118年後の“君”死にたまふことなかれ

118年後の“君”死にたまふことなかれ
「ああおとうとよ 君を泣く 君死にたまふことなかれ」

歌人・与謝野晶子が、日露戦争の激戦地にいる弟を思って詠んだこの詩を、今、ウクライナへ届けようとしている人たちがいます。

100年以上前に詠まれた歌は時と言葉の壁を超えて、今に何を伝えているのでしょうか。

「君死にたまふことなかれ」

ああおとうとよ 君を泣く 君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしえしや
人を殺して死ねよとて 二十四までをそだてしや
今から118年前の明治37年に、大阪・堺出身の歌人、与謝野晶子が詠んだ「君死にたまうことなかれ」

日露戦争の激戦地にいる弟の身を案じて「どうか戦死だけはしないで」と心情を吐露した近代文学の名作です。
その歌をウクライナに届けようとしているのが、大阪・八尾市で出版社を営む、小野元裕さん(52)です。大学でロシアやウクライナなどのスラブ文化を学んできました。

17年前には、ウクライナの魅力を日本に広く伝えたいと日本ウクライナ文化交流協会を設立し、会長を務めています。

ロシア軍による軍事侵攻が始まってから5か月あまり。民間人の死者は5000人を超えています。

家族や友人を亡くし、悲しみが広がり続ける現状に何かできることはないか悩んでいました。
小野さん
家族同然の友人がウクライナにいるんです。そういう友人たちのことを思ったらつらくてつらくて
小野さんが思いついたのは「君死にたまふことなかれ」のウクライナ語への翻訳でした。

日本とウクライナでお互いの文化を知るイベントを開いたり、漫画「はだしのゲン」のウクライナ語への翻訳と出版を手がけたりするなど、文化交流事業を続けてきた小野さん。

この詩を貫く「大切な人に死んでほしくない」という思いは、ウクライナでも共感が広がっていくのではないかと考えたのです。
小野さん
与謝野晶子の言葉がいまもわれわれの心を打つ、これは日本人だけではないと思うんです。ウクライナ人の戦地に夫を送った奥さん、戦地にお父さんがいる子どもたちの心にも、きっとこの詩は寄り添うと思うんですね

「戦うしかないんです」ウクライナ人翻訳者は…

詩の翻訳の協力を依頼された、ウクライナ・キーウ出身で、富山国際大学の准教授、パブリー・ボグダンさん(49)です。

英語やロシア語を教えるかたわら、自ら詩をつくり、日本語に翻訳するなど、詩に造詣が深いボグダンさん。

軍事侵攻が始まってからの5ヶ月間、毎日キーウに残る家族や友人の身を案じ、故郷が破壊されることに胸を痛め続けています。
「末に生まれし君なれば 親のなさけはまさりしも 親は刃をにぎらせて 人を殺せとをしえしや」

「人を殺せと教えただろうか」と若い兵士に問いかけるこの歌は、武器を手に取らざるをえないウクライナの若者にはそぐわないようにもみえます。
ボグダンさん
たくさんの子どもを含む民間人が殺されて、言葉にならない。しかしブチャで起きた惨状を見れば、もう戦うしかないんです。降参して占領されたらもっと多くの人が殺されてしまう。これ以上ウクライナ人に死んでほしくない、身近な人を守るためには戦うしかないんです
誰にも死んでほしくないからウクライナは戦う。
与謝野晶子が弟に呼びかけた「戦うな」とは逆です。

それでも、武器を取らざるをえない過酷な状況に置かれているからこそ、ボグダンさんは「大切な人に死んでほしくない」というこの詩の思いに強く胸を打たれたといいます。
ボグダンさん
今のウクライナ人と100年前の日本人が同じことを考えていたことに感銘を受けました。日本とウクライナはいくつの共通点があると思っています。ウクライナにはコサックが、日本には武士がいた。チェルノブイリと福島は、ほかの国は体験したことがない原発事故。そして日露戦争の時に生まれたこの詩で歌われた思いも、共通点の一つかもしれません

「君を泣く」から見える与謝野の思い

どうすればより忠実に翻訳ができるか、2人は議論を重ねました。
ボグダンさんが特に胸を打たれたのが、与謝野晶子の言葉選びです。
ボグダンさん
冒頭の「君を泣く」という言い方はすごいウクライナに似ている。「君のために泣く」でも「君のことを思って泣く」じゃなくて「君を泣く」と。これは、ただ泣いて打ちひしがれているのではなく、悲しみを毅然と伝えていて、これはすごく強い人だから出た言葉じゃないかな
こういった細かいニュアンスも忠実に翻訳して伝えたい。

ボグダンさんは小野さんと一緒に、与謝野晶子が生まれ育った、大阪・堺市にある与謝野晶子記念館を訪ねました。
館内のパネルには、与謝野晶子が影響を受けた人物として『戦争と平和』で知られるロシアの文豪、トルストイの名前が記されていました。

また、与謝野晶子の生家、和菓子屋「駿河屋」を再現した展示物や、自筆の文章などに触れることで、ボグダンさんは、家族を思う与謝野晶子をより身近に感じたといいます。
ボグダンさん
「弟を守りたい、弟に死んでほしくない」と言わなければいけないという責任感、義務感のようなものがあったのではないでしょうか。そして死んでほしくないという気持ちを発表しないことに罪悪感もあったのかな。この気持ちを伝えないといけないと感じ「君死にたまふことなかれ」を書いたのかなと思いました
そして、ボグダンさんは「君を泣く」の君は、弟以外のことも指しているのではないかと感じたといいます。
ボグダンさん
「君」を泣くということは、ある意味弟だけではなく、戦争に行く弟の同世代だったり、死にゆく人たちのことを指したのかなとも感じました。そんな「君」を思って、どうしようもないけど泣くしかないと。そして、戦争が終わったらどうか戻ってきてください、という気持ちも感じました

文学は戦争を止められないかもしれないけど…

8月上旬、およそ2週間かけた「君死にたまふことなかれ」の翻訳が完成しました。意訳せずに与謝野晶子の思いに忠実に。ウクライナ語のリズムも意識しました。
翻訳した「君死にたまふことなかれ」は、より多くのウクライナの人々の目にとまるよう、日本ウクライナ文化交流協会のホームページでも公開されています。さらに、冊子にして、小野さんが支援してきたウクライナの避難所を9月に訪れて、直接配布することにしています。


戦争を防ぎたいという思いは世界中の文学で表現され続けてきたにもかかわらず、いまもまた戦争が起きているという現実。

文学は戦争を止められないのかもしれない。

それでも小野さんはこの詩には人々の心に響く普遍的な力があると信じています。
小野さん
100年前の日本でも、この与謝野晶子の詩によって救われた人がいると思います。そしていま、ウクライナにも救われる人が出てくると思います。しかしこういう詩によって救われる時代をもう2度とくりかえしてはいけない。一刻も早く戦争が終結を迎え、2度と戦争文学が生まれない世界になることを願います
大阪放送局 記者
小野明良
平成29年入局。コロナ禍で人気が再燃した『ペスト』や、三島由紀夫自決50年など文学をテーマに取材。好きな作家は安部公房。