イギリス ジョンソン前首相「激動の3年間」とは?

イギリス ジョンソン前首相「激動の3年間」とは?
髪はいつもぼさぼさ。
「ボリス」とファーストネームで呼ばれ、親しみやすさが「売り」だったイギリスのジョンソン前首相。

私がロンドン支局にいた3年間は、ジョンソン氏の首相就任に始まり辞意表明で終わる、まさにジョンソン首相一色の3年間でした。

EUからの離脱、新型コロナ、そして数々のスキャンダル。激動の「ボリスの3年間」を振り返ります。

(前ロンドン支局長 向井麻里)

Get Brexit Done EU離脱を成し遂げる

私がロンドンに赴任した2019年7月。首相だったメイ氏の後任を選ぶ与党・保守党の党首選が進められていました。

初めてジョンソン氏を直接見たのは、ロンドンで行われた討論会。候補者の1人だったジョンソン氏が姿を見せるとひときわ大きな歓声があがりました。

支持者とも直接ことばを交わしながら会場に入ってきたジョンソン氏。スーツは少しきつそうでしたが、有力視されていたこともあってか余裕さえ感じられ、自信にあふれた表情が印象に残っています。
この党首選に勝利し首相に就任したジョンソン氏。

公約である“Brexit”(ブレグジット)、EUからの離脱を実現させようとあらゆる手を使いました。

EUに対しては、条件面で合意しないままの「合意なき離脱」をちらつかせ、EU側が怒りをあらわにすることも少なくありませんでした。

一方、国内では野党側と常に対立。与党が単独で過半数の議席を持たない中、議会での議論を封じ込めようと首相みずからの意向で閉会し、最高裁が違法だと判断する事態に発展したことも。

週末には各地でデモが起こり、ジョンソン首相の強硬な姿勢が連日、物議を醸していました。
事態を打開しようとジョンソン首相が打った次の手が、就任からわずか4か月余りの2019年12月に行われた総選挙でした。

支持率では野党を上回っていたものの離脱をめぐって世論は大きく割れていただけに、選挙は大きな“賭け”でした。
しかし、ふたを開けてみれば「Get Brexit Done(離脱を成し遂げる)」というスローガンをかかげた与党・保守党が過半数を大きく上回る「歴史的な大勝」。

野党・労働党が自滅したとの見方もありますが、政治的な“賭け”に勝ち、公約どおり離脱を実現しました。

3年間で支持率がもっとも高かったのは

2020年1月にEUからの離脱を実現しますが、その余韻にひたる間もなく対応を迫られたのが新型コロナの感染拡大です。

他のヨーロッパ諸国よりも「ロックダウン」に踏み切る決断が遅れ、感染者、そして死者が急増。

3月にはジョンソン氏自身も感染して集中治療室で処置を受け、生死の境をさまよいました。
この時期は感染が急速に拡大。

イギリス国内では連日、1日に1000人を超える人が亡くなり、社会には重苦しい雰囲気が広がっていました。

「首相までコロナの犠牲になってしまうのか」

私も「万が一」に備えた準備をしていただけに、容体が最悪の状況を脱したという一報が入った時には安どしたことを覚えています。

ジョンソン氏自身も「死ぬかもしれないと覚悟した」と後日、明らかにしていますが、実はジョンソン政権の3年間で最も高い44%の支持率を記録したのは、首相が退院し、公務に復帰したこの時期でした。(YouGov調べ)

Stay at Home “家にいよう” 新型コロナ

「Stay at Home, Protect the NHS, Save Lives(家にいよう、医療制度を守ろう、そして命を救おう)」

新型コロナの感染が拡大する中、ジョンソン政権が掲げたスローガンです。

専門家とともに記者会見し、感染状況や政府の対策について国民に説明するジョンソン氏の姿勢は、独善的とも言える形で進められたEUからの離脱交渉とは大きく異なっていました。

みずからが感染したことで思うところがあったのかもしれないとも感じました。
多くの国に先駆けてワクチン接種が開始されたイギリスでは、2021年前半には「新型コロナはもう少しで乗り越えられるかも」という希望さえ感じられるようになり、厳しい規制も早い段階で撤廃されました。

しかし、変異ウイルスの拡大で規制の強化を何度も余儀なくされるなど、新型コロナをめぐってはジョンソン政権も難しい対応を迫られました。
いまイギリス国内では規制もなく、マスクをつけている人もほとんどいません。町なかは「コロナ前」に戻ったかのようですが、これまでに亡くなった人は20万人を超えています。

大きな犠牲も伴ったジョンソン氏の一連の対策が正しかったのかどうか、まだ評価は定まっていません。

ルール守らず 自分は「特別」

卓越した政治手腕なのか、先を読む政治的な“勘”なのか、あるいは運が強いのか。ジョンソン氏はEU離脱、新型コロナと大きな危機を乗り越えてきました。

しかし、首相の座を追われる要因となったのはその“脇の甘さ”でした。
2021年12月に発覚した「パーティーゲート」と呼ばれるスキャンダル。新型コロナの規制が続く中、首相官邸などでパーティーを行っていた問題です。

国民に対して厳しい外出制限などを強いる一方、自分たちはルールを守らず「特別扱い」。

ジョンソン氏は「職務だと思っていた」などと抗弁しましたが、国民からの批判が高まり、現職の首相が法律に違反して警察から罰金を科される前代未聞の事態になりました。
スキャンダルが発覚して以来、政権の支持率は20%前半まで落ち込みました。一方で「選挙に強いジョンソン氏は、党としての『財産』だ」という意見は根強いものがありました。

そのジョンソン氏が引導を渡されるきっかけとなったのが、保守党幹部の性的なスキャンダルです。

泥酔した幹部が会員制クラブで男性客の体を触った問題で、ジョンソン氏は「事前に知らなかった」と話していましたが、その後、それが偽りだったことが明らかになったのです。

スキャンダルへの対応が二転三転することはこれまでもありましたが、専門家は「このスキャンダルはモラルに著しく反し、党としても容認できるレベルではなかった」と分析していました。

私自身、次々と発覚する政権のスキャンダルに「またか」という気分になっていたことは否めません。この問題をきっかけに辞任に追い込まれるとまでは読み切れず、感覚が鈍っていたと反省しました。

ジョンソン氏は愛想を尽かされた?それとも…

7月に辞意を表明したジョンソン氏に対しては、早くも「辞めさせるべきではなかった」という声も出ています。

ジョンソン氏の後任を選ぶ党首選の討論会の会場では「ジョンソン首相は激動の時代に苦労した。平時でどう職務を果たすか、チャンスを与えるべきだ」などといった声も多くの党員から聞かれました。

「ジョンソン氏の後継として立候補していたトラス氏やスナク氏では次の総選挙は勝てない」

そんな思惑もあるようでした。今後、首相経験者として講演を行ったり本を執筆したりすることで、ジョンソン氏には多額の報酬が約束されていると言われます。

ただ、子どもの頃から首相になることを夢見てきたジョンソン氏。敬愛するチャーチル元首相のように、再び首相に返り咲くことをねらっているとみるむきも少なくありません。

辞意表明後も、国民への謝罪はなく、総選挙での勝利や新型コロナ対策、ウクライナへの支援などみずからの実績のアピールばかり。

「レガシー」を印象づけようとするかのようでした。
ジョンソン氏は7月、首相として最後となる議会での発言をハリウッド映画「ターミネーター2」でのアーノルド・シュワルツェネッガーさんのセリフ、「アスタ・ラ・ビスタ」(また会おう)で締めくくりました。

でも、本当に使いたかったのは「ターミネーター」のもう一つの有名なセリフ、「アイル・ビー・バック」(また戻ってくる)だったかもしれません。

ジョンソン氏はまだ58歳。

数々の窮地を脱してきた「サバイバー」は諦めていない。そう感じています。
前ロンドン支局長
向井 麻里
1998年入局
国際部やシドニー支局を経て2022年8月までロンドン支局長