ビジネス特集

東北新幹線開業40年 一番列車の運転士は語る

40年前の1982年(昭和57年)6月23日。この日は、岩手県盛岡駅と埼玉県大宮駅を結ぶ東北新幹線の開業日。
小野武司さん(当時41歳)は、静かな喜びと緊張を胸に、新幹線の運転席に乗りこみました。盛岡駅発、上りの一番列車の運転士を務めるためです。
いまや東北と首都圏を結ぶ大動脈となり、地域経済にも欠かせない存在となった東北新幹線。開業してから今に至るまで、その発展を見守り続けてきた一番列車の元運転士に話を聞きました。
(盛岡放送局記者 粟田大貴)

一番列車の運転士と盛岡駅で

6月中旬、JR盛岡駅の改札前で私は待ち合わせをしました。

待ち合わせの相手は、40年前の6月23日、盛岡駅発の東北新幹線一番列車を運転した元運転士の小野武司さん81歳です。
小野武司さん(81)
私が生まれる15年も前の開業日がどんな日だったのか、盛岡駅のホームで教えてもらいました。
40年前とあまり姿を変えていないという盛岡駅。

向かったのは11番ホームです。
小野武司さん
「車庫から東北新幹線を移動させて、ここが先頭車両の停止位置。ここに合わせました。これからいよいよ新幹線の時代が来るのだなという気持ちでいっぱいでしたね」
40年前の記憶は今も深く胸に刻まれていました。

待ち望まれた“夢の超特急”

高度経済成長期、東北からは“金の卵”と呼ばれた若者が集団就職のため東京などに向かいました。

当時、利用していたのは夜行列車。
新幹線開業前の1970年代、東京に行こうとすると、特急列車を利用しても盛岡―東京・上野の所要時間は6時間20分。

多くの県民は、首都圏と岩手を短時間で結ぶ“夢の超特急”を待ち望んでいました。
開業の式典 1982年6月23日(盛岡駅)
岩手の人たちの夢と希望を乗せた東北新幹線の開業日。

盛岡駅では一番列車のやまびこ10号の発車を前に出発式が行われました。

小野さんも当時の国鉄総裁などとともに参加し、ミス東北新幹線の人から花束を受け取りました。
花束受け取った小野さん(中央)
小野さん
「報道の人も含めてホームはすごい人でいっぱいでした。国鉄総裁から『きょうはがんばってください』と声をかけられ『はい、ありがとうございます』と返しました。やはり新幹線開業日なのだという気持ちで緊張はしてきました」
式典が進む中、小野さんは運転席に移動し、静かに出発の時を待ちました。
小野さん
「お客さんが乗っているということはやはり安全に運ばないとならないし、定時に運転をしなければいけないし、そういうプレッシャーはあったと思います。心構えはふだんどおりというか、いつもどおりで仙台まで頑張ろうという気持ちで待っていました」

ホームを出発 その時は…

そして午前7時15分、小野さんが運転する東北新幹線の一番列車「やまびこ10号」は盛岡駅を発車しました。
出発する「やまびこ10号」
小野さん
「静かにスーッと出る感じでした。それでだんだん速度が上がっていき、われわれのころは時速200キロ、210キロで走っていました」
当時、東北新幹線は丸い鼻に緑のラインの200系といわれる車両で、最高時速は210キロ。

盛岡―上野間は、東北新幹線を利用すれば乗り換え時間を含めておよそ4時間で結び、それまでの特急より2時間以上も所要時間を短縮しました。
歴史の新たな1ページを沿線から見守る岩手の人たち。

その姿は運転する小野さんにも見えていたということです。
小野さん
「当時は沿線にいる人がけっこう見えましたね。旗を振ってくれる人もいましたからね。新幹線を待ってくれていた人たちが祝ってくれているのだという気持ちで運転した」
東北新幹線の運転士候補1期生となった小野さん
二戸市で生まれ、高校卒業後に当時の国鉄に就職。

東京の中央線をはじめ、県内の北上線や釜石線などで運転士をしていた小野さん。転機となったのは、開業の2年前でした。

東北新幹線の運転士候補1期生に選ばれて、東京などでの研修が始まったのです。
小野さん
「新幹線という新しい鉄道を運転できるのだなと。どちらかというと真新しいものに飛びつくほうだったかもしれません、若いころは。まさかこういう一番列車の運転士になるとは、その時は全然、思っていなかった」
雪国を走る東北新幹線は、雪の中での走行試験などを繰り返しました。
試験車両の運転台
実際に運転してみると、スピードの速さと車両の性能の高さに驚いたということです。
小野さん
「在来線であればせいぜい時速100キロくらいで新幹線は倍だからね。確かに速いなと思いました。電柱なんか飛んでいくような感じでした。運転台も高くて見晴らしがよく、運転席も当時からすれば今まで運転してきた列車と全然違いましたね。また、全く揺れないのです。誰かが運転台にタバコを立てたのですが運転していても倒れなかった。本当に大した車両だなと思いました。衝撃も少なくてスムーズに走ると思った」

大役発表 告げられたのは…

一番列車運転の大役は、開業2日前、上司から告げられました。
1番列車の運転士と車掌(右側が小野さん)
小野さん
「一番列車の運転を『どうだ』と言われて『わかりました。やってみます』と。報道の人に写真を撮られたりして、そういうのがあまり得意ではなかったので緊張しました。大変なことになったなとは思いました」
開業日には、盛岡駅のほか、県内では北上駅と一ノ関駅が新幹線の停車駅としてデビューしました。
開業を祝う北上駅の様子
小野さんが運転を担当したのは、盛岡ー仙台駅間です。

いつも以上に慎重な運転を心がけ、一番列車を仙台駅まで定刻どおり1時間16分かけて走らせました。
小野さん
「試運転や雪での試験も含めて、乗っているのは鉄道関係者だけでしたからね。お客さんを乗せて運転した最初の日でしたから。もう運転だけに神経を使いました。各駅ともすごい人でしたね。仙台に着いたら、やはりホッとしましたね。安心して大宮に向かう運転士にバトンタッチをしました」

大量輸送時代を支えて

東北新幹線は盛岡―大宮間の開業後、大宮以南への延伸が続き、1991年には、上野ー東京間が開通しました。
東京駅での開業式典1991年6月20日
ビジネス客やスキー客の増加を背景に1994年(平成6年)には2階建て車両も登場し、大量輸送時代を支えました。

40年で乗せた乗客の数は延べ19億人。
新幹線の開業で、東北と首都圏の間では、日帰り出張が可能となり、東北各地を訪れる観光客の数も大幅に増加。

東北の経済発展にも大きく貢献しました。

小野さんは開業後、15年近く東北新幹線の運転を続けました。
引退の日の小野さん
引退したのは1997年(平成9年)3月。

航空機との競争で新幹線が高速化へと向かい、今も現役で走行している最高時速275キロのE2系が導入された年でした。
小野さん
「大宮から上野、東京へと東北新幹線が延伸していき10年以上、新幹線の運転士をしたが楽しかった。大きい事故には遭わなかったことはいまも誇り。そういう運転士時代を終われたのはやはり幸せだったのかな」
小野さんが運転士を引退した後、東北新幹線は盛岡駅より北に延伸していきます。
2010年には、開業から28年の時を経て、東京と新青森間が全線で結ばれました。

進む高速化

さらに高速化も進みました。

先頭車両の形状が、それまでとは異なる試験車両「FASTECH360S」が導入され、トンネルに入る際の空気抵抗を少なくして騒音を抑える試験などが繰り返されました。
E5系
高速化が結実したといえるのが、現在「はやぶさ」などとして運行されているE5系の登場です。

2011年(平成23年)3月5日にデビューし、2013年には、国内最高速度となる時速320キロでの営業運転を始めます。

1982年の開業当時から比べると100キロ以上速くなり、盛岡―東京の所要時間も最短で2時間10分に短縮されました。

今の車両を小野さんはどう思うか聞いてみると…。
小野さん
「車両を見るとますます新しくなっていて、すばらしいなと。こういう車両も運転してみたかったなという気持ちになりますね」

さらなる“進化”を目指して

東北新幹線の“進化”は続いています。
次世代新幹線の試験車両 「ALFA-X」
2019年5月からことし3月までのおよそ3年間、JR東日本は次世代新幹線の試験車両「ALFA―X」で、車両の安全性や耐久性、環境性能の向上などを目的とした試験走行を実施。
その数は、180日以上にも及びました。

今後も、騒音の解消やブレーキ性能の向上を図りながら、北海道新幹線の札幌延伸の時期、2030年度末を目標に、営業速度を現状より40キロ速い時速360キロにすることを目指しています。

これから東北新幹線はどのような役割を果たしていくのか。

いわぎんリサーチ&コンサルティングの沢田茂シニアマネージャーは、次のように話しています。
いわぎんリサーチ&コンサルティング 沢田茂さん
「ポストコロナの時代では、これまでよりもさらに観光振興において重要な役割を果たすだろう。コロナ禍でリモート会議などが増加し、出張などのビジネス利用は減少した反面、依然として観光利用において利用客を東北各地に運ぶという役割は強いのではないか」

いつまでも安全運転を

脱線した東北新幹線 2022年3月
ことし3月、福島県と宮城県で震度6強を観測した地震で、東北新幹線は脱線。

盛岡駅と栃木県の那須塩原駅間が不通となり、全線で運転が再開されるまで、ほぼ1か月かかりました。

岩手県から直通で東京などに行くことができなくなり、多くの人たちが、高速バスや花巻空港からの航空機を利用することになりました。

小野さんは、利便性の向上に加え、さらなる安全性の向上が欠かせないと考えています。
小野さん
「スピードが上がっても安全運転ですね。日本は地震が多く3月に地震で脱線したが、災害に対する強さも備えていかないといけないのではないか」
最後に、今も進化を続ける東北新幹線への小野さんの思いを聞きました。
小野さん
「われわれの時代とはもう雲泥の差です。今度また新しく開発されている次世代新幹線のALFA-Xは時速360キロ。速度は上がるいっぽうなので楽しみにしていて、乗ってみたいと思います。スピードが上がっても安全運転を忘れずに、今後もお客さんが楽しい時をすごせるような新幹線であってほしい」
去年5月、新人記者として盛岡放送局への赴任が決まった私は、大きな希望と多少の不安も抱えて、JR盛岡駅に降り立ちました。

それまで何度も乗ってきた新幹線ですが、座席でさまざまな思いを巡らした盛岡への、およそ500kmの道のりは、瞬く間に過ぎていきました。

多くの人の人生を運んできた東北新幹線。
昭和、平成、令和と時代とともに進化してきたその姿を、これからも取材していきたいと思います。
盛岡放送局記者
粟田大貴
2021年入局
警察・司法・鉄道・スポーツなどを取材。
学生時代は小田急線新宿駅で駅員のアルバイト経験も。
帰省の際に新幹線を乗り継ぎ盛岡―東京―姫路に挑戦したいです。

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