ヤクルト 内川聖一 現役引退を表明 セ・パ両リーグで首位打者

プロ野球で、セ・パ両リーグで首位打者のタイトルを獲得したヤクルトの40歳、内川聖一選手が会見を開き、「長い時間、プロという世界で野球ができたことを幸せに思う」と述べて、現役を引退する意向を表明しました。

内川選手は平成13年に当時の横浜に入団し、8年目の平成20年には3割7分8厘と右バッターとしての歴代最高を打率をマークし、首位打者に輝きました。

10年目のオフにFA=フリーエージェントでソフトバンクに移籍し、史上2人目となるセ・パ両リーグでの首位打者のタイトルを獲得しました。

昨シーズンからはヤクルトでプレーしていましたが、今シーズンはここまで6試合の出場にとどまっていました。

内川選手は28日、神宮球場で会見を行い「22年間、本当に長い時間、プロという世界で野球ができたことを幸せに思うし、本当にありがたい時間だったなと思う」と述べて、現役を引退する意向を表明しました。

そのうえで、「ヒットを打つために一生懸命バッティングを作ってきたが、ここ最近の野球界は、基本的にホームランを打つためのバッティングをしながら、ヒットを打つことに変化していると思ったので、その変化に対応しきれなくなってきたというのは正直な気持ちだ」と引退を決断した理由を明かしました。

また最初に首位打者になった当時を振り返り、「僕も信じられなかった。前の年までレギュラーも取っていないし、規定打席にのったこともない。そんな打率なんていうのは、想定もしていなかった。毎試合球場のバックスクリーンに打率が出るのをみて、自分の数字じゃないような感覚で打席に入っていた」と話しました。

また、史上2人目となるセ・パ両リーグでの首位打者のタイトルを獲得したことについて、「今考えると長いプロ野球の歴史の中で、2人しかできなかったことをやったんだと思う。実感はないが、すごいことだったのだろう。全然自分がすごいなんて思ったことはない」と謙遜しました。

そのうえで、若手選手に向けては、「若いころから練習にも試合に対しても、これ以上できないと思って、とことんやってきたつもりだったが、今考えると、もうひとふんばりできたんじゃないかとか、もっと早くレギュラーを取れたんじゃないとか、後悔が先に来る。本当に若いうちにとことん頑張って、こういう機会が訪れたときに後悔がないようにやってほしい」とエールを送りました。

内川聖一選手とは

内川聖一選手は大分県出身の40歳。

大分工業から平成13年に当時の横浜に入団しました。

「ウッチー」の愛称で親しまれ、プロ8年目の平成20年には189本のヒットを打って3割7分8厘と、右バッターとしての歴代最高の打率をマークし、首位打者と最多安打のタイトルを獲得しました。
10年目のオフにFA=フリーエージェントでソフトバンクに移籍し、1年目の平成23年には打率3割3分8厘をマークし、史上2人目となるセ・パ両リーグでの首位打者のタイトル獲得を果たしました。

平成27年にはソフトバンクのキャプテンに就任。

全試合で4番として起用され、リーグ優勝と日本一に貢献しました。

また、プロ18年目の平成30年には2000本安打を達成しました。
プロ20年目のおととしは、1軍での出場はなく自由契約となり、そのオフにヤクルトに入団。

会見では「もう一花、咲かせられるよう頑張りたい」と意気込みを示しました。

そして、移籍1年目の昨シーズンは38試合に出場し、オリックスとの日本シリーズでも代打で2試合に出場しました。

プロ22年目の今シーズンは、チームで新型コロナウイルスの感染が相次いだ7月に、1軍に昇格し、6試合に出場しましたが、14打数3安打と結果を残せず、その後は1軍での出場機会はありませんでした。

短期決戦に強く、日本シリーズのMVP=最高殊勲選手に1回輝いているほか、クライマックスシリーズのMVPにも3回選ばれています。
また、日本代表としてWBC=ワールド・ベースボール・クラシックに3大会連続で出場し、第2回大会では日本の世界一に貢献しました。

プロ22年で通算2021試合に出場し、打率3割2厘、2185本のヒットを打ちました。

内川選手の父親「正直 少しほっとしている部分も」

内川聖一選手が現役を引退する意向を表明したことについて、高校時代の監督で父親の一寛さん(65)が28日、NHKの取材に応じました。

この中で、一寛さんは、「親としても指導者としても、プロ野球界からまた1人教え子がいなくなりさみしい思いもありますが、本人はけがや故障も多く、いつも心配していたので、正直、少しほっとしている部分もあります。まさか、これほどまでの選手になるとは思っていませんでしたので、今はとにかくお疲れさまと伝えたいです」と話していました。

一寛さんは、日本シリーズでの活躍が思い出深いと話す一方で、「故障のため、長い間、もがき苦しんでいた姿が最も強く印象に残っている」と振り返りました。

内川選手からは2日ほど前に引退の報告を受けていたということで、「本人は、『多くの大分県民の皆さんに応援していただいたので、引退後は大分のために活動したい』と言っていました。まずはゆっくり休んで、これからのことをじっくり考えてほしいです」と話していました。