フォトグラメトリーで戦跡を記録~戦争の記憶を次世代に~

フォトグラメトリーで戦跡を記録~戦争の記憶を次世代に~
世界的に知られる青く透き通った海に、多様な生き物が生息する小笠原諸島。

世界自然遺産に登録されていますが、実は美しい自然のかたわらには、旧日本軍の船やゼロ戦など戦争の記憶を伝える「戦跡」が至る所に残されています。

しかし、その多くは長年の風雨で激しく劣化し、朽ち果てようとしています。

今回、NHKの潜水取材班は、これらの戦跡を撮影し、その映像をもとに3次元のCGモデルを作成するフォトグラメトリーという手法で、後世に残す取り組みを始めました。
※実際に操作できる3Dモデルは記事の途中にあります。
(映像センターカメラマン 横山真也)

水深40メートルの先には沈没船が…

私たちがまず向かったのは、兄島から1キロほど沖合の海の中、一面真っ青な水の世界です。

水中カメラを持って、水深40メートル近くまで潜ると、その先に、海底に沈んでいる巨大な船が姿を現しました。

船体は大きく破損し、船内には爆弾などが残されていました。

物資を運ぶため、旧日本軍に徴用された民間の船とみられていますが、名前は特定されていません。

深い場所に沈んでいるため「深沈(ふかちん)」という仮の名前で呼ばれている船です。

↓ 動画です

戦後75年の時を経て見つかった戦跡も

続いて向かったのは、父島の山の中。

道無き道を進むこと1時間余り。

山奥にあるため、戦後75年のおととし(2020年)になるまで存在を知られていなかった洞窟にたどりつきました。

洞窟に入ると、長さ20メートル以上の通路がのびていて、その奥にはレンガで作られた7つのかまどがあります。

旧日本軍が使っていた炊事場とみられ、瓶や調理器具が、当時のまま残されていました。

↓ 動画です

激戦の小笠原には多数の戦跡が残る

太平洋戦争でアメリカ軍の攻撃を激しく受けた小笠原には、戦争の記憶を伝える戦跡が数多く残されています。

防衛省防衛研究所によると、父島はサイパンなど前線への輸送の中継地点として旧日本軍にとって重要な役割を担っていたため、アメリカ軍の攻撃対象になったとみられるということです。

周辺の海域には、「深沈」のように、物資を運ぶために民間から徴用された船が100隻近く沈んでいると言われてます。

空襲や艦砲射撃も行われ、父島周辺では少なくとも4400人以上が亡くなりました。

フォトグラメトリーで戦跡を3Dモデルに

私たちは、こうした小笠原の戦跡を次世代に残すため、「フォトグラメトリー」という最新の技術を使って、3次元のCGモデルを作成する取り組みを行いました。

↓ 動画です
「フォトグラメトリー」は、高精細のカメラで、さまざまな角度から撮影した映像を写真に切り出し、つなぎ合わせることで、詳細な3Dモデルを作る手法です。

水中考古学の分野などで注目されています。

今回は6Kカメラを使って小笠原の海と陸に残る戦跡を記録し、3Dモデルを作成しました。

3Dモデルは戦跡の全体像から細部まで忠実に再現され、見たい場所や角度、サイズを自由に操作することが出来ます。

↓ 動画です

朽ち果てる前に戦跡を残したい

3Dモデルを作ろうと思ったきっかけは、地元のダイバーから聞いたことばでした。
40年近くにわたって、小笠原の戦跡を観光客に紹介し、戦争の歴史を伝えてきた笠井信利さんは「この海で亡くなった人たちのためにも、せめて船の名前を明らかにしたい」と私たちに語りました。

小笠原の海に沈む徴用された民間船については本格的な調査が行われておらず、沈んでいる船の名前など、詳しいことはほとんどわかっていません。
こうした中、笠井さんは3年前の2019年に仲間と調査チームを作って小笠原の海に潜って戦跡の写真を撮ったり、寸法を測ったりするなど独自に調べてきました。

笠井さんは、戦跡の多くが激しく劣化し、朽ち果てようとしている現状に危機感を強めています。
小笠原の戦跡を調査してきた笠井信利さん
「このままでは、どんどん崩れていって鉄の山になってしまう。どういう船があったのかということを証拠として残せるのは、今が最後だと思うんです。この船で、亡くなられた人たちのことを考えた時に、いつまでもそのままじゃいけないと思う」

フォトグラメトリーから読み取れる戦闘の激しさ

フォトグラメトリーで作成した3Dモデルから何がわかるのか。

防衛省防衛研究所の齋藤達志さんに、戦後75年のおととし(2020年)になって初めて見つかった炊事場の3Dモデルを分析してもらいました。
齋藤さんは、さまざまなサイズや角度で3Dモデルを分析した結果、洞窟の壁の厚さや通路が折れ曲がっている構造から父島での戦闘の激しさが読み取れると指摘しました。
防衛研究所戦史研究センター 齋藤達志さん
「まずこの入り口ですね。ここのコンクリート、この分厚さを見たらわかると思いますが艦砲射撃から直撃弾が当たっても、ここは持ちこたえる。

(通路が折れ曲がっているので)近くで爆弾が爆発した時に、爆風がそのまま入らない仕組みになっている。洞窟の中にこれだけの物を作ってあるということは、相当外に出ることが危険な状態であったことが容易に想像できますね」

フォトグラメトリーは海の戦跡の記録・分析に効果的

「フォトグラメトリー」は海に沈む戦跡を記録し、分析する方法として、より効果的だと指摘する専門家がいます。

海底に残る戦跡などを研究している九州大学の菅浩伸教授のチームです。

水深40メートルの場所に潜って滞在できるのは、通常は10分ほどで、詳細な記録を取るには膨大な時間と費用がかかりますが、「フォトグラメトリー」の手法を使えば、より短時間に記録することが出来るからです。
菅教授の研究チームに「深沈」の3Dモデルを分析してもらいました。

研究チームが注目したのは、船の積み荷の状況です。

指摘された場所を拡大して見てみると、爆弾や建築資材など大量の物資が残されていることがわかりました。
研究チーム 吉崎伸さん
「かなりの量がありますね。だからまだこの船は積み荷を降ろしていない状態。荷物を積んでいる船をたぶん最初に攻撃してるんだろうというふうに思います」
さらに、旧日本軍の戦闘記録などの資料を見ると、荷物を降ろさずに、この場所で沈んだ船の名前が書かれていました。

その船の名前は、旧日本軍に徴用され、乗員2人が死亡した大阪の商船「志摩丸」です。

笠井さんも独自の調査で「深沈」は「志摩丸」ではないかと考えていましたが、専門家の分析で、その可能性がさらに高まりました。

研究チームは、今後さらに詳しい資料が見つかれば、3Dモデルと照合することで船の名前を特定出来ると考えています。
九州大学 菅浩伸教授
「こういう戦跡からいろいろな事実を、ひもといていかないといけない。ただ、その前に戦跡が崩壊してしまうと、その事実すらわからなくなってしまうので、いま記録しておくのが大事なことだと思います」

“遺族にとって墓標・ひとつの印”

志摩丸と同じ時期に沈んだ民間の船で祖父を亡くした遺族に話を聞くことができました。

京都市に住む柿澤寿信さんの祖父は、旧日本軍に徴用された「延寿丸」の船長を務めていました。

海で亡くなったため遺骨はなく、手元にある遺品は1枚の写真と、死後に渡された勲章だけです。

柿澤さんに「深沈」の3Dモデルを見てもらうと、フォトグラメトリーは多くの遺族にとって意味のあるものになると語ってくれました。
祖父を徴用船で亡くした柿澤寿信さん
「この船の周りにも、おそらくうちの祖父と同じように亡くなった人たちがいらっしゃる。でも、もはや手は届かないわけですよね、物理的には。

ならば、せめて(3Dモデルがあれば)ここでこうやってお亡くなりになったんだなっていうことが改めて認識できると思うんですよね。墓標じゃないですけど、ひとつの印ですよね」

日本で戦争があった事実をリアルに感じて

今回、私たちは22回にわたって海に潜り、戦跡を撮影しました。

そして島の中に残る戦跡も記録しました。

戦争の犠牲になった人たちがいることを今に伝える戦跡が、詳しく調査されないまま朽ち果てようとしている現実があることに驚きを感じました。

フォトグラメトリーで戦跡を保存することで、かつて日本でも、実際に戦争があったという事実をリアルに感じ、考えるきっかけにしてもらいたいと思います。
映像センターカメラマン
横山真也
2006年入局
大分局や沖縄局などを経て現所属 潜水取材班として被災地の海やサンゴ礁の生態系などを取材