ミッドウェー 沈みゆく空母赤城 “最期”の瞬間を再現する

ミッドウェー 沈みゆく空母赤城 “最期”の瞬間を再現する
80年前の1942年、太平洋戦争の戦局を変えた歴史的な戦いが行われた。日本とアメリカの空母同士が激突したミッドウェー海戦だ。

中部太平洋、ミッドウェー島攻略を目指した日本の空母4隻が、アメリカの空母から飛び立った爆撃機の攻撃を受け、次々に被弾、炎上。最終的に4隻の空母全てを失い、3000人の戦死者を出すという大敗を喫した。当時、敗戦の事実は秘匿され、残されている記録は少ない。写真や映像も、ほとんど残っていない。

今回、NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」の取材で、沈没した空母・赤城に乗っていた海軍士官が当時記した貴重な手記を入手した。海軍士官は何を見たのか。新たなテクノロジーによって、この歴史的戦いの可視化に挑んだ。
(NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」取材班/ディレクター 秋山遼)

沈みゆく空母に乗っていた男

「ミッドウェイ作戦の記録としては恐らくこのノートだけが、時間まで記録したものであろう」
手記を残したのは、海軍の大橋丈夫・主計中佐。

戦闘中に船の上で起きていたことを記録するのが任務だった。
分刻みで書き付けたメモをもとに、海戦から半年後の昭和18年正月、生々しい記憶を書きつけたのが手記「赤城艦上の一角から見たミッドウェイ敗戦の記録」だ。

敵機来襲の方向や時間、聞こえて来た爆音から戦闘の混乱の中仲間達が発した言葉まで、細かく書き残している。
「後甲板に又一発爆弾が命中した。(中略)火の粉が両国の花火のように円を画いて八方に飛び散り、ムクムクと真黒い煙が甲板から立ち登るのが今でも眼に映じている」
爆弾の直撃によって、空母・赤城に積んでいた魚雷や爆弾が次々と爆発し、艦内は炎と煙に包まれた。
「火煙は艦橋の下まで廻ってどうにもならん熱い火煙を吸うと針を呑むように咽喉が痛い。外舷に頭を出して冷い空気を吸いながら愈々(いよいよ)俺も駄目かなあ!と思った」

戦場を“追体験”する試み

昨年から私たちは、戦争体験者の日記や手記、いわゆる「エゴ・ドキュメント」を収集、その体験を最新のテクノロジーで再現するプロジェクトを始めた。

戦争体験者が年々減り、直接話を聞くことが難しくなる中で、記憶を継承するための新たな試みだ。

真珠湾攻撃から80年となった2021年12月には、戦闘に参加した急降下爆撃機のパイロットの手記の映像化に挑んだ。
今回取り組んでいるのは、高精細の360度CGを、立体音響や、振動を伝える特殊なチェアなどと組み合わせて、より深い映像体験を可能にする4Dだ。

大橋さんの手記をもとに、彼が見たもの、聞いた音、感じた衝撃や熱を、最新のデバイスを用いて再現する。空母赤城の姿は、防衛省防衛研究所や、広島県呉市の大和ミュージアムに所蔵されている図面を入手、3Dモデルに起こし、仮想空間上によみがえらせた。

さらに、360度スキャンによって作成した人物モデルを、乗組員として艦上に配置。大橋さんの記録だけではわからない戦闘の詳細については、日米の公式資料、専門家への取材、他の体験者の回想などをもとに、再現を進めている。

完成は数年後となるが、ご紹介しているCG画像は、その成果の一部だ。

海の決戦に臨む艦内の意外な雰囲気

大橋さんの手記は、1942年5月末、停泊していた瀬戸内海の柱島から、ミッドウェーを目指して出航する場面から始まる。

艦内は緊張感に満ちていたのかと思いきや、意外な思いがつづられている。
「艦隊は午後豊後水道を通過した。印度洋で英空母ハ―メスを易々と撃沈したときのような気分で、又ミッドウェイの周辺に群棲する伊勢蝦(えび)のテンプラを夢みながら黙々として行進した」
艦内には、楽観ムードが広がっていた。

日中戦争で実戦を積み重ねてきた日本軍と、突然開戦に直面したアメリカ軍とでは訓練の度合いに大きな差があった。

真珠湾攻撃後も優勢に戦いを進めた日本海軍の中に、いつしか「油断」が生じていたのだ。

それが、ミッドウェー海戦の大きな悲劇につながっていく。

優勢な戦いが一転 衝撃の情報がもたらされた

1942年6月5日(日本時間)、「運命の日」となる一日が始まった。
「六月五日曇後晴…起こされて直ぐ起きたが未だ眠かった。飛行機の出発は午前一時三十分の予定であるのでゆっくり洗面した。起き出したのは十二時半、三十分もかかって洗面して一服していると、戦闘用意!の号令が鳴りひびいた」
作戦では、赤城、加賀、飛竜、蒼龍の4空母から飛び立った爆撃機などが、ミッドウェー島にあったアメリカ軍の飛行場を攻撃。

ハワイ方面からアメリカの機動部隊をおびき出し、壊滅させる計画だった。

作戦通りミッドウェー島を攻撃した部隊からは、「効果甚大」の電報が入る。

赤城もまた、島から飛び立った米軍機から反撃を受ける。
「四時十六分には実に多数の敵機が来襲した。ノートにも勘定出来ぬと書いている。気持ちは悪かったが恐ろしいとか怖いということはなかった」
空母上空の防衛を担う熟練のパイロットたちは、零戦を巧みに操り、米軍機を次々に撃墜していく。

ミッドウェー海戦の始まりは、日本軍が優勢だった。

しかし…。
「後方に敵空母らしきものあり」
意表を突くタイミングでの、アメリカの空母部隊の出現。

実は、アメリカ側は日本軍の暗号の解読し、事前に作戦を察知、周辺海域に空母3隻を出動させ待ち伏せしていたのである。

歯車が少しずつ、狂っていく。

火薬庫と化していた赤城

赤城では、大混乱が始まった。

ミッドウェー島を攻撃するには陸上用の爆弾を、空母を攻撃するには魚雷を航空機に装着する必要がある。

「敵空母発見」の報は、島を攻撃するために魚雷から爆弾につけかえる命令が下された直後のことだった。

爆弾と魚雷は、大きさや重さが違うため、作業には時間がかかる。

一刻を争う中で、魚雷や爆弾がきちんと収納されないままの突貫作業となり、艦内は火薬庫のような危険な状態になっていた。

その時だった。

艦橋にいた大橋さんの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
「上を見たら又一機上空から急降下して来るのが見えた。見張員が又向って来ます又向って来ます!と怒鳴っているのでそのまま見ているとポツンと黒の一点が急に大きくなるのが眼に映った」
「黒の一点」

アメリカの空母を飛び立った急降下爆撃機が、数百メートル上空で放った爆弾だった。
「爆弾が炸裂するとき皆が躯(からだ)を屈めたので自分も反射的にすっ込んだ」

爆発の連鎖が起きた赤城

大橋さんの目の前で、2発の爆弾がさく裂した。

凄まじい炎と轟音とともに、航空機が飛び立つ飛行甲板が大きく損傷した。
そして爆発は、魚雷と爆弾のつけかえ作業中だった格納庫へと波及した。

置きっぱなしになっていた魚雷や爆弾が爆発する「誘爆」の連鎖が始まったのだ。

大橋さんはたまらず、空母最前部にあたる錨甲板に避難する。
「後部で砲弾、飛行機のガソリンタンク、爆弾等が誘爆を始めたらしく次から次へと爆音が聞えて来た。爆発毎に真黒い煙に真赤な火を交えて舷外に物凄く噴き出るのが前甲板から見られた」
「誘爆はどんどん続いてこれでは手がつけられんようである。魚雷の誘爆であろう、時々物凄い大爆発を起す。舷側を吹き飛ばして真赤な火を両舷から吹く。気持ちの悪いものである」

逃げ場のない艦上

四方は海。

周囲に安全な島はない。

立っていられるのは、いま足を踏みしめている空母の甲板だけである。

その足元に、連続して起こる誘爆の連鎖で、絶え間なく衝撃がはしる。

火炎の熱で呼吸すら難しくなり、大橋さんは船べりから頭を出して息を吸った。

「いよいよ俺も駄目かなあ」と追い詰められた大橋さんだったが、そのときの心境をこうつづっている。
「心の中で家族に別れも告げた。しかし妙に無感傷だった。道伴れの多いせいでもあろう。これが谷底で一人死ぬんだったら堪え切れない淋みしさを感ずるのであろうが、二千人も道伴れがある。何ともない。道伴れの欲しいのは強ち(あながち)旅ばかりではないらしい」

「沈没することはあるまい」―信じたくない事態が現実に

大橋さんの乗る赤城だけでなく、加賀、蒼龍も次々と急降下爆撃を受けた。

真珠湾攻撃で活躍した日本海軍が誇る空母が炎に包まれる事態。

大橋さんは現実を受け入れられずにいた。
「赤城主計長の行藤主計中佐がノコノコ出て来た。これではどうにもなりませんと云って自分の側に座った。大丈夫だろうよと自分は云ったが、まだその時でも爆発するだけしてしまえば、艦が沈没することはあるまいと考えておった」
炎と煙の中で、赤城を動かす機械室の士官は戦死、やがて航行不能となった。

作戦行動が不可能になり、乗員は軽巡洋艦の長良に退避することになった。
「赤城、加賀、蒼龍の三艦は全艦火になって亭々と黒煙が天に沖し千米(メートル)もの上空で一つの雲になって流れている。而しまだ沈没するとは考へていない。火さえ消えれば内地に連れて帰れると思っていた。恐らく皆もそうであったろう」
その後、孤軍奮闘していた空母・飛竜も火だるまになり、日本海軍は4隻の空母を失うことになった。

その姿を、大橋さんはこう記す。
「味方母艦の天に沖する四本の黒煙は、誠に目をそむけざるを得ない光景である」
日本側の死者は3057人に上った。

開戦以来の太平洋における日本軍の圧倒的な優勢は、この日を境に崩れ去ったのである。

大橋さんがそこにいた“手応え”を模索する

大橋さんの体験を再現していくうえで、分からない点は未だ数多くある。

空母の乗組員は戦闘中、必ず耳栓をするという。

対空砲火の爆音があまりにすさまじいからだ。

その爆音とはいったいどんなものなのか。

火薬庫と化した空母で起こった誘爆の連鎖は、甲板を踏みしめる足に、どんな衝撃をもたらすのか。

どんなに緻密に再現を試みても、実際の大橋さんの体験と全く同じものを作るのは不可能だ。

しかし、記録をもとにした体験型コンテンツを通じて、大橋丈夫さんという人物が実際にそこにいた手応えのようなものをわずかでも感じられるとしたら、80年前の戦争の時代が、少し人ごとではなく、身近なものになるのではないかと思っている。
NHKスペシャル「新・ドキュメント太平洋戦争」
ディレクター 秋山遼
NHKスペシャル「激闘ガダルカナル 悲劇の指揮官」ほか、歴史・文化系の特集番組を制作