【追悼】稲盛和夫氏 受け継ぎたいことば

【追悼】稲盛和夫氏 受け継ぎたいことば
「盛和塾」という名前を聞いたことはあるだろうか。京セラを一代で世界的な企業に育て上げた稲盛和夫氏に教えを請いたいと、京都の若手経営者が立ち上げた勉強会だ。設立から36年。稲盛氏が87歳と高齢になったことから、「盛和塾」はことしで解散することが決まっている。稲盛氏は塾生たちにどんなメッセージを残し、塾生は何を思うのか。7月、横浜で開かれた最後の世界大会に足を運んだ。(経済部記者 茂木里美)

※この記事は、2019年7月24日にビジネス特集で公開した内容です。年齢や肩書は当時のまま掲載しています。

世界的な経営塾

盛和塾は、1983年、稲盛氏から人生哲学や経営哲学を学びたいと、京都の若手経営者が立ち上げた自主勉強会「盛友塾」が発端だ。その後、1989年に名前を「盛和塾」に変え、今に至るまで活動を続けてきた。

京都から始まった勉強会は、今や塾生が1万4000人を超えるまでになっている。その半数超にあたる7600人は、中国やアメリカなど、海外の経営者だ。

塾生は敬愛の念を込めて、稲盛氏を”塾長”と呼ぶ。

稲盛氏とフィロソフィ

1959年に京都セラミック(今の京セラ)を設立した稲盛和夫氏(87)。

一代で売り上げ1兆円を超える企業に育て上げたほか、第二電電(今のKDDI)の創業や、経営破綻した日本航空の立て直しを担ったことでも知られる。故・松下幸之助と並び、「経営の神様」と評する声も多い。
稲盛氏の何が国内外から経営者をひきつけるのか。それは、経営思想の根底にある「哲学=考え方」だ。

「フィロソフィ」と呼ばれ、盛和塾の塾生に広く浸透し、経営の道しるべとなっている。

「人として何が正しいのか」「人は何のために生きるのか」という問いに向き合う考え方で、著書にも「大きな志を持つこと」「常に前向きであること」「誠実であること」「挫折にへこたれないこと」といったことばが並ぶ。

具体的な経営手法とはイメージが異なるかもしれない。しかし、稲盛氏は、経営をするうえで、「人として正しいこと」を考え、行うことが最も重要だと説い続けてきたのだ。

最後の世界大会

2018年12月、盛和塾の活動がことしいっぱいで終了すると公表された。稲盛氏の高齢が理由だ。

もともと稲盛氏は、盛和塾は一代で終わりにしたいと公言していた。年に1度、国内外から塾生が集う「世界大会」も、ことしが最後の開催となった。
7月17日と18日に横浜で開かれた大会には、4800人が集まった。塾生からは、“稲盛塾長”への感謝のことばが相次いだ。

熊本県で飲食チェーンを経営する桑原俊孝さん。経営に悩んでいた時に稲盛氏の著書に出会い、衝撃を受けたという。
2004年に入塾して以降、稲盛フィロソフィをもとに「正直な経営」を判断の軸にする自分なりの経営理念を立てたところ、利益率が1桁から2桁に。

3年前の熊本地震では、店舗が大きな被害を受け、休業を余儀なくされたが、盛和塾で学んだ「どんな苦難でも前向きに生きる」という教えのもと再建を志すことができたと話す。
桑原さん
「盛和塾の活動が終わったあとも、塾長の教えを社員と共に学び続け、会社再建を進めていく」
そう誓い、あいさつを締めくくった。

愛知県でスーパーマーケットを経営する牛田彰さんは、稲盛氏から激怒された思い出を紹介した。
それは、自社株の移転にあたって有利な税制について相談しようと稲盛氏に手紙を送ったところ、「私欲に根ざすことについてはコメントしません。もっと会社の継続性と社会的意義、従業員のことを考えなければならない」と書かれた返事が来て、その手紙を読んだときに稲妻に打たれような稲盛氏の怒りを感じたという。
それから、私欲に走っていた自分の考えを恥じ、今も何か重要な決断をしなければならないときは、机の奥に閉まってあるこの手紙を見て、正しい判断ができるようにしているという。

牛田さんは、最後「塾長、本当にありがとうございました」と涙をこらえながら感謝の気持ちを伝えていた。

稲盛塾長、最後に伝えたいこと

そして、大会の最後には稲盛氏から塾生へのメッセージが伝えられた。

会場に姿を見せることはなかったが、その趣旨は、これまでと変わりない芯が通ったものだった。
稲盛氏からのメッセージ
「フィロソフィを説く私のベースにあったのは、何よりもみんなに幸せになってほしいという純粋な思いでした。『こういう考え方で生きていけば、充実した幸せな人生を送ることができるはずだ』と強く思っていたからこそ、多くの人々にそのことを知らせたかった。『従業員に素晴らしい人生を送ってほしい』という強い思い、限りない愛がすべての根底になければなりません。経営者本人が常に自らに厳しく規範を課し、人格を高めようとし続ける姿を示すならば、それを見た従業員もおのずからフィロソフィの実践に努めようとするはずです。従業員のために社長が誰よりも苦労している姿ほど、共感を得るものはありません。ですから、会社のなかで経営トップがいちばん苦労しなければなりません。そうすれば、従業員は必ずついてきてくれるものです」
そして、最後は、感謝のことばで結んだ。
稲盛氏からのメッセージ
「盛和塾はことし12月をもって幕を閉じることになります。しかし、これからもフィロソフィを学び続けると同時に、そのフィロソフィを従業員と共有し、会社を健全な発展に導くことを通じて、ひとりでも多くの人を幸せにしていくという皆さんの経営者の使命に変わりはありません。盛和塾のおかげて、私は直接お目にかかれない塾生の皆さんの企業に勤めている従業員とその家族も含めて、間接的に人々を幸せにするお手伝いができたのではないかと思います。つまり、そのような大いなる利他行に努める機会を皆さんが私に与えてくれたと思うのです。盛和塾が終わろうと、私の心のなかにソウルメイトである皆さん塾生は生き続けます。同じように、皆さんの今後の経営に、私のフィロソフィが生き続けることを願います」
盛和塾は、あと半年足らずでその活動を終える。しかし、塾長が最後に残したことばのとおり、塾生たちからは、稲盛哲学を若い世代に継承し続けていくという強い意志が聞かれた。

デジタル技術がここまで進展した今、人としてのありようを根本から問いかける哲学は、古くさく聞こえる人もいるかもしれない。

しかし、確実に根づいていくであろう稲盛哲学を、いつ、どこで、誰に見いだせるか。

経済記者の1人としてこれからの日本経済を見ていくうえで、そんな出会いを楽しみにしたい。