終戦の日 軍事侵攻受けたウクライナ人留学生の思い

「子どもが死ぬ、女性が死ぬ。何百万人もの人々が家を離れ、戦争から逃れることを余儀なくされています」

切実な思いを語るウクライナ出身のオリハ・パーダルカさん(22)。キーウ国立大学で日本語を勉強し、ロシアの軍事侵攻のさなか、来日しました。終戦の日に日本で訴えたかったこととは。
(和歌山放送局記者 植田大介)

“平和はすべての人の権利”

終戦の日の15日、戦争で亡くなった人を悼み、平和について考える催しが和歌山県で開かれました。

「平和に暮らすことは、すべての人の権利です」

ウクライナから和歌山大学に留学しているオリハ・パーダルカさんが壇上に立って、母国の現状についてスピーチしました。

「ロシア軍は民間人がたくさんいる駅やデパートを攻撃し、何千人もの若き戦士が命を失っている。子どもが死ぬ、女性が死ぬ。何百万人もの人々が家を離れ、戦争から逃れることを余儀なくされています」

珍しい言葉 日本語にひかれて

オリハさんは首都キーウから南に100キロにある人口2500人ほどの村の出身です。

6年前の2016年9月、キーウ国立大学に入学しました。そこで、珍しい言葉だと関心を持ったのが日本語でした。

「日本に行ってもっと言葉や文化を知りたい」

留学を志したオリハさんは、2020年2月に日本の言葉や文化を学ぶ留学プログラムに合格しました。

相次ぐ困難 待ち望む留学

しかし、喜びもつかの間。新型コロナウイルスの感染が世界中に広がり、日本に入国できなくなったのです。

留学が延期され、2020年6月に大学を卒業したオリハさんは、大学院へ進みました。いつ訪れるかわからない留学のチャンスを待ちながら、さらに日本語を学びました。

待ち続けること2年。ことし2月、オリハさんのもとに1通のメールが届きました。ようやく日本への入国が認められたのです。

「日本に行けるという知らせが届いた時に、やっぱり幸せでした」

ところがその1週間後。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まりました。

家族をおいて1人留学してもいいのか

軍事侵攻が始まったその日の朝、オリハさんは大きな爆発音と揺れで目覚めました。何が起こったのかわからず、パニック状態になりました。

インターネットでロシアによる軍事侵攻が始まった事を知り、軍事施設が攻撃されたのだと察しました。

大勢の人が亡くなり、穏やかな暮らしが奪われました。軍事侵攻が進むさなかでの留学。自分だけ留学して安全な日本に行ってもいいのか。オリハさんはいたたまれない気持ちでした。

「サバイバーズ ギルト(生存者の罪悪感)の気持ちでした。母国では戦争が起こって大勢の人が亡くなって私が留学するのは本当に悪い気持ちでした」

そんなオリハさんを勇気づけたのは家族や友人でした。

「夢を諦めてはいけない」

そう励まされて留学の決心がついたといいます。

日本で知った悲しい知らせ

2週間かけて、日本へたどりついたオリハさん。日々、勉強に励んでいます。

そんな中、オリハさんのもとに悲しい知らせが届きました。ことし5月、通っていたウクライナの大学の恩師が亡くなったのです。
恩師は母国を守るため志願して兵士になり、東部ハルキウ州で戦車の砲撃を受けたということでした。

「ほかの人のこと考えて家族のことを考えて、本当に国を守りたい人が多いです。命を失うことは、悪いことです。やはり嫌です。でも私たちが国を守らなければ」

母国に残る家族は

さらにオリハさんが気がかりなのは、母国に残る家族です。連絡をとって、お互いの状況を報告します。

軍事侵攻から半年近くがたち、学校に勤める父からうれしい知らせもありました。

オリハさんの父
「子どもたちと会って授業ができるようになったんだよ。学校にシェルターもできたんだよ。あとはシェルターの中に机といすを並べるだけ」

戦争の悲惨さ 語ることを決意

ふるさとを離れて5か月。77年前の戦争を語り継いでいる日本で、オリハさんは身近な人を失う戦争の悲惨さについて、みずから語ることを決意しました。

「再び戦争をしないようにというメッセージを含めている平和の集いみたいなイベントは本当によいと思います。ウクライナについて、多くの人にその状況とか、いろんな情報を伝えたいと思います」
そして、終戦の日の8月15日。集まった地元の人たちを前に、オリハさんは語りかけました。

「世界のコミュニティーが、いまロシアの行っていることすべてを認めてはいけません。世界が団結し、政治的にも経済的にもロシアの侵略に反対し、そして一日も早く平穏な生活に戻れることをせつに願っております」

遠く離れた日本でウクライナの平和を願うオリハさん。卒業後は母国のために働くことを目指しています。

「将来は日本とウクライナの懸け橋として外交官に勤めたいと思います。日本とウクライナの関係を強くしたいです」