芥川賞作家 高瀬隼子さんの“むかつき”に迫る

芥川賞作家 高瀬隼子さんの“むかつき”に迫る
「むかつきからスタートしている」
「つらいことがあるとか、恐ろしかったり、むかついたりすることも小説の中ですくい取っていけたら」

7月20日に行われた芥川賞の受賞会見で、高瀬隼子さん(34)が何度も口にした“むかつき”。穏やかな見た目からはとても想像できない攻撃的なことば。どういうことなのか、高瀬さんに聞きました。
(松山放送局ディレクター 宮浦和樹)

受賞作が描く現代の職場

今回の受賞作「おいしいごはんが食べられますように」は、とある会社の地方支店が舞台です。
頭が少し痛いだけで大事な仕事があっても早退するが、周りから守られている女性社員。それを快く思っていないのに、“こんな時代だから”と直接注意することができないキャリアウーマンと中堅社員。コンプライアンスが重視される現代の職場における人間関係を、食べ物に絡めて描いた作品です。

私(ディレクター)は読み進めるうちに
「もしかすると自分もこんな感情を職場で抱いたことがあったかも…」と、
まるで自分の日常で起きているようなリアリティーを感じました。

ふだんは教育関係の仕事をしているという高瀬さん。実体験がもとになっているのか尋ねました。
高瀬隼子さん
「小説を書くときに実体験をそのまま書くことはしていません。今回、職場が舞台なんですけど、自分が今10年ちょっと勤めているんですが、その職場とは全然違う場所です。フィクションの職場を作って描いているんです。なので、エピソードももちろん…全部フィクションなので、あんまり事実に基づいてというところは無いですね」
いきなりの全否定…。

でも、会見で「むかつきからスタートしている」と言っていたではないか。私は角度を変えて作品の原動力について聞くことにしました。

“むかつき”=“ギモン”

「おいしいごはんが食べられますように」は高瀬さんが小説家デビューして以来、3つ目の作品です。

2019年に小説家デビューにつながった「犬のかたちをしているもの」は、すばる文学賞を受賞。

2021年に出版した2作目の「水たまりで息をする」は、芥川賞にノミネートされました。
3作品は共通して、あるノートが源泉になっていると言います。
どんなノートか尋ねると、そこにやっぱり“むかつき”がありました。
高瀬さん
「自分が日常で、『あれなんか嫌だな』って思ったことは忘れないように書き留めているんですけど、2年前とか3年前とかに書いて、自分が書いたことも忘れているものをパラパラと見返して、『なんでこの時、嫌だったんだっけ』って考えて、そのことから離れていって思考が伸びていって書くみたいなことが多いですね」
ノートにはどんな“むかつき”が書かれてきたのでしょうか。
「私が高校生の時の話ですけど、文系と理系を選ぶ時に、文系にほとんど男子生徒がいなかったんですね。私は文系のクラスだったんですけど、同じクラスに4人か5人しか男子生徒がいなくて。でも理系のクラスに行った子で本当は国語がいちばん得意で『国語とか英語とか社会のほうが好き』っていう子がいるのは知っていたので。でも、なんとなく男の子だから理系。女の子だから文系って昔はちょっと強めにあって。もうひどいというか、意味分かんないと思っているんですけど、なんでしょう自分の好みではないけど外からのこうしたほうが良いんじゃないかっていうのを感じ取って選んでしまう人がいたのは見聞きして覚えていたんですね」
お土産のスイーツについても。
「私、塩辛いもののほうが好きなので、お土産ってなぜか大体甘いものが多くて。クッキーとかチョコとか嫌いじゃないんですけど、お盆明けとかお正月明けに机の上にずらっと甘いものがあると、1個でいいなって思ったりします」
さらに物語のヒーローやヒロインまでも。
「ドラマとか漫画とか小説とかでも、ごはんをいっぱいおいしそうに食べる人が、イコールいい人みたいに書かれるのはなんでだろうとか。別に性格のよしあしとか、善悪と関係なく食欲はあるのに、なんか小食な戦隊ヒーローとか見たことないですし。あと、ごはんをまずそうに食べる恋愛小説の女性主人公も見たことないので。でも現実にもいるはず。戦隊モノヒーローが現実にいるかは別ですけど、不思議だなあって思っています」
出てきた出てきた、実体験にもとづく数々の“むかつき”。

普段あまり疑問に思っていないようなことも、こうして言われると「そうかも」と思えるエピソードばかりでした。

高瀬さんが並べた事例を見てみると、それは高瀬さんの“攻撃”ではなく、なぜ?という“疑問”だったことに気付きました。
高瀬さん
「逆に不思議なのが、むかついてない人っていないと思うんですね。普通に生活をしてたらイラッとしたりムカッとしたりすることって、誰しもあると思うんですけど、それをまあまあまあって自分で我慢してなかったことにして、立ち直るほうが多いのかなって今、思っています。私はそれが苦手でできないので。なんでみんなそれができるんだろうって思います」
「自分もちょっと職場でむかついていたかも…」と思っていた私は、それが“疑問”だったと思えると救われる気がしました。

筆者が仕掛けたいたずらに 実際にむかつく?

「おいしいごはんが食べられますように」で登場する食べ物の一つがマフィンです。

お土産に甘いものが多いことに“むかつき(ギモン)”を感じているという高瀬さんに、いたずらでマフィンを手渡してみました。
どんな反応をするのでしょう。
高瀬さん
「ああああ!マフィンですね。マフィンが4つ入っています。おいしそうですね(笑)本当です。本当です(笑)。菓子作りってちょっと時間がかかりそうですよね。私、お菓子作りしたことなくて、作れないのですごいなって思います」
スタッフのいたずらを前に、大人な対応…。

でも、続いたことばに少しだけ本音がこぼれます。
高瀬さん
「どっちかっていうと塩辛いもののほうが…(笑)。お酒が好きなので、日本酒に合うつまみは大体ですけど、塩辛とか、いぶりがっことか好きです。コロナ前とかはひとりで近所の居酒屋に行って全部出してくれるじゃないですか。焼き鳥とお味噌汁とお酒みたいな感じで、飲んで帰っていました」

“むかつき”を書き続けることで見える「人間の本質」

実はこの「お酒」というのもキーワードでした。
高瀬さん
「大人数で(飲み会などで)食べるのはもともとあんまり好きではなくて。忙しいけどごはんに誘われて、断れなくて行って、正直もう別においしくないけどおいしいって言ってしまうので、言ってしまったなぁって後で思ったり。コロナ禍になって大人数の会食がなくなったので、楽ですごくいいなって思っていて、その感情はベースにあったのかなと思います。今飲みに行ってないですけど、飲みにケーションがなくても仕事って回ってる実感があるので。あ、なくてよかったじゃないかって思います」
書き続けることで、ただの愚痴の羅列ではなく、なぜ人が“むかつく”行動をしたのか、その背景まで物語の中で浮かび上がってくるのだそうです。
高瀬さん
「書いていたほうが自分が楽になるのかなと思っていて、自分ではない登場人物がいろいろ動いてくれてまた作者の思考も更新されてっていう。書いていないと、『このしんどいのなんでだろう』とか。『なんであれがむかつくんだろう』の原因が自分で分からないままになってたんじゃないかなと思うんですね。作品とやり取りをして、自分が考えていることもまとまっていく感じが楽しいだろうなと思っています」
高瀬さんは、今後の作品にも“むかつき”を書き続けるといいます。
「みんなはこれが楽しいって言ってるけど、私は楽しくないなとか。みんなこれ嫌だなって言ってるけど、私これ嫌じゃないなみたいなところを今後もちゃんと拾っていって、忘れないようにメモしておいて、そこから自分がこれを描きたかったんだなっていうテーマを探せるようにしたいと思ってます。みんなに好かれなくてもいいから、自分が書きたいことには正直でいようって思うのでうそをつかない。フィクションなんでうそなんですけど、うそをつかないようにするっていうのは大事にしたいと思っています」

取材を終えて

高瀬さんの作品を読むとすごく共感する自分がいましたが、実際に会って話を伺うと日常の“あるある”を源泉にしているからこそ本質を突いているんだと気付かされました。

取材中も終始穏やかでとても気さくな方で、最後まで日々“むかつき”を感じているようには見えませんでした。

もしかすると執筆の中で感情の裏側を探ることで、ストレスを発散しているのかもしれません。

私も“むかつき”から始まる何かがあるのか、これから探してみたいと思います。
(インタビューは8月26日(金)と29日(月)に愛媛県域で放送予定の総合テレビ「ひめポン!」午後6時10分~で放送します。NHKプラスでは放送から1週間、見逃し配信をご覧いただけます)
松山放送局ディレクター
宮浦 和樹
2019年入局
エンターテインメント番組部を経て現職
SDGsや西日本豪雨など幅広く取材