ウクライナ避難者が今 直面していること

ウクライナ避難者が今 直面していること
「日本語は話せません」。

ウクライナから避難してきた人たちに向けて、新たに作られた日本語の会話集の一節です。ことばの違いは、戦禍から逃れてきた人たちの生活に立ちはだかる壁となっています。

軍事侵攻で避難生活の長期化を余儀なくされる中、どうしたら壁を解消できるのか。ウクライナ出身者も動き始めました。

(京都放送局記者 海老塚恵)

“仕事の面接 すべて断られた”

ウクライナから日本に避難してきた、ダリア・ダツセンコさん(22)。

首都キーウに住んでいましたが、ロシアによる軍事侵攻を受けて、4月から京都に身を寄せています。父親はキーウに残りましたが、母親と妹がカナダに避難するなど、家族は離れ離れになっているといいます。
これまでに自治体や支援団体から合わせて35万円の支援を受けましたが、避難生活が長くなり、家賃のほか日用品や衣服を購入するための収入も必要になっています。

そこで、仕事を探し始めたダツセンコさん。身近な接客業やウクライナで資格を持っていた図書館の司書といった仕事は、日本ででもできるのではないかと考えました。

しかし、思い描いたようには進んでいません。

本やインターネットで見た求人情報は、ほとんどが日本語。応募する履歴書も日本語の書式が一般的です。覚えたての漢字やひらがなで、インターネットで探した例文や書式を頼りに書いてみましたが、すべて断られてしまいました。

生活費に迫られていたため、結局、ウクライナの企業を頼って、ウェブサイト用のイラストを描くアルバイトなどをしているといいます。
ダツセンコさん
「日本語は仕事を探すところから必要でした。やっと見つけて応募しても面接にもたどり着けませんでした。想像はしていましたが、日本では思った以上に、日本語ができないと働ける場所は少ないと実感しています」
自治体などの支援を受けて日本語学校に毎日通い、漢字の書き取りや会話の練習を重ねていますが、実際に使えるまでには大きなハードルがあると感じています。
ダツセンコさん
「日本語は主語や述語の並び順からウクライナ語や英語と全く違うので、とても混乱します。漢字、ひらがな、カタカナ、3種類の文字があってかなり複雑です。日本語はとても美しい言語だと思いますが、使えるようになるには時間がかかりそうです」

避難者の就職率 1割以下

日本で3月から始まった、ウクライナからの避難者の受け入れ。避難してきた人は、出入国在留管理庁によりますと、8月末時点で1817人にのぼります。

国や自治体などが支援を続けていますが、軍事侵攻が長期化する中、自立的に暮らしていくために、仕事につく必要性が次第に高まっています。しかし、避難してきた人のうち就職した人は137人。率にして、7.5%にとどまっています(厚生労働省まとめ)。

立ちはだかるのが日本語です。当初から課題だったことばの違いは、依然として「壁」となっています。
支援活動を続けている「日本財団」が、9月下旬までに日本語について避難者554人に行ったアンケート結果です。

「ほとんど話ができず、日本語が聞き取れない」と回答した人が67%。
「少し話ができ、簡単な日本語のみ聞き取れる」は22%。
「話ができ、日常生活の日本語は聞き取れる」は7%にとどまりました。
さらに「あなたにとって重要なニーズ/サービスは?」という問い(複数回答)では、「日本語教育」という回答が356人(64%)で最も多く、次いで「就職機会、職業訓練」の280人、「医療」の277人などとなっています。

自由回答からも、ことばの違いによってストレスを感じていることが伺えます。
「体の不調について十分に説明することができない」(東京在住の女性)

「母に職業を見つけてもらいたいが、母は75歳で英語も日本語も知らない。多くの組織から郵便物がくるが、家族の誰も日本語が読めない」(千葉在住の女性)
調査した日本財団の佐治香奈さんは、日本語が不自由であることの影響が広範囲に及ぶほか、支援にすらたどりつけていない人もいると指摘しています。
日本財団ウクライナ避難民支援室 佐治香奈さん
「日本に避難した人にヒアリングすると、自治体に相談するにも意思の疎通をすることが難しかったり、病院の予約の段階で受付の人と話せなかったりと、言語の問題が医療、就労など多くの課題につながっていると実感します。国も日本語学習の支援を続けていますが、その情報が避難している人たちに正しく伝わっていないケースもあり、スムーズに情報を探せる仕組みづくりも必要になっています」

「会話集」で支援の動きも

直面することばの課題の克服に向けて、支援の動きも出ています。

ウクライナ出身のウラディーミル・ミグダリスキーさん。大学院で数学の教授をつとめるかたわら、長年日本語を研究し、ウクライナ語と日本語の通訳や翻訳を続けてきました。ゼレンスキー大統領をはじめ、歴代の大統領が来日した時には、通訳も務めています。

ミグダリスキーさんはすぐに使える日本語とウクライナ語の会話集が見当たらないことに気付き、みずから作ることを決めました。
ミグダリスキーさん
「日本のように未知の海外の土地に避難することにはまず勇気が必要です。そのうえ、ことばの壁があるとなると負担もさらに大きくなります。ウクライナから遠く離れている日本で何かできないかと考えた時に、私ができることは日本語で、それを生かそうと思ったんです」
会話集の作成には、ミグダリスキーさんの母親のビクトリアさんと娘のジュリアさんの「3世代」で取り組みました。3人はともに日本語に深い関わりがありました。

母親のビクトリアさんは、ウクライナで約30年間、日本語教師をしてきました。4月にミグダリスキーさんのもとに避難して以降、一緒に会話集の制作にあたり、避難者の立場で、ウクライナの人が日本で生活する上で欠かせないことばを選んでいきました。

娘のジュリアさんは、日本で生まれ育ちました。会話集を実際に使う時に、日本の文化や様式に違和感なく、自然な日本語として理解されるよう、訳を手がけました。
約半年かけて、7月にできあがった会話集です。

「日本語は話せません」、「この薬はいつ飲めばいいですか」、「最寄りの銀行はどこですか」など、日常会話ですぐに使える約500のフレーズを掲載しました。
ウクライナの人が声に出して読みやすいよう、日本語のそばにローマ字も添えました。ウクライナ語のすぐ隣には日本語を載せ、とっさに話せず困ったときに指で示しながら、日本の人に伝えられるよう工夫も施しました。

完成した会話集は、避難してきた一部の人に配布されました。全国の書店でも販売されていて、売り上げは避難者のために寄付されるということです。
ミグダリスキーさん
「軍事侵攻が長期化するなかで、さらにたくさんの人が日本に来ると思います。戦争から逃げてきたストレス、そして見知らぬ土地で暮らすというストレスの中で少しでも心を落ち着けて将来の心配なく暮らしていけることができるように、会話集がたくさんの役に立ってほしいと願っています」
軍事侵攻を受けて、京都の大学に受け入れられた18歳の男性にこの会話集を読んだ感想を聞いてみると「使いやすいです。私は『日本語は話せません』というフレーズを最も使うと思いますが、指で指示して伝えることもできそうです」と話していました。

求められる長期的な支援

戦禍から逃れ、平穏に暮らしたい。
その願いに寄り添い、実現するためにはどのような仕組みが必要なのか。

調査にあたった日本財団の佐治さんは、ニーズの変化を捉えながら、粘り強く支援していく姿勢が重要になってくると指摘しています。
日本財団ウクライナ避難民支援室 佐治香奈さん
「避難してきた人の中には、日本への感謝や支援を求めてばかりでは申し訳ないという気持ちから、困りごとや悩みをすぐに口に出さない傾向もあります。支援の内容を充実していくためにも、関係づくりが大切になっていると感じます。また軍事侵攻が始まった直後、多くの企業や団体から支援の手があがりましたが、数か月や半年という期間のものもあります。長期的な支援を官民で協力して進めていくことも大切です」
2月に軍事侵攻が始まって以降、避難者の取材を続けていますが、避難してきた人は日本での生活のもどかしさからストレスが増えてきているようにも感じています。日本での自立的な暮らしを支えていけるように、より丁寧なサポートが必要になっていると思います。
京都放送局記者
海老塚恵
2018年入局 京都市政担当
ウクライナ避難民の現状や支援の動きの取材を続ける。趣味はバレエ。