“謎のエリア”本格調査へ 吉野ヶ里遺跡

“謎のエリア”本格調査へ 吉野ヶ里遺跡
古代の歴史を解き明かすうえで貴重な資料が詰まっている吉野ヶ里遺跡。その一角で、ことし、10年ぶりとなる発掘調査が再開されました。その場所は長年手をつけられていなかった、まさに「ミステリーゾーン」。古代の謎に迫る鍵を握っているかもしれないんです。

入試問題にも

吉野ヶ里遺跡は中学校の入試問題にも取り上げられています。
問題
佐賀県にあり、国の特別史跡に指定されている大規模な環ごう集落の遺跡名を答えなさい。

(攻玉社中学校 2021年)
正解は、もちろん吉野ヶ里遺跡です。環ごう集落とは、堀に囲まれた集落のことです。

吉野ヶ里遺跡って?

では、どんな特徴があるのか。国内最大規模、広さ40ヘクタールほどの環ごう集落で、約700年続いたとされる弥生時代に、集落単位の「ムラ」から複数の集落が集まり王が統治していた地域社会「クニ」へと発展する過程を追うことができる貴重な遺跡だといいます。
そう教えてくれたのは吉野ヶ里遺跡の研究を続けて60年以上「ミスター吉野ヶ里」こと、考古学者の高島忠平さんです。
高島さん
「出土品は、鏡や貨幣、鉄でつくったおのや鎌。そして剣や小刀がおびただしく出てきた。王の墓と同時に大きな祭殿の跡や、物を交換する市など1つの『クニ』の都にふさわしい遺構や遺物が出てきました」

遺跡保存の危機があった

吉野ヶ里遺跡は平成3年に国の特別史跡に指定され、今は周辺も含めて歴史公園として管理されています。ところが40年ほど前、その貴重さが広く認識されていなかった頃には工業団地を造成する計画が具体化していました。造成が進めば遺跡が今のような形で保護されていなかった可能性があったんです。
実際には、土地を整備する前に行われた埋蔵物を確認する調査で、次々と貴重な発見があり、保存へとつながっていきました。
「王の剣」のようないでたちの青銅の剣や、組み合わせて王冠として用いたとされるガラス製の「管玉(くだたま)」といった大変珍しい出土品もありました。

運命を変えた出来事

さらに平成元年には、決定的な出来事があったといいます。
高島さん
「中国の歴史書『魏志倭人伝』に卑弥呼が住んでいたところが記述されています。住居の周りを厳重に城柵がめぐり武器を持った兵士が守っているという記述とよく一致する。邪馬台国時代の『クニ』ではないかという指摘があってトップニュースとして報道されました」
女王・卑弥呼が治めていたとされる邪馬台国が実際にあった場所は不明ですが「吉野ヶ里遺跡が邪馬台国だったのではないか」という報道もあって観光客が押し寄せ、3か月で100万人もの人が訪れました。

10年ぶり発掘調査 “謎のエリア”

誰もが価値を認める存在となった吉野ヶ里遺跡ですが、これまで発掘ができなかったところがあります。
遺跡の中央部分にあった神社の周辺です。
ことし、その神社が移転されて発掘調査が10年ぶりに再開されました。そのエリアは、歴代の王の墓とされる「北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)」のすぐ近くにある木々に覆われた場所。まさに「ミステリーゾーン」です。
高島さん
「僕個人の考え方ですが、北墳丘墓の王に続く次の王の墓が存在してもいいのではないかと考えています」
そして、吉野ヶ里遺跡と邪馬台国との関係も気になります。発掘調査の注目点について、高島さんに聞いてみました。
高島さん
「いちばんの決め手は魏の皇帝が卑弥呼にいろいろな贈り物をするわけです。それを包んだものに『封泥』という魏の皇帝の印を押した粘土が貼り付けてあります。これは卑弥呼の前でしか開くことができません。『封泥』が出てくれば、そこに卑弥呼がいたということになるわけです」
本格的な発掘調査は、9月25日から始まる予定です。調査の様子を定点カメラで撮影して、ライブ配信することも決まっているそうです。
高島さんは「新たな謎が出てくれば出てくるほど、楽しみになるんだ」と目を輝かせて話していました。
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