。
大体1時間ぐらいで1年間の花が咲いては死んで、咲いては死んでをずっと繰り返していくんですけども、長い時間の中で生命が連続してきたことをほんの少しでも感じられたらいいなと思ったんですね。
(小見)
今の子どもたちがまた周りでキャーキャー言ってるっていう、それもある種の歴史のつながりですね。そんな感じもしますよね。
(小見)
時間を表現したい、長い時間とのつながりを表現したいみたいなところって、もう少し説明していただけますか。
(猪子)
ちょっと話が一瞬変わるんだけど、人はたぶん、何か意味があると感じられること、そういうものをより求めるんだと思うんでね、今後ね。何か単純な余暇とか、単純なレジャーではなくて、何か意味をね。
(小見)
自分が経験する意味?
(猪子)
意味。
それで、意味を感じるものって何かって言った時に、たぶん、人は自分の存在よりも大きな存在みたいなものを感じられたときに、しかも、それが自分にとってポジティブなときに、もしくはその存在に対峙(たいじ)したとき、何か意味を感じるんだと思うんですね。
自分が見たこともないような特殊な自然が作った雄大な景色だったり、もしくはありえない時間を感じるような、何か遺跡だったり、もしくはアーティストが人生をかけて一生をかけて作り続けたものの作品群だったり、そういうものに何か意味を感じてしまうんだと思うんですね。
本当は時間は延々と連続しているにもかかわらず、すごい長い時間を人は感じられない。でも、何かすごい特殊な自然が長い時間かけて作った雄大な景色を見たときに、何か、時間の存在に気付けて、たぶんそれですごい感動したり、わざわざ飛行機まで乗ってまで遺跡を見に行って感動するのって、何かそこにすごい時間があるからだと思うんですね。自分が生きた時間よりも長い時間の存在に気付けた時に、人は感動するんだと思っていて。そういうものを何か作れたらいいなと思うんですね。時間の存在に気付けるようなものを。
(小見)
長い時間の存在を実感できる。
(猪子)
そうですね。
長い時間に接続できたときに、自分が生きてることを全面肯定できるし、他者が生きていることを全面肯定できるし、この世界をすごく肯定できるような気がして。それはすごい生きてることに対して幸福な気持ちになれるね。何か生きることそのものが肯定されて。
(小見)
なぜそういう気持ちになるんでしょうね。
(猪子)
なぜそういう気持ちになるか。
でもまあ自分が存在するのはさ、親がいて、親が存在するのはその親がいて、その親が存在するのも親がいて。いつの間にかそれは動物だったころから続いていて。
もっと言うと、もっと何かミジンコみたいなときから続いていて、ずっと途絶えることなく生命が連続してきたわけだよね。
だって突然生まれるわけじゃないから。動物だったこともあって、ずっと続いてきてるわけだよね。それが存在してると思えたならば、それは何かすごい、奇跡的なことだね。そんなことを感じられるって、すごく幸福なことだよね。
それは生きていることすべてを何か肯定できる瞬間な気がするけどね。それは何かすごく幸福なことだね。

(小見)
そうすると、日々、目にしたり頭を悩ませたりしているさまつな事がどうでもいいように思えたりもする。だから、やっぱりその長い時間の中に自分の今がある、命があるっていう感覚を持てることで、世の中をすごく肯定する気持ちになれるっていうところは、何かとてもわかる気がしました。
(猪子)
何かね、しかも言葉にするとさ、すっごくきれい事っぽく聞こえるんだけど、そういうきれい事とか置いといて、単純に究極的なエンターテインメントだと思うんです。
自分にとって。生きていることを全面肯定でき、この世界の生きているものを全面肯定できる瞬間というのは、究極的にエンターテインメントだよね。
つまり、きれいな話ではなくて、単純に楽しいのよ。それを感じられる瞬間って。それを感じられる瞬間ってそんなにない。だから、ちょっとでもたくさん感じたいなと俺も思うし、みんなも感じられたらいいなと思って。それが何か、例えばラブストーリーとかよりも、もっともっとエンターテインメントなんだよ。
(小見)
そうすると猪子さんが作り続けている作品で体験してもらいたいことというか、作品の本質的なところは、やっぱり生きていることを肯定するみたいなことでしょうか。
(猪子)
この世界をね。まあ究極的にはそうだね。この世界に生きていることが肯定できたらいいし、この世界をもっとね、より味わえたらいいなと思うよね。
どうしても人はほっておくと言葉や論理で理解しようとしてしまう。もちろんそれが悪いわけではなくて、よい側面もあるんだけども、ほっておくと言葉や論理ばかりで認識してしまう。それで、言葉や論理で認識するたびにこの世界を分断していくんでね。言葉にした瞬間、分断して、境界があたかもあるかのように勘違いしてしまう。
そうすると切り刻まれて、この世界はつまらないものになってしまう。
もしかしたら昔から、人というものは分断して認識してしまいがちなのかもしれない。それは言葉が生まれてからなのか、論理で物事を捉えるようになってからなのか分からないけども、人というものがしゃべりだしてから、ほっておくと分断してしまうものなのかもしれなくて。でも、それだと争いが起きて滅んでしまうから、一方で、一生懸命歌ってみたり踊ってみたり、アートを作ってみたりし続けてきたんだと思うんでね。そういうものを通して世界を認識することで、全体像を味わう体験を繰り返すことによって、何か分断しすぎることを揺り戻してきたのかもしれないような気がするんでね。
(小見)
ある種、人間の本質的なところに、猪子さんはアートを通してあらがおうとしているような。
(猪子)
あらがおうって言うと何かもう、まあ、そんな大それた気持ちではないけれども、連続してることそのものをね、世界を分断せずそのまま認識すること自体が幸福なことだと思うんでね。何かちょっとでもこの世界の全体像を、まあそれは全体の一部かもしれないんだけども、何か連続していることを味わえるような体験がほんのちょっとでも作れたらいいなと思ってるんだけど。
そうすると、日々、目にしたり頭を悩ませたりしているさまつな事がどうでもいいように思えたりもする。だから、やっぱりその長い時間の中に自分の今がある、命があるっていう感覚を持てることで、世の中をすごく肯定する気持ちになれるっていうところは、何かとてもわかる気がしました。
(猪子)
何かね、しかも言葉にするとさ、すっごくきれい事っぽく聞こえるんだけど、そういうきれい事とか置いといて、単純に究極的なエンターテインメントだと思うんです。
自分にとって。生きていることを全面肯定でき、この世界の生きているものを全面肯定できる瞬間というのは、究極的にエンターテインメントだよね。
つまり、きれいな話ではなくて、単純に楽しいのよ。それを感じられる瞬間って。それを感じられる瞬間ってそんなにない。だから、ちょっとでもたくさん感じたいなと俺も思うし、みんなも感じられたらいいなと思って。それが何か、例えばラブストーリーとかよりも、もっともっとエンターテインメントなんだよ。
(小見)
そうすると猪子さんが作り続けている作品で体験してもらいたいことというか、作品の本質的なところは、やっぱり生きていることを肯定するみたいなことでしょうか。
(猪子)
この世界をね。まあ究極的にはそうだね。この世界に生きていることが肯定できたらいいし、この世界をもっとね、より味わえたらいいなと思うよね。
どうしても人はほっておくと言葉や論理で理解しようとしてしまう。もちろんそれが悪いわけではなくて、よい側面もあるんだけども、ほっておくと言葉や論理ばかりで認識してしまう。それで、言葉や論理で認識するたびにこの世界を分断していくんでね。言葉にした瞬間、分断して、境界があたかもあるかのように勘違いしてしまう。
そうすると切り刻まれて、この世界はつまらないものになってしまう。
もしかしたら昔から、人というものは分断して認識してしまいがちなのかもしれない。それは言葉が生まれてからなのか、論理で物事を捉えるようになってからなのか分からないけども、人というものがしゃべりだしてから、ほっておくと分断してしまうものなのかもしれなくて。でも、それだと争いが起きて滅んでしまうから、一方で、一生懸命歌ってみたり踊ってみたり、アートを作ってみたりし続けてきたんだと思うんでね。そういうものを通して世界を認識することで、全体像を味わう体験を繰り返すことによって、何か分断しすぎることを揺り戻してきたのかもしれないような気がするんでね。
(小見)
ある種、人間の本質的なところに、猪子さんはアートを通してあらがおうとしているような。
(猪子)
あらがおうって言うと何かもう、まあ、そんな大それた気持ちではないけれども、連続してることそのものをね、世界を分断せずそのまま認識すること自体が幸福なことだと思うんでね。何かちょっとでもこの世界の全体像を、まあそれは全体の一部かもしれないんだけども、何か連続していることを味わえるような体験がほんのちょっとでも作れたらいいなと思ってるんだけど。
環境が生み出す現象を作品に

猪子さんのふるさと、徳島県。幼いときに鳴門海峡の渦潮を見て、変化し続ける水の姿が、えたいのしれない生き物のような感じがしたと言います。
猪子さんが、今関心を寄せているのが、環境が生み出す現象を作品として表現することだといいます。そのコンセプトのヒントになったのが「渦」です。
猪子さんが、今関心を寄せているのが、環境が生み出す現象を作品として表現することだといいます。そのコンセプトのヒントになったのが「渦」です。

この作品は、渦を巻いた雲のようなかたまりが空中に浮かび続けています。猪子さんが渦の中に見いだしているのは、生命のあり方と新たなアートの可能性です。
(猪子)
渦はみずから構造を持ってない。当たり前ですけど、渦を切り取って、渦を取り出して箱に入れると、渦じゃなくなってますね。ただの水で、液体になってますね。でも、渦は、入ってくる水と出ていく水の連続する水の中に存在する。つまり、水の流れが渦という構造を生み、構造を維持してるんですね。
人間ももちろん当たり前のようにそうで、きのうもきょうも何か他の生命を食べて、トイレで出して、エネルギーの流れの中に存在するんですね。それはいったい何かっていうと、おそらく今見た鳴門の渦とほとんど一緒で、少なくとも石ころよりは、生命というものは渦に近く、少なくともロボットみたいなものよりもはるかに、われわれは渦に近いんですね。
(小見)
渦と生命、というか人間が近い、どういうことですか。
(猪子)
少なくとも生命も渦も、「わたくし」という存在は環境が構造を作っている。つまり、「わたくし」というものは環境が構造を作り続けてるんです。維持し続けてる。
環境が渦を作り続けてる。
(小見)
海の流れ…。
(猪子)
渦の流れが。つまり、「これ」(というもの)を作るのではなくて、環境をつくり、環境が存在を生む。そういうものの作り方をしたいなと。
(小見)
アートでも。
(猪子)
アートでも。それは今まで人間が何か「これ」(というもの)を作る時の作り方と根本的に違う。それはすごくおもしろいんじゃないかなと思って、何か環境をつくり、その環境は特異な、特殊な環境がゆえに特殊な現象を生み、環境が生んだ現象そのものが作品の存在であるような。つまり、環境を作る事で対象物を作るみたいなものの作り方をしたいなと思い始めたんですね。
実はあの雲の作品も、あの塊をつくってるわけではなくて、特殊な環境を作り、環境が生んだ現象なんですね。そういう環境を作ることで存在を生む。その存在を作品と呼ぼうと思って作り始めたんですね。
自分自身も自分たちが作品を作るプロセスを通して、何か広がってきた気がするんですね。自分自身も。それができたらいいなと思いますね。
(小見)
自分自身も広がってきたということを感じるから、見たり、触ったり、体験した人たちも少しでも変わってくれるんじゃないか。
(猪子)
そうですね。まあ、でも究極は自分たちで作り、自分たちで体験し、まず自分が認知を広げたいっていうのがあるのかもしれないですけどね。自分が自分の世界の見え方を広げたい。世界をもっと見たい。
(小見)
そうするとまた新しい作品が生まれてくるかもしれないですね。
(猪子)
そうですね。自分がその体験がよかったら、ついつい、「見てよ、見てよ」って言っちゃうね。「やってみて、やってみて」って言っちゃうよね。人ってそういうもんだからね。
「インタビューここから アート集団代表 猪子寿之」10月17日(月)午前7:53まで、NHKプラスで見逃し配信
(猪子)
渦はみずから構造を持ってない。当たり前ですけど、渦を切り取って、渦を取り出して箱に入れると、渦じゃなくなってますね。ただの水で、液体になってますね。でも、渦は、入ってくる水と出ていく水の連続する水の中に存在する。つまり、水の流れが渦という構造を生み、構造を維持してるんですね。
人間ももちろん当たり前のようにそうで、きのうもきょうも何か他の生命を食べて、トイレで出して、エネルギーの流れの中に存在するんですね。それはいったい何かっていうと、おそらく今見た鳴門の渦とほとんど一緒で、少なくとも石ころよりは、生命というものは渦に近く、少なくともロボットみたいなものよりもはるかに、われわれは渦に近いんですね。
(小見)
渦と生命、というか人間が近い、どういうことですか。
(猪子)
少なくとも生命も渦も、「わたくし」という存在は環境が構造を作っている。つまり、「わたくし」というものは環境が構造を作り続けてるんです。維持し続けてる。
環境が渦を作り続けてる。
(小見)
海の流れ…。
(猪子)
渦の流れが。つまり、「これ」(というもの)を作るのではなくて、環境をつくり、環境が存在を生む。そういうものの作り方をしたいなと。
(小見)
アートでも。
(猪子)
アートでも。それは今まで人間が何か「これ」(というもの)を作る時の作り方と根本的に違う。それはすごくおもしろいんじゃないかなと思って、何か環境をつくり、その環境は特異な、特殊な環境がゆえに特殊な現象を生み、環境が生んだ現象そのものが作品の存在であるような。つまり、環境を作る事で対象物を作るみたいなものの作り方をしたいなと思い始めたんですね。
実はあの雲の作品も、あの塊をつくってるわけではなくて、特殊な環境を作り、環境が生んだ現象なんですね。そういう環境を作ることで存在を生む。その存在を作品と呼ぼうと思って作り始めたんですね。
自分自身も自分たちが作品を作るプロセスを通して、何か広がってきた気がするんですね。自分自身も。それができたらいいなと思いますね。
(小見)
自分自身も広がってきたということを感じるから、見たり、触ったり、体験した人たちも少しでも変わってくれるんじゃないか。
(猪子)
そうですね。まあ、でも究極は自分たちで作り、自分たちで体験し、まず自分が認知を広げたいっていうのがあるのかもしれないですけどね。自分が自分の世界の見え方を広げたい。世界をもっと見たい。
(小見)
そうするとまた新しい作品が生まれてくるかもしれないですね。
(猪子)
そうですね。自分がその体験がよかったら、ついつい、「見てよ、見てよ」って言っちゃうね。「やってみて、やってみて」って言っちゃうよね。人ってそういうもんだからね。
「インタビューここから アート集団代表 猪子寿之」10月17日(月)午前7:53まで、NHKプラスで見逃し配信
「インタビューここから アート集団代表 猪子寿之」
番組ホームページ
10月17日(月)午前7:53まで、NHKプラスで見逃し配信
10月17日(月)午前7:53まで、NHKプラスで見逃し配信
