もう一度タックルを がん再発のラグビー選手 支えたライバル

もう一度タックルを がん再発のラグビー選手 支えたライバル
がんを乗り越えプロの世界に飛び込んだラガーマン。
しかし、レギュラー入り目前に、がんが再発しました。
プロとしてのキャリアが終わってしまうのではないか。

そんな彼を支えたのは、みずからのタックルで大けがを負わせてしまったライバルの存在でした。

どんな状況でも一歩ずつ前へ。2人のラガーマンからのメッセージです。

ラグビー人生最後のチャンスだと思って

ジャパンラグビー、リーグワンの三菱重工相模原ダイナボアーズに所属する田中伸弥さん(26)。鋭いタックルが持ち味です。

今年7月2日。その姿はお百度参りで知られる地元、大阪の神社にありました。
がんの再発が見つかり、手術を1週間後に控えていた田中さん。
一日でも早く復帰したい。抗がん剤治療で落ちた体力を少しでも戻せるように、手術前もギリギリまでトレーニングを続けてきました。
田中伸弥さん
一生懸命頑張るので見ていてほしいと伝えました。手術が無事終わって、試合できる体に戻したいという気持ちで祈りました。ラグビー人生最後のチャンスだと思っているので。

大学時代 がんでプロ入りが白紙に

田中さんは、高校3年生の時に大阪桐蔭で全国制覇し、近畿大学ではチームの中心として活躍しました。

しかし、プロ契約を目前に控えた大学4年の冬、せきが止まらずに病院に行くと、がんだと告げられたのです。

がんは左右の肺の間にある「縦隔」と呼ばれる部分にありました。すでに肺の一部にも転移していて、医師からは「生存率は50%」と告げられたといいます。
内定していたプロ契約も白紙となり、ぼう然と過ごす日々が続きました。
田中伸弥さん
生きるか死ぬかの瀬戸際でラグビーのことは考えられない状態でした。普通の生活をして、普通に生きたいって、ずっと治療の時は思ってました。

タックルでライバルが車いす生活に

そんな田中さんの闘病生活を支えたのは高校時代からのライバル、中川将弥さん(26)でした。
共通の知人を介して交流を深めていた2人ですが、予想もしていなかった事態に見舞われます。

大学4年の時の、関西大学リーグ、近畿大学対京都産業大学の試合。
近大・田中さんのタックルが、京産大のフッカー・中川さんに決まります。

しかし、このタックルで中川さんはけい椎を損傷。一時、寝たきりの状態になりました。内定していたプロチームへの入団も諦めざるをえませんでした。
中川将弥さん
ずっとラグビー一筋でやってきたので、体の一部がなくなるくらいの気持ちで受け入れがたかった。悔しさと日常生活に戻れるかという不安でいっぱいでした。
一方、田中さんもこの試合の直後、がんが発覚します。
中川さんのことが気にかかっていましたが、田中さんは治療のためすぐに入院しなければなりませんでした。

退院後、抗がん剤治療の合間をぬって謝りに訪れると、中川さんは以前と変わらない様子で接してくれました。
中川将弥さん
試合中の正当なタックルなので憎いとか許せないとかいう気持ちは一切ありませんでした。むしろ、もしかしたら病気で死ぬかもしれないという不安を抱えながら、自分のことを気遣って会いに来てくれたことがうれしかったです。ひとりの人間として彼を尊敬しています。

リハビリでつかんだプロの道

2人は互いに切磋琢磨しながらリハビリを続けてきました。

田中さんは親友の存在を支えに2度の手術と抗がん剤治療を乗り越え、念願のプロ契約を勝ち取りました。
田中伸弥さん
お互い本当にどうなるのかわからない状況でしたが、将弥が前を向いて頑張っている姿に勇気づけられました。自分も弱音を吐かず、負けずに頑張ろうと治療やリハビリに向き合うことができました。
中川さんも再びグラウンドに選手として立つという目標に向け、会社のラグビーチームでコーチをしながらリハビリを続けています。

再びがんが…

田中さんがプロ入りして4年目の今年3月。
がんの再発が発覚しました。

練習試合などで結果を出し続け、チームにも徐々に実力が認められ、スタメン入りも期待されるようになった時でした。

結果を出さなければ次のシーズンもチームにいられる保証はありません。

困難を乗り越えてつかんだプロとしてのキャリアがここで終わってしまうのではないか。田中さんは不安を感じました。
田中伸弥さん
長い時間をかけてようやくチームに認められるところまで来たのに、一瞬にしてラグビー選手ではなく病人に戻ってしまったのです。今までの努力が実を結びかけていただけにとてもショックでした。
待っていたのは、2か月に及ぶ抗がん剤治療。手術を前にできるだけがんを小さくしておくためのものです。

抗がん剤の副作用であるひどい吐き気に襲われる日々。
支えとなったのは、中川さんからのメッセージでした。
「調子どおや?」
「まけんなよ」
リハビリの苦しさを誰よりも知っている中川さん。
短いメッセージの中に、田中さんは優しさを感じたといいます。
田中伸弥さん
いい意味でさらっと言ってもらったので、すごく頑張ろうという思いになりました。将弥も大きな手術を乗り越えているので、自分もいけると。心が折れそうなときに思い出してまた頑張ろうと思える、すごい気持ちを前向きにしてくれる存在です。

「今日頑張らへんやつに明日はない」

手術前の6月20日。田中さんは中川さんとともに母校である近畿大学の教壇に立っていました。集まっていたのは、さまざまなスポーツに打ち込む大学生たちです。
2人はみずからの経験を伝えた後、学生たちにこう語りかけました。
田中伸弥さん
「今日頑張らへんやつに明日はない」っていう思いで、最近練習しているんです。今、何不自由なく練習できてるんやから絶対頑張ってほしいし、ほんまに毎日成長できるように。試合だけ頑張ればいいとか、今日ちょっとサボっても明日頑張ればいいとか、そういう選手は絶対ダメなんで。
中川将弥さん
何でも好きなようにできているのは当たり前じゃないんだよということを心のどこかに置きながら、スポーツ、勉強、これからの生活に励んでいってほしい。一日一日を大切に過ごしていってほしい。

「気合い入れて頑張れよ 手術」

それから3週間後、7月8日。田中さんの手術の日です。

手術の3日前までトレーニングを行っていた田中さん。入院した日は歩くのも痛いと思うくらい筋肉痛があったといいます。入院中もラグビーボールを触って、感覚を忘れないようにしていました。

手術前日の夜、中川さんからメッセージが届いていました。
気合い入れて頑張れよ手術
ラグビーファンからも、次々とメッセージがきていました。
田中伸弥さん
すごく勇気づけられました。今回の手術で最後にしようという気持ちがすごくあって。これが終わればラグビーに専念して、プロのラグビー選手としてチームに貢献できるように。自分の中でやれるだけのことはやったので、あとは先生に任せてそのあと、また自分でリハビリ頑張ろうと。
およそ3時間におよんだ手術は無事、成功。がんを摘出することができました。

すべてを今年にかける

手術から3週間後、田中さんは早くもチームの練習に戻ってきました。

チームメイトは田中さんをハグしたり肩をたたいたりして歓迎。チームにとって、待ちに待った復帰への第一歩です。
松永武仁 チームディレクター
彼はいつも『僕は1回死んだ身なんで』と言っていましたが、そのことばのとおり、ラグビーに人生をかけていると感じます。必ず戻ってきてくれると思っていました。試合では彼の力が必要となる場面が必ずあると思うので、復帰に向けてしっかりとサポートしていきたい。
4か月にわたった治療で衰えた体力を取り戻すため、トレーニングに打ち込む田中さん。取材中、しんどそうな表情をみせる場面もありました。

それでも、次のシーズンこそは。
田中さんは前だけを見つめています。
田中伸弥さん
焦る気持ちもありますが、今はとにかく自分のことに集中して、今日できることを一生懸命頑張ることが目標です。12月に開幕する次のシーズンこそ、レギュラーとして活躍したいです。ラグビー人生すべてを今年にかけようと思っています。

田中さん 中川さんにメッセージを

NHK大阪放送局は田中さん、中川さんの取材を続けています。
記事を読んだ感想や、がんの闘病体験、病気やけがを乗り越えたエピソードなど、下の投稿フォームからお寄せください。
大阪放送局 記者
奥村凌
平成30年入局
営業から去年、記者に 現在は取材にタックル
大阪放送局 ディレクター
山岸聖也
令和2年入局
社会番組部を経て大阪局に 趣味はスポーツ観戦 忘れられない試合はラグビーW杯2015年日本対南アフリカ戦