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覚えておくことが苦手な僕は写真で日常の記憶を残す

「僕は発達障害で、覚えることが苦手で。息をのむ景色も、友達に救われた日々も、彼女と出会ったことも。忘れても思い出せるように記憶を写真にして残しています」

生きづらさを感じてきた男性がSNSにつづったことばと写真。
障害を受け入れるまでは「自分もふつうになりたい」という葛藤がありました。

(ネットワーク報道部 金澤志江)

日常の一場面をおさめた写真

東京都内に住む野田渓介さん(25)は日常を撮影しSNSに投稿しています。
渓介さんが撮影した写真
つきあっている彼女のふとした時の表情や町並み、出会った人など何気ない日々の生活の一場面が収められています。

これまで撮影した写真は8万5000枚以上にのぼります。

写真のきっかけは

自分の日常を撮りためるようになったのには理由があります。
きっかけは久しぶりに同級生が集まった成人式での出来事でした。

盛り上がる同級生たち。
でも渓介さんは…8割の人の顔と名前が一致せず、思い出話にもついていけなかったのです。
渓介さん
「『久しぶり』って言われても誰だか分からなくて、話にもついていけなくて、なんでこんなに覚えていないんだろうって。孤独感というか焦りというか。1年ぐらい前にカメラは買って撮影していたんですけど、記憶のかわりに撮り始めたのはこのことがきっかけでした」

“記憶”への戸惑い

自分の“記憶”について戸惑うことはそれまでもありました。

教育学部に進んだ大学時代、小学生の時に学習した「つるかめ算」や理科の実験手順について、改めて体験したり意味を説明したりする授業で、渓介さんはなんともいえない感覚に陥りました。

必ず学んだはずなのに「見たことも聞いたこともない」と感じたのです。
渓介さん
「そういう場面に直面すると『どうしよう、どうやってごまかそう』って頭をフル回転するんですよね。誰もが通る道のはずなのに、自分だけが記憶になくて劣等感を感じました。“やっぱり”どこか自分は変なんじゃないかと思って」

周囲との違いに悩んだ子ども時代

記憶以外の面でも、幼いころから「自分は周りの人たちとは違う」と感じてきました。

幼稚園で園庭をかけまわる子どもたち。

しかし、なぜか渓介さんはいくら友達の様子をまねようとしてもかけっこができませんでした。
幼稚園の頃
中学校では生徒会長や応援団の団長といった役職につきました。大勢の前で演説したり声を出したりすることは苦ではありませんでした。

一方で、1対1でコミュニケーションをとるのが苦手で、友人と親しい関係を築くことはできませんでした。

高校時代、部活動で監督から急きょ「次の試合にレギュラーで出ろ」と言われた時には過度にプレッシャーを感じ、練習中に気を失って倒れたこともありました。
渓介さん
「大事な場面でだめになって努力をしても報われないと思い知らされたし、それが自分なんだって絶望していました。周囲には変なやつだと思われたくなくて必死でした」

発達障害の診断は大学3年生の時に

周囲との違いに悩み続けた渓介さん。
大学生の頃
大学3年生の時に同級生のことばに傷つきパニックになりました。しばらくすると体に力が入りにくくなり、その場から動けなくなりました。

「やっぱりおかしい」

思い切って専門の医療機関を受診したところ「発達障害」の1つである注意欠如多動性障害だと診断されました。

体が頭で思うように動かない、人との対話が苦手。
急に倒れたり、体に力が入らなかったりするのも、ストレスや疲れを認識しづらいために無理に頑張ってしまうことが要因ではないかという指摘も受けました。

記憶と発達障害の関係性は…

そして、渓介さんにとって、生きづらさになっている“記憶”。

記憶と発達障害の関係性について、帝京大学の黒田美保教授は興味を持つものの違いが根本にあるのではないかと指摘します。
帝京大学 黒田美保 教授
「一般的に記憶というのはその人の興味関心と大きく関係するんです。発達障害では関心を持つポイントに少し違いがあります。大多数の人は同じものが印象に残るために同じ話ができますが、別のものが印象に残っているので話が合わないということになっているのではないかと思います。

裏を返せば、興味のあることにひも付いた情報は記憶に残るということです。あとは、自分の感情や体調、疲れに気付く力が弱いということもありますし、人前で一方的に話すことは得意だけど双方向のコミュニケーションが苦手というのは発達障害で珍しいことではありません」

“背が高いのと変わらない”

渓介さんは診断を受けた当時のことを「どん底だった」と振り返ります。
渓介さん
「ずっと“ふつうになりたい”と思って生きてきて、もう“ふつうになれない”というらく印を押された気がしました。本当に死にたいと思いました」
しかし、診断結果について、アルバイト先のラーメン店で一緒に働いていた中国人の男性に打ち明けた時、その反応に心が軽くなりました。
渓介さん
「『分かってよかったじゃん。中国では背が高いっていうのと変わらないよ』と言われました。海外に出れば発達障害だって大したことじゃないし、その人が持つ特徴はひとそれぞれだし、気にすることじゃないんだなって思えて気持ちが前向きになるきっかけになりました」
うまくまわりの人たちとつきあうために、自分の特性を知ってもらおうと考え、パワーポイントにまとめてゼミの仲間に伝えました。

周囲の理解が得られることで少しずつ気持ちが楽になっていったといいます。

写真に残す彼女の存在

彼女のアヤさん(仮名)は、その様子をそばで見守ってきました。
診断前と診断後の渓介さんは大きく変わったと感じています。
アヤさん
「彼が自分自身を客観的に見るようになりました。それまでは身体症状が出るのもどうしてか分からない、何か病気なのかも分からないという状態だったのが、理由を自分で受け入れて行動できるようになったというか。

自分の状況や気持ちを一生懸命伝えようとしてくれるから、私も『今は無理ができないんだな』とか理解できるようになりました。変わろうとしていて、確かにすごく変わっていったから私もすごいなと思っていました」
日常を記録する写真は、なかなか思い出せない自分の“記憶”をたぐりよせる手がかりになっているといいます。

春になってアヤさんから「去年見た桜、きれいだったよね」と言われたときに何のことか思い出せなかった渓介さん。
渓介さんが撮影した写真
「あの時写真撮ったじゃん」と言われ、写真を見ることでどこに行ったか思い出すことができました。

いまでは桜の季節になると毎年この場所に行き写真を撮っています。
アヤさん
「思い出せないときは『あそこで撮った写真だよ』と言うと思い出すきっかけになるみたいで。写真に記憶がひも付いている感じですね」
渓介さん自身も撮影した写真を人に見てもらうことで、これまではなかなかことばで伝えられなかった自分の日常の見え方を伝えられるようになったと感じています。

悩む子の1人目の仲間に

発達障害の子どもたちを支援する企業に就職した渓介さん。

気持ちがわかるからからこそできることがあると信じて、周囲との違いに悩む子どもや接し方に困っている保護者の相談に乗っています。
渓介さん
「『みんなができることが、できないから生きているのがつらい』って言っている子がいて、当事者の立場から『俺も発達障害だよ。でもこんなふうに楽しく生きてるじゃん』って言えるんですよね。

今後社会に出ても絶対に困らない状態にして送り出すことはできないから、せめて周りをうまく頼れるようになってほしいという思いで接しています。周囲に障害のことを言えない子には僕のことを1人目の仲間だって思ってもらいたいです」
そしてこれからも何気ない日常を写真に収めていきたいと考えています。
「ささやかな幸せを感じる瞬間を写真に収めて、数年後、数十年後に『こんなこともあったね』と笑い合えるような未来をつくりたいです」

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