目指せ高校日本一 “溶接”の世界に挑む

金属を熱で溶かして接合する「溶接」。自動車や航空機、橋など、さまざまなものづくりの分野で必要不可欠な技術です。この夏、愛媛県で溶接技術の高校生日本一を決める「溶接甲子園」が開かれました。技術の正確さや仕上がりの美しさを競う大舞台。この大会に初めて挑んだ、高校生の熱いひと夏を追いました。(松山放送局ディレクター 望月悠伍)
全国の工業高校の生徒が競う“溶接甲子園”
「溶接」とは奥の深い技術です。鉄やステンレス、アルミニウムなど材料によって溶け方が変わり、仕上がりの違いは強度に直結します。
ものづくりの現場を支える溶接の技術を若い技術者に承継してもらおうと5年前に始まったのが、「溶接甲子園」です。
ものづくりの現場を支える溶接の技術を若い技術者に承継してもらおうと5年前に始まったのが、「溶接甲子園」です。

ことし愛媛県新居浜市で開かれた大会では、北海道から沖縄まで全国9ブロックから勝ち上がってきた14人の高校生が溶接の技術を競いました。
その中に、地元今治市から初参加した女子生徒の姿がありました。高校3年生の村井珠夏(しゅか)さんです。
その中に、地元今治市から初参加した女子生徒の姿がありました。高校3年生の村井珠夏(しゅか)さんです。

村井珠夏さん
「毎日、溶接甲子園のために練習を重ねてきたから、入賞(=6位以上)を目指して頑張りたいです」
「毎日、溶接甲子園のために練習を重ねてきたから、入賞(=6位以上)を目指して頑張りたいです」
学科で唯一の女子生徒
造船の町として知られる今治。1隻の大型船を造るのに必要な数十万の部品をまかなうため、市内には200以上の町工場が集まっています。

町で活躍する造船工を育ててきたのが、県立今治工業高校の機械造船科です。
ここでは、造船の現場と同じ機材を使って溶接を練習する設備が整っていて、村井さんは、およそ100人いる学科のなかで唯一の女子生徒です。
“女子がひとり”ということは全く気にせず、学校生活を送ってきました。
ここでは、造船の現場と同じ機材を使って溶接を練習する設備が整っていて、村井さんは、およそ100人いる学科のなかで唯一の女子生徒です。
“女子がひとり”ということは全く気にせず、学校生活を送ってきました。

村井珠夏さん
「小学校の頃から工業高校には行きたいって思ってたんですけど、受験の面接のときに『女子一人でも大丈夫ですか?』って聞かれて、そのときに女子がいないって初めて知りました。女子だからどうとか言われることもあるけど、全然関係ないしこれが普通です」
「小学校の頃から工業高校には行きたいって思ってたんですけど、受験の面接のときに『女子一人でも大丈夫ですか?』って聞かれて、そのときに女子がいないって初めて知りました。女子だからどうとか言われることもあるけど、全然関係ないしこれが普通です」
女の人にはできない?憧れ続けた母の背中
日々、溶接の技術を磨いている村井さんですが、“ある人”の存在が大きく影響しています。
それは、溶接工の母・知恵子さんです。
それは、溶接工の母・知恵子さんです。

男性が圧倒的に多い造船工の世界の中で祖母と2人で船舶用のタンクを製造する町工場を営んできました。
工場を設立したのは知恵子さんの父親です。しかし、10年前に病気で他界し、知恵子さんが跡を継ぎました。
工場を設立したのは知恵子さんの父親です。しかし、10年前に病気で他界し、知恵子さんが跡を継ぎました。

母 知恵子さん
「父が亡くなったあと、すぐ受け継いだんですけど、全然納期も間に合わないし、やり方もわからないしでこれからどうするんやろうって思いました」
「父が亡くなったあと、すぐ受け継いだんですけど、全然納期も間に合わないし、やり方もわからないしでこれからどうするんやろうって思いました」
当初は「女だから無理だ」など心無いことを言われることもあったといいます。
しかし、家族を養うために、周囲の技術者に教えてもらい仕事のやり方を一から学んできました。そして、徐々に業界の中でも認められる存在になったのです。
そんな母の背中を見て育った村井さんは、小学4年生の夏休みに見た母の姿が忘れられないといいます。
しかし、家族を養うために、周囲の技術者に教えてもらい仕事のやり方を一から学んできました。そして、徐々に業界の中でも認められる存在になったのです。
そんな母の背中を見て育った村井さんは、小学4年生の夏休みに見た母の姿が忘れられないといいます。

村井珠夏さん
「暑い中、お母さんは一心不乱に溶接をしていたんですよ。その姿が本当にかっこよくて。それが溶接工を目指すきっかけでした。周りの人が『女の人はできない』みたいなことを言っているのに、お母さんはそういう意見に流されずにやっているところがすごいなって思います」
「暑い中、お母さんは一心不乱に溶接をしていたんですよ。その姿が本当にかっこよくて。それが溶接工を目指すきっかけでした。周りの人が『女の人はできない』みたいなことを言っているのに、お母さんはそういう意見に流されずにやっているところがすごいなって思います」
内部まで美しく丁寧に溶接するために
母の背中に憧れる村井さんが目指しているのが溶接甲子園の全国大会でした。6月の県大会、7月の四国大会を突破し、その切符を勝ち取りました。
溶接甲子園の課題は「溶接材を用いて2枚の鉄板をくっつける」ことです。
溶接甲子園の課題は「溶接材を用いて2枚の鉄板をくっつける」ことです。

溶接跡の高さや幅が一定で美しいかを競う“外観審査”と、溶接部分の内部に傷や空洞がないかを競う“内部審査”の合計得点で順位が決まります。
溶接甲子園の4日前。取材に行くと、弱点を克服しようと練習を重ねる村井さんがいました。
溶接甲子園の4日前。取材に行くと、弱点を克服しようと練習を重ねる村井さんがいました。
四国大会で外観審査は満点だった村井さんですが、弱点は「隅々まで溶接材をいきわたらせることが苦手」ということでした。内部に隙間ができると、強度も下がってしまいます。

内部まで美しく丁寧に溶接するために、村井さんは大会当日まで毎日ミリ単位の練習を重ねていました。
迎えた大舞台
そして迎えた8月6日。溶接甲子園の本番です。
ホイッスルとともに競技が始まりましたが、村井さんのブースからなかなか火花が出てきませんでした。
ホイッスルとともに競技が始まりましたが、村井さんのブースからなかなか火花が出てきませんでした。

なぜか電気が流れてこなかったのです。その原因は機材のセッティングを間違えていたことでした。
ミスに気づき、正しく設置し直して溶接を開始しましたが、貴重な2分間をロスしてしまいました。
その後は、練習通り落ち着きを取り戻し、何とか20分の制限時間内に終わらせることができましたが、最初に初歩的なミスをしてしまったことに村井さんは納得がいかない様子でした。
ミスに気づき、正しく設置し直して溶接を開始しましたが、貴重な2分間をロスしてしまいました。
その後は、練習通り落ち着きを取り戻し、何とか20分の制限時間内に終わらせることができましたが、最初に初歩的なミスをしてしまったことに村井さんは納得がいかない様子でした。

競技後、目標としていた入賞は難しいと肩を落としていました。
「どうせ無理」と思って臨んだ結果発表
競技を終えて数時間後に行われた表彰式。6位から順に成績優秀者の名前が呼ばれていきます。
5位、名前は呼ばれません。
4位、ここでも名前はありません。
3位、高校の同級生が受賞し、複雑な顔で拍手を送ります。
そして、2位、優秀賞の発表。
5位、名前は呼ばれません。
4位、ここでも名前はありません。
3位、高校の同級生が受賞し、複雑な顔で拍手を送ります。
そして、2位、優秀賞の発表。

「愛媛県立 今治工業高等学校 村井珠夏さん」
まさか、自分の名前が呼ばれたのです。表彰式後、村井さんは驚きを隠せない様子でした。
まさか、自分の名前が呼ばれたのです。表彰式後、村井さんは驚きを隠せない様子でした。
村井珠夏さん
「焦りすぎて、全然自信なかったので、心臓が飛び出そうなくらいびっくりしてます」
「焦りすぎて、全然自信なかったので、心臓が飛び出そうなくらいびっくりしてます」
受賞の理由を審査員に聞くと、「四国大会に比べると飛躍的な成長です。溶接部分の内部の隙間もなく、毎日練習を重ねてきたことがよくわかる、とても丁寧で正確な溶接でした」と彼女の溶接は高く評価されました。
母の背中を追い続ける

村井珠夏さん
「努力したところが結果として目に見えるので、溶接はそういうところが面白いです。もっと練習してお母さんみたいな溶接工になりたいです」
「努力したところが結果として目に見えるので、溶接はそういうところが面白いです。もっと練習してお母さんみたいな溶接工になりたいです」
高校3年生の村井さんは現在、今治市内の造船関連の会社への就職を目指して活動中です。
溶接工として現場で技術を磨き、ゆくゆくは母の会社で働きたいと考えています。
一人前の溶接工になる日を目指して、母の背中を追い続けます。
溶接工として現場で技術を磨き、ゆくゆくは母の会社で働きたいと考えています。
一人前の溶接工になる日を目指して、母の背中を追い続けます。

松山放送局ディレクター
望月悠伍
2021年入局
のど自慢や経済番組、貧困支援、スポーツなどさまざまな番組や取材に携わる
望月悠伍
2021年入局
のど自慢や経済番組、貧困支援、スポーツなどさまざまな番組や取材に携わる