異次元緩和 2年の短期決戦のはずが… 黒田日銀 次の課題は?

異次元緩和 2年の短期決戦のはずが… 黒田日銀 次の課題は?
日銀の黒田総裁の任期が10月8日で残り半年となる。デフレからの完全脱却を目指して異次元の金融緩和を続けてきた黒田総裁。資源価格の高騰などで物価上昇率は目標の2%を上回って推移するが、日銀が当初描いていた賃金上昇や経済成長を伴った形とはほど遠い。金融緩和の継続姿勢を強める黒田総裁だが、足元では円安が加速し経済への悪影響を指摘する声も強まる。黒田総裁は残り半年で何を目指すのか。見えてきた課題とは。(経済部記者 加藤ニール)

望まない形での2%物価上昇

10月に入り、“値上げラッシュ”が本格化。暮らしに身近な食品などの値上げが相次いでいる。
民間の信用調査会社によると原材料価格の高騰や円安などの影響で10月に値上げされる商品は6700品目にのぼり、家計への負担が一段と増している。
8月の消費者物価指数(生鮮食品を除く)の上昇率は、2.8%となり、日銀が目標とする2%を5か月連続で上回った。年内には3%を超えるのではないかという見方も出ている。

黒田総裁は9月の記者会見でこうした物価上昇の中でも、今の大規模な金融緩和を続ける姿勢を繰り返し強調した。
黒田総裁
「今は賃金が上がり、物価が上がるという経済の好循環ではなく、物価の安定の目標の達成は、来年も再来年も難しい状況だ。金融緩和を続けることには全く変わりないので、当面、金利を引き上げることはない」
今の物価上昇は資源価格の高騰や円安などに伴うコスト高を背景とした一時的なもので、企業収益のマイナスや家計の負担の増加で景気を後退させる懸念があるというのが黒田総裁の見方だ。

賃上げや経済成長を伴って物価が安定的に上昇するまで、金融緩和で景気を下支えする必要があるというわけだ。

異次元緩和 2年の短期決戦のはずが常態化

黒田総裁が就任したのは2013年3月。日本経済は物価が下落するデフレや円高に苦しめられていた。

就任してすぐに黒田総裁は2%の物価目標を2年程度で実現すると宣言。国債などの買い入れを大幅に増やして市場に大量の資金を供給する政策を打ち出す。
黒田バズーカとも呼ばれた金融緩和。これによって円高の是正と株価の上昇が進み、マイナスで推移していた物価も上昇に転じた。

しかし、その後、物価の動きは停滞する。

事態を打開しようと2016年1月には日銀史上初めて「マイナス金利政策」の導入を決定。しかし長期金利がマイナス圏まで下落し、金融機関の収益に悪影響がおよぶおそれが指摘された。

そこで9月には、大規模な金融緩和を継続しつつ、短期金利をマイナスにしたうえで、長期金利をゼロ%程度に抑える「長短金利操作=イールドカーブコントロール」を導入。
マイナス金利の影響で下がりすぎた長期金利を是正し、金融機関の経営に配慮した形で異次元の金融緩和は持久戦に突入した。

それでも物価上昇率は2%に届かず2018年4月に2期目に入った黒田日銀は、繰り返し先延ばししてきた2%の物価目標の達成時期を示すのをやめた。

急速な円安のジレンマ

そして今、日銀が向き合うのは金融緩和と円安のジレンマだ。

先月22日。外国為替市場では、円相場が一時1ドル=145円台後半まで急落。
政府・日銀は、24年ぶりにドル売り円買いの市場介入に踏み切った。きっかけとなったのは黒田総裁の発言。

金融緩和策の維持を決めた会合のあとの記者会見で黒田総裁は「金利を当面上げるつもりはない」と強調。

物価安定目標の達成は、来年も、再来年も難しい状況だとして、金融政策の将来の方向性を示す「フォワードガイダンス」の変更は2、3年は、必要だとは考えていないとも述べた。

これとは対照的にアメリカでは、記録的なインフレを抑え込むため大幅な利上げを進めていることから外国為替市場では日米の金利差の拡大が強く意識され円安に拍車がかかった。

さらに大規模な金融緩和を続けた場合、円安に歯止めがかからず物価上昇を促して家計を圧迫するリスクがあるとも指摘されている。

しかし、金融引き締めに転じれば、賃金上昇などが実現しないまま、金利の上昇を通じて景気を悪化させるリスクもあり、日銀は難しいかじ取りを迫られている。

“副作用も目立つように…” 元日銀理事 早川氏

残りの任期が半年となった黒田総裁。日銀の元幹部たちは黒田日銀のこれまでをどう見ているのか。

日銀で2013年まで理事や調査統計局長などを務めた早川英男氏。異次元緩和は壮大な実験だったが当初は一定の効果もあったと評価する。
早川氏
「異次元の金融緩和策はやってみないとよくわからない実験的な政策だった。当時は、デフレで円高で不景気でという経済状態で、大胆な賭けでもやってみないと収まらない状況もあった。最初の1年は円安になり、株価も上がって一定の効果はあった」
一方で壮大な実験の結果、金融政策だけで2%の物価安定目標を達成することが困難だということが明らかになったと指摘する。
早川氏
「黒田総裁が就任する直前に政府と日銀は共同声明を出して、日銀は2%の物価目標をできるだけ早く達成するとした一方で、政府は日本経済の成長力を高めるため構造改革を進めるとともに、持続可能な財政基盤をつくることが求められていた。だが金融緩和以外の2つはほとんど何も行われず、金融緩和だけでは目標の達成はできなかった」
そのうえで、短期決戦だったはずの異次元緩和が長期化したことで、市場機能のゆがみや財政規律の緩みなど、副作用も目立つようになってきたと指摘。

今後の政策について早川氏は、急速な円安を是正するためにも柔軟な対応が必要だという。
早川氏
「海外の金利が大きく動くと通常はそのショックを吸収する方法として、日本の長期金利が上がることによって吸収する部分と、為替が円安になることによって吸収する部分の2つあるが、1つのルートを(イールドカーブコントロールによって)止めると為替の変動が大きくならざるをえない。イールドカーブコントロールに固執している結果として為替の振幅が大きくなり過度の円安を招いている。状況に合わせて政策を柔軟に変えていくべきだろう」

“金融緩和の継続が必要” 元日銀副総裁 岩田氏

一方、2013年から5年間、黒田総裁を支える副総裁として金融政策の運営を担ってきた岩田規久男氏。

積極的な金融緩和を主張するいわゆる「リフレ派」で知られる岩田氏は、物価の安定目標には届かなかったとしても、日本が長年苦しんでいたデフレではない状況をもたらしたとして異次元緩和の効果を強調する。

そのうえで2014年4月の消費税率の引き上げがなければ物価安定目標は実現できていた可能性が高かったと振り返る。
岩田氏
「2014年夏ごろには2%の物価目標が達成できるペースだったが、それを壊したのが、消費増税だった。金融政策で需要を高めて物価を2%にしようとしているのに、財政規律を急いで消費増税で需要を抑えてしまい景気を悪くしてしまった。財政も協力する体制をつくらないかぎり、本当のデフレ脱却は難しい」
また金融政策を修正しても今の円安を是正することにはつながらないと指摘する。
岩田氏
「ウクライナから離れているなど地政学リスクが圧倒的に低いのはアメリカで、その通貨が安全資産だと思われるから需要が高まっている。金融引き締めを行っているヨーロッパをみるとユーロもポンドもドルに対して安い状況だ。金利を上げても円安はとまらないだろう」
そのうえで金融緩和の継続が必要だという。
岩田氏
「いまは穀物価格と原油価格が上がるコストプッシュ型の物価上昇で、経済情勢がよいわけではない。もしいま量的緩和をやめると金利が上がり、いちばん困るのはコロナ禍で負債が増えた中小企業だ。原材料高に加えて、金利の上昇が企業の負担となり、景気が悪くなるおそれがある。物価が上がって困る人も多いが、これは金融政策ではなく、現金給付などの財政政策で対応すべき問題だ」

見えてきた課題は

大規模な金融緩和をめぐっては、日本経済が悩まされてきた長年のデフレを是正したという評価がある一方、いまだ2%の物価安定目標は達成できておらず、硬直的な政策運営が過度な円安や市場機能をゆがめるなどさまざまな副作用を招いているという指摘も出ている。

こうした課題にどう対応すべきか。早川さんは、副作用の是正に取り組むためにも、今2%の物価目標を掲げる必要があるのか改めて議論すべきだとしている。
早川氏
「2%の物価目標はすでに空文化していて、副作用を指摘する人も多い。物価安定目標はころころと変えるものではないという議論も当然あるが、この10年で金融政策に求められる役割も変わっている。日銀が目指す世界はどういうものなのか、日銀・政府だけでなく多くの人を巻き込んだ幅広い議論が必要だ。そのうえで副作用の是正などに慎重に取り組むことが求められる」
一方の岩田氏。マーケットで金融緩和を見直す出口戦略の議論も取り沙汰されるが、賃上げを伴う物価安定目標の実現に向けては、出口戦略を急がず、粘り強い金融緩和が必要だと指摘する。
岩田氏
「今は人手不足など賃金が上がる要素が出てきているので、規制改革で生産性を上げるなど雇用改革が大事だ。賃上げに向けた状況を作るのは利上げではなく、金融緩和の出口を急ぐことが、いちばん危険だ。日本はデフレマインドが根強く、金融緩和をやめると、すぐにデフレマインドに戻ってしまうおそれがある」
在任期間が歴代最長となった黒田総裁。

残り半年の任期でこれまでの政策運営をどう総括し、次に引き継いでいくのか世界の市場関係者が注目している。

黒田・日銀の金融政策が日本経済、そして私たちの暮らしに何をもたらしたのか、引き続き検証を進めていきたい。
経済部記者
加藤ニール
2010年入局
静岡局、大阪局を経て現所属