家族のためにキャリアは捨てた

家族のためにキャリアは捨てた
大学教員として大勢の学生を指導し、国家的なプロジェクトにも携わる順風満帆だった生活。それはある日、突然崩れ去りました。

「子どもたちの未来のためならなんでもする」

男性はこれまでのキャリアを捨て、日本で新たな人生を始めました。
(国際部記者 北井元気)

順風満帆だった人生

「人生が暗闇に落ちていくようでした」

こう話すのは、アフガニスタン人の男性、バシールさん(37・仮名)です。
首都カブールで大学教員として働いていたバシールさん。

教育関連の大きなプロジェクトにも携わり、国内各地を飛び回りながら大学の授業もこなす忙しい毎日を送っていました。
バシールさん
「多忙でしたが、とても幸せでした。やりがいのある仕事を与えられ、それに見合った給料をもらい、人間関係も良好でした。国の改革と発展のために自分自身を高め、貢献していこうと考えていました」

これまでの37年間を失った日

ところが去年8月15日、イスラム主義勢力タリバンが首都カブールを制圧、統治を始めたことで、生活は一変します。

多くの同僚が国外に脱出するなか、バシールさんも家族とともに国外へ逃げようと考えました。

しかし、妻や幼い子どもたちはパスポートを持っていなかったため、アフガニスタンにとどまることを余儀なくされます。欧米からの経済制裁を受けて、銀行からは現金がほとんど引き出せなくなり、生活は日に日に厳しくなったといいます。

前の政権の関係者が尋問を受けたり公開処刑されたりする中、バシールさんも身の危険を感じ、ほとんどの時間を家の中で過ごしました。
バシールさん
「何百万人ものアフガニスタンの人たちと同じく、私は希望を失いました。どうやって生活を続けていけばいいのか。頭の中で同じ質問を繰り返していました」
タリバンの首都制圧から2週間がたったある日、バシールさんは大学とは別に勤務していた団体から職場に戻ってくるよう連絡を受けます。

タリバン復権前の政府とは直接関わりがない団体だったため、安全に仕事を続けられるかもしれない。そう考えたバシールさんでしたが、現実を目の当たりにします。

オフィスにはタリバンの戦闘員が送り込まれ、以前のように仕事ができるような環境ではなかったのです。
それから数か月、バシールさんに仕事はありませんでした。

タリバンは、現場の判断で不要と考えた仕事をすべてやめさせたといいます。当然、給料が支払われることもありませんでした。
バシールさん
「私が生まれてから37年間で築き上げてきたもののほとんどを失ったような感覚でした。やる気もなくなり、ネガティブなことばかりを考えていました」
幼い子ども4人と妻を養う収入が絶たれ、将来が見通せない。

このままアフガニスタンに残っても未来はない。

バシールさんは、これまでのキャリアを捨てて国外に逃れることを決意。仕事で関わりのあった国際機関や組織などに助けを求めるメッセージを送り続けました。

国外に脱出 課題も

タリバンの復権から4か月あまりたった1月上旬、ようやくうれしい知らせが届きます。日本の宮崎大学がバシールさんを研究員として受け入れてくれるという連絡でした。

バシールさんは2014年から17年まで、JICA=国際協力機構のプログラムで宮崎大学に留学していました。治安もよく、自身の経験も生かせる日本は、まさに理想的な避難先でした。

ことし5月、友人やかつての指導教員の助けで渡航費用などを工面し、なんとか宮崎に到着。現在は大学が提供する教職員宿舎に、家族6人で暮らしています。
しかし、この先の不安もあります。

宮崎大学に受け入れてもらえるのは1年間だけ。いまは研究員として滞在が許可されていますが、日本での滞在期間を延長するには、新たに仕事を見つけなければなりません。

バシールさんのような海外からの避難者が仕事を見つけるには、日本語の能力を求められることも多く、どんな仕事に就くことができるか、見通しが立たないのです。
バシールさん
「一番の理想は、自分の専門を生かせる研究職ですが、私には仕事を選ぶことはできません。とにかく家族の生活を支えなければいけないのです。レストランのアルバイトでも、荷物の配達員でもなんでもします」
家族と生きるための強い覚悟を話してくれたバシールさん。

そのことばの裏で、母国で立派な仕事に就いていたというプライドとの間で葛藤しているようにも見えました。

民間による支援の限界

バシールさんを受け入れている宮崎大学では、現在、元留学生のアフガニスタン人、あわせて6人を受け入れています。

受け入れを中心となって呼びかけたのは、宮崎大学農学部の大澤健司教授。きっかけは、かつて担当した元留学生たちからの悲痛な声でした。
大澤健司教授
「タリバンが再び権力を握った当初は、大学として何ができるかがわからず、『希望を捨てるな』という程度のことしか言えませんでした。それが12月ごろに『このままでは、あと3か月で飢え死にするかもしれない』とメールで直接、連絡がありました。“死ぬ”という文字を見て、ここで助けないまま本当に死んでしまったら一生後悔すると思いました」
他大学の受け入れ状況などを参考に大学側や学部長にかけあい、1年間だけ、元留学生を研究員として受け入れることが決まりました。

1人あたりに支払われる給料はおよそ20万円。

このうち半分は大学が基金から負担し、もう半分は受け入れる指導教員が研究費などから工面することになりました。
受け入れに賛同した教員とともに、元留学生とその家族への支援を続ける大澤教授。毎週土曜日には、学生のボランティアによる日本語の教室も開かれています。

しかし、こうした支援を民間だけで続けるには限界もあると話します。
大澤教授
「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって、アフガニスタンの人たちへの支援に対する関心が少なくなっているように感じます。大学など民間や個人ができる支援は資金的にも限られているので、今後の就職に向けた支援など、行政とも協力しながらなんとかやっていきたい」

就職を阻む「エリート」の壁

避難先での新たな職探しに向けては、アフガニスタンならではの特殊な事情を指摘する声もあります。

各国から避難してきた人たちの就職を支援しているNPO「WELgee」の山本菜奈さんが課題としてあげたのは、日本語のスキルと本人のエリート意識です。
山本菜奈さん
「高学歴の人たちはプライドやエリート意識が特に高く、また男性の多くは家長としての責任感もあります。日本に来てから生きていくことしかできず、子どもたちをどこかに連れて行くお金もない。まるで監獄にいるようだと話す方もいました」
避難者の多くが、前の政権で中央官庁に勤めていた公務員や、外交官、それに大学の教授といった、いわば社会のエリート層です。

このため、一時的に日本に避難してきても、自立して日本で仕事を見つけようとする際に、これまでのキャリアとのギャップに直面し、精神的に追い詰められるケースがあるといいます。
団体では、こうした避難者たちの自尊心を傷つけないよう、本人に寄り添うような支援を意識。受け入れ側の日本企業に対しても、単に「避難者を助ける」だけではないメリットをアピールして、マッチングを成功させたいと言います。
山本菜奈さん
「日本では、多国籍なエリートたちを生かす環境が整っていないのが現状です。一方で、海外への展開を見据えてグローバルな人材を求める企業も増えてきていて、彼らの人材としての潜在的な可能性は多くあります。まずは、彼らがどんな人生を歩み、経験があり、強みがあるのか、身近に知る機会を作ることで、理解を深めてもらえればと思っています」

取材を終えて

今回取材したバシールさんのように、縁あって国外へ避難できた人はほんの一部。

アフガニスタンではいま、欧米の経済制裁の影響などで、国民のおよそ半数にあたる1890万人が深刻な食料不足に直面していて、緊急の支援を必要としています。

日本の出入国在留管理庁によると、アフガニスタンから去年8月以降に日本に避難してきた人は、ことし8月時点で820人。

このうち、元留学生として宮崎大学の支援で日本に来ることができたのは、バシールさんを含めてわずか6人です。

それでも、6人とその家族は、安全な環境で毎日の食事をとることができ、みな笑顔にあふれていました。
平和で幸せな日常生活が一変してしまった人たちに対して、私たちひとりひとりはどう関わっていけばいいのか。

支援の課題は何か。今後も取材を続け、考えていきたいと思います。
国際部記者
北井元気
2014年入局 
函館局、札幌局を経て現所属
南アジア、東南アジアの取材を担当