相模原障害者施設19人殺害事件から6年 再建された施設で追悼式

相模原市の知的障害者施設で19人が殺害された事件から26日で6年です。現場に再建された施設では追悼式が開かれ、午後からは一般の献花も受け付けます。

2016年7月26日相模原市にある県立の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害された事件から、26日で6年となります。

現場となった建物は取り壊されたあと、去年、規模を縮小して再建され、50人が生活しています。

26日は午前中、施設の体育館で追悼式が開かれることになっていて、遺族や入所者の家族のほか、県や施設の関係者などが出席し、犠牲者に黙とうをささげます。

また、犠牲者のうち、遺族の意向を受けて7人の名前が刻まれた「鎮魂のモニュメント」の前の献花台では、午後1時半から5時まで、一般からの献花を受け付けます。

この事件で死刑判決が確定した元職員の植松聖死刑囚(32)は、ことしになって横浜地方裁判所に再審=裁判のやり直しを申請しています。

この事件は

事件は6年前の7月26日の未明に起きました。

相模原市にある神奈川県の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所していた人たちが次々と刃物で刺されて19人が殺害され、職員を含む26人が重軽傷を負いました。

事件の直後、施設の元職員の植松聖死刑囚(32)が、近くの警察署に出頭して逮捕され、その後、起訴されました。

植松死刑囚は逮捕直後から「障害者は不幸しか作らない」とか「意思疎通できない障害者は殺そうと思った」などと差別的な主張を繰り返しました。

おととし3月の判決で、横浜地方裁判所は「施設での勤務経験から重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった」と指摘しました。

そのうえで「19人もの命を奪った結果は、ほかの事例と比較できないほどはなはだしく重大だ」として死刑を言い渡しました。

弁護士が控訴しましたが本人が取り下げ、死刑が確定しましたが、ことし4月、本人が横浜地方裁判所に再審=裁判のやり直しを請求しています。

2つのやまゆり園として再建 新たな生活が

現場となった津久井やまゆり園では事件当時、重度の知的障害がある人たちおよそ150人が暮らしていました。

事件のあと、ほとんどの建物は解体されました。

県は当初、同じ規模の施設に建て替える方針でしたが、障害者団体などからは「地域に根ざした小規模な施設にすべきだ」といった反対意見が寄せられました。

一方、利用者の家族からは「地域で受け入れられないので、施設にお願いしている」とか「同じ規模で再建してほしい」といった声が上がり、再検討の結果、現地と横浜市内の2か所に以前の半分以下の、定員およそ60人の施設を再建することになりました。

去年、現地には「津久井やまゆり園」が横浜市には「芹が谷やまゆり園」が完成し、新たな生活が始まりましたが、多くの利用者はそれまでの5年間、仮設の施設を転々とする生活を余儀なくされました。

2つの施設は、いずれも部屋がすべて個室になり、食堂やキッチン、風呂などを備えた「ユニット」ごとに10人ほどのグループで生活しています。

施設の再建に際しては、やまゆり園を運営している社会福祉法人「かながわ共同会」の支援の在り方についても議論になりました。

事件のあと、県が行った有識者による検証で、一部の利用者について「見守りが困難」という理由で、外から施錠した個室に長時間拘束していたことなどが明らかになり、支援の改善を求められました。

これを踏まえ、50人が暮らしている津久井やまゆり園では、希望をよりくみ取った支援を行うよう努めるとともに、本人や家族の意向を尊重しながら、グループホームへの移行を進めていくとしています。

永井清光園長は「元職員が起こしたことに、ずっと自責の念に駆られています。批判の声もしっかり受け止め、反省すべきところは反省して、利用者の方たちが望む暮らしや実現したい夢をしっかりと支援していきたい」と話しています。

美帆さんの母親 「19人のために誰もが生きやすい社会を」

事件から6年となる中、19歳で犠牲となった美帆さんの母親は、亡くなった19人のため、誰もが生きやすい社会に向け、少しずつ発信を始めています。

母親によりますと、美帆さんは自閉症で重い知的障害があり、ことばはありませんでしたが、感情表現が豊かで態度などで自分の意思を伝えてくれたといいます。

自宅の居間の棚には、笑顔の写真の周りに美帆さんが好きだったアンパンマンなどの人形や花が飾られていて、事件から6年となる今の心境について母親は、「写真の美帆に話しかけるのが日課のようになっています。はじめの頃のパニックのようなな悲しみとは違い、じわじわと悲しさや切なさが押し寄せてきます。会えない時間が長くなるほど、恋しく会いたい気持ちが増してきて、1度でも、お化けでも幽霊でもいいから、会いたいなと心から思います」と話していました。

母子家庭のため、時に仕事を掛け持ちしながら美帆さんと1つ上の兄を1人で育ててきましたが、自分がいなくなったあとを考え、津久井やまゆり園に預けたのは事件の4か月前のことでした。

母親は、「『私の娘に生まれてくれてありがとう』という思いと、『やまゆり園を選んでしまってごめんなさい』という思いがあります。私があそこに決めなければ、こんなことにはなっていなかったので、私のせいじゃないと周りは言ってくれますがどうしても消えない。いつもは心の中の開けない箱に隠してある気持ちです」と、今も拭えない後悔があることを明かしました。

そうした中で支えとなってきた1つが、事件がきっかけとなり、知り合った知的障害のある人たちの存在です。

精神的に厳しい状態の時も一緒に過ごすことで、笑顔や元気を取り戻せたといいます。

この春からは、裁判の際に母親が美帆さんの名前と写真を公表したことでつながった障害のある人を支援している鳥取県のNPOの情報誌に手記を寄せています。

母親は、「障害のある人たちにすごく力をもらって、本当にいろんな人に助けられて協力してもらって、生きてこられました。何か恩返ししたいと思ったときに、障害があっても、なくても誰もが生きやすい社会にしていくことが亡くなった人たちがいちばん喜んでくれることかなと、それが美帆を含めて19人に私ができることなのかなと思っています。まだ模索中ですが、色んな人の意見を聞いて、一緒に考えていきたいと思います」と、この6年の心境を語っています。