路地裏食堂の店主が無料弁当を配るワケ

路地裏食堂の店主が無料弁当を配るワケ
大阪府豊中市にある小さな食堂。そこでは、とっておきのお弁当が週3回、手渡されています。値段は…なんと“無料”です。

2年前に始まったこの取り組み。お弁当を目当てに食堂を訪れたはずが、いつの間にか自分の悩みまでつい話してしまう。そんな人が後を絶ちません。

何が多くの人をひきつけるのか。そこには、店主と訪れる人の、優しくてあったかい物語がありました。

(大阪放送局ディレクター 関口翔太)

食堂で提供するのは“ただ”のお弁当!?

大阪梅田駅から約10分。庄内駅から歩いて5分の路地裏にたたずむ小さな食堂。焼きめしやいわしの唐揚げといった料理が、毎日約15品目・100食ほど総菜として販売されています。価格はすべて100円とお手ごろで、地域の人たちに愛されてきました。

店主の上野敏子さん(54)は、3年前にこの食堂をオープン。たくさんのメニューのほかに、特別な思いを込めて作っているのが、週3回、夜7時から提供しているお弁当です。ごはんは大盛り、品目数は鮮やかに見えるようにと5つ以上。いつも容器に入らなくなるまで具材を詰め込んでいます。
このお弁当、実は売り物ではありません。その名も“ただ飯”。生活に不安を抱えている人たちのために2年前から無料で提供している、数量限定の特別メニューです。

無料にできるのには、理由があります。上野さんの食堂で使う食材や容器は、すべて寄付として届けられたもの。取り組みに共感した人たちから、毎月支援してもらい、お弁当を作っているのです。
上野敏子さん
「ごはんには、やっぱり”生きる力”があるんだと思います。だからとにかくお腹いっぱいになってくれたらいいかなって。大盛りにごはんを入れているのも、具材も色とりどりにしているのも、明日頑張ろうっていう気持ちになってくれたらうれしいなと思っているからです。」

モットーは 一人一人に声をかけること

夜7時になると、上野さんはお店の外に“ただ飯”を並べます。受け取りにくる人の多くは、不況や物価高などで生活が困窮しています。上野さんはお弁当を手渡しながら、一人一人に声をかけるよう意識しているといいます。
上野さん
「お弁当を渡すときに気をつけているのが、とにかく“話をする”ことをセットにすることです。お弁当を何回も渡す中で、自然とお互いのことを知るようになってくる。要するにお弁当はコミュニケーションツールなんです。だから、話すことを、私はとても大切にしています。」
欠かさず食堂にやって来る田中勉さん(49)。新型コロナの影響を受けて派遣先の業績が悪化、収入も激減しました。4人の家族を養うため、去年の暮れから”ただ飯”を利用しています。

最初は、お弁当をもらうだけでしたが、上野さんと話すうちに、身の上話までするようになり、精神的な面でも支えられているといいます。
田中さん
「もちろん経済的にとても助かっているんですけど、上野さんはきさくに話しかけてくれるので、生活が苦しいことなどについて、いつも愚痴を聞いてもらっています。ありがたいです。」

食堂には さまざまな悩みを抱えた人が

食堂には、経済的な悩みだけなく、人間関係や体調面の不安など、さまざまな悩みを抱えた人がやってきます。

望月はるみさん(48)も、そんな1人です。シングルマザーとして、発達障害の2人の娘を育てています。望月さんは、食堂で惣菜を買うたびに、上野さんに子育ての悩みを聞いてもらっています。
「私、『育児で手を抜いたかな?』って思ってしまうんです。自分のできることは、してきたつもりなんですけど。」
「いや、私から見ていると、すごく努力していると思うよ。すばらしいと思うよ。」
望月さんの次女・綾乃さん(12)は、6歳のときに発達障害と診断されました。絵を描くことが大の得意。ですが、集団行動や自分の気持ちを言葉にして伝えることは苦手です。3年前から学校に通えなくなり、現在は、ほとんど登校していません。

望月さんは、ことしに入ってからは仕事のストレスも重なり、寝込みがちに。そうしたなか、上野さんに話を聞いてもらうことで気持ちの整理をしてきました。
望月さんは、どんな時でも聞き手に回ってくれる上野さんになら、何でも話せるといいます。
望月さん
「やっぱり、人に自分の悩みって打ち明けにくいんですけど、上野さんは絶対否定せんで聞いてくれるんです。意外と、話しているうちに『こうしたほうがいいよ』って腰を折られてしまうことって多いんです。でも上野さんはひたすら話を聞いてくれる。ありがたいと思って、少しずつ気持ちが浮上してきて、次も頑張れる。私にとっては、愚痴をはき出せる“居場所”みたいなものですかね。」

悩みを受けとめる原点は 自ら苦しんだ過去

上野さんには3人の子どもがいます。そのうちの1人が、次男の拳王(げんき)さん。ダウン症で言葉を話すことができません。
さまざまな場面で介助を必要とし、なかなか目を離すことができない拳王さんを育てる。上野さんは、状況を受け入れることができないまま、周囲に頼ることもできなかったといいます。
上野さん
「拳王は周りに迷惑をかけている存在だって思っていたんです。子育ては我慢するのが当たり前、人の顔色を見ながら子育てするのが当たり前やと思ってて、それが一番正直しんどかった。でもそれを人には言えないんですよ。産んだ責任として自分でなんとか乗り越えていかなあかん、誰にも相談してはいけない、みたいな。でも助けてほしい。そんな気持ちが入り乱れてぐちゃぐちゃになっていました。」
上野さんは、その後うつ病を患い、自ら命を絶とうと考えるまで追い込まれていったといいます。

「迷惑をかけていい」 その言葉が転機に

9年前、拳王さんを預けていたこども園の園長先生との出会いが状況を一変させます。やつれていく上野さんの様子をみた園長先生は、送り迎えのたびに上野さんに声をかけ、ひたすら話を聞いてくれたのです。
最初はこども園の玄関で挨拶をする程度、時間は1分に満たないことも。しかし、話をする時間は少しずつ長くなりました。

ときには保健室に場所を移し、2~3時間かけて話を聞いてくれたこともあったといいます。
上野さん
「自分のしんどいことを取り留めなく言うんです。彼女は、しっかり『うん、うん』と聞いてくれて、『自分を責めることはしなくていいよ』と言って、それをずっと毎回言ってくれたんですね。少しずつ心に明かりがともった感覚になりました。」
答えが出てこなくても、何度でも話を聞いてくれる。

上野さんは、園長先生の、とことん寄り添ってくれる姿勢に元気をもらったといいます。
上野さん
「『迷惑をかけてもいいよ』って言ってくれる相手がいればなんとかなると教えられた場所でしたね。人に悩みを打ち明けるって、実は一番難しいことで、でも一番やってほしいことなんですよね。でも、苦しいとき、自分では気づけない。それを救ってくれたのが園長先生だったなと思っています。」

「次は私が…」

話を聞いてもらうことで、人の心は軽くなる。上野さんは、「今度は私が、しんどい思いを抱えている人たちの居場所を作りたい」と、動き始めました。

6年前には大阪市内で炊き出しを始め、5年前からは豊中市内でこども食堂を始めるなど、奮闘します。

その過程で、同じような悩みを抱える人にも出会い、相談に乗ってもらったりするなど、上野さん自身も人に頼ることができるようになっていきました。

拳王さんの育児にも以前と比べると余裕が生まれ、3年前、現在の食堂をオープン。母親の紀美子さんと切り盛りしてきました。
上野さん
「究極は、年齢を問わない、誰でも来ることができる第2・第3の実家のような場所にしたいと思っています。そして『家族の一部になったらいいな』みたいな、そういう場所が目指している場所なのかなと思っています。」

「みんなのお母さん」と慕われるまでに

上野さんは、悩みを抱えた人たちに、食堂の枠を越えて関わるようになっています。

いったん相談に乗った人には、なるべくこまめに連絡を取るようにしています。ことし6月から上野さんに話を聞いてもらっている20代の女性は、上野さんが毎日メッセージを送ってくれることが、心の支えになっているといいます。
よく相談に訪れる20代の女性
「やっぱり自分のことを話したいって思ったのは、気にかけてくれるからなんですよね。自分からは連絡していなくても、ここに待ってくれてる人がいるんだって思えるのが、すごく安心できる部分です。」
さらに相談内容によっては、福祉施設や支援してくれる団体などの紹介にまで、上野さんは力を貸すこともあります。
人間関係に悩み、これまで6回転職をしてきた佐々岡大介さん(29)。去年、そううつ病になり、いまは仕事に就いていません。
所持金が底をつき、住む場所にも困っていた佐々岡さんに、上野さんは無料のお弁当を渡すだけでなく、住む場所を用意したりリハビリ施設を紹介したりするなど、駆け回ってくれたといいます。

さらに、ことし6月には、仕事に就こうとする佐々岡さんを後押しするため、就労支援施設の相談窓口にまで付き添いました。
佐々岡さん
「もうダメだって思っていたときに、上野さんと出会って。何から何まで面倒をみてくれたんです。最初は『なんでここまで?』って思っていたんですけど、上野さんは『いいから、いいから』って支えてくれて。まるで本当のお母さんみたいやなって思いましたね。食堂の店主って感じじゃないですよね。」
上野さん
「食堂に来る人は、いろんな悩みを抱えています。一人一人違う。話をしていると、かつての自分のような気がしてしまうんです。できること・できないこと、あるんですけど、食堂に来てくれた人には、できる限り寄り添っていきたいなと思っているんです。お互い相談しあえたらいいなって。持ちつ持たれつみたいな、そんな感じですかね。」

家族は離散 精神疾患も… どん底から希望の光が

上野さんと関わっていくうちに、希望をもって生きていけるようになった人がいます。
毎日上野さんの食堂を利用している安里徳貴さん(44)です。15年前、家族とともに沖縄から大阪に移住してきました。

それまでは派遣社員として働いていましたが、大阪で仕事は見つかりませんでした。そして精神的に不安定になり、家族とも離散。

5年前には精神疾患と診断され、生活保護を受給して暮らしてきました。
安里さん
「ダメになっていく自分を目の当たりにしたので、それが一番苦しかったですね。何をやるにしても勇気が出ないんです。『結局、自分は何もできない』ってどこかで思ってしまうというか、『このまま生きていても楽しくないな』という気持ちでした。」
安里さんの生活を変えたのは、上野さんとの出会いでした。

当初、うつむきながら無言で“ただ飯”を取りに来ていた安里さん。心配した上野さんは、安里さんに自信を取り戻してもらおうと店の手伝いを任せ、相談に乗ってきました。
安里さん
「心配してくれるっていうこと自体、あんまりされたことがありませんでした。自分たちからしてみれば、最後の駆け込み寺みたいな。やる気を与えてくれる、そういう場所だと思います。」
仕事や病気のことなど、それまで人に言えなかった話を何度も聞いてもらううちに、安里さんは前向きな気持ちになっていったといいます。

そして、ことし2月、就労支援施設で働き始めました。商品を袋に詰めたり検品したりするなど、軽作業を行っています。当初は週3日の出勤でしたが、もっと仕事がしたいと、いまは毎日働いています。
安里さん
「正直、まだまだ不安定な気持ちになることも多いです。でも、前よりはよくなったと思います。自分を変えられる人との出会いってあるじゃないですか。上野さんと知り合ったことで、考え方が変わりました。次は一般の仕事にステップアップできればと思っています。もしできたら、上野さんが自分にしてくれたように、誰かを支えるなんてことができたら、それは本望ですね。」

「しんどい思いを置いて帰れる場所に」

人に言いたい、けど言えない。モヤモヤしているうちに自分を追い詰めてしまう。そんなときに自分の食堂で胸の内をはき出し、心を軽くしていってほしいと、上野さんは考えています。
上野さん
「やっぱり話すことっていうのはすごく大事で、愚痴でも泣き言でもいい、言葉にして表現して、それを聞く相手がいてるっていうだけで、前を向けるようになっていくと思うんよね。しんどい思いをいつでも置いて帰れる場所にしたいんです。そして一番は『迷惑をかけていいんだよ』って伝えたい。このせちがらい世の中だと、つい自分でなんとかしなきゃって思うことが多いと思う。でも周りに頼って生きていっても大丈夫だということを、これからも伝えていけたらと思います。」
大阪放送局ディレクター
関口翔太

2019年入局
報道カメラマンを経て21年よりディレクター。
発達障害や貧困など、”生きづらさ”をテーマに取材中。