安倍晋三 元総理銃撃事件 医師たちの5時間半

安倍晋三 元総理銃撃事件 医師たちの5時間半
安倍晋三元総理大臣を搬送するドクターヘリの機内で、医師は予想外の事態に直面していた。

“背後から撃たれた”にも関わらず、背中に傷が見当たらなかったのだ。

事件当日、現場で、ヘリの機内で、そして搬送先の病院で、5時間半にわたり治療を行った3人の医師。

元総理の銃撃という前代未聞の事件に医師たちはどう向き合ったのか。

(奈良放送局 記者 金子晃久 バルテンシュタイン永岡海)

叫び声で駆けつけた

「撃たれた 撃たれた」

参議院選挙2日前の7月8日午前11時半すぎ。午前の診療を終えようかという時、叫び声が聞こえた。中岡伸悟医師のクリニックは大阪、京都、奈良を結ぶターミナル駅、近鉄・大和西大寺駅の北口にある。

何が起きたのか確かめようと、中岡医師はビルの外に駆け出した。
横断歩道の中ほどには大勢の人だかり。目に飛び込んできたのは、仰向けに倒れている安倍元総理大臣の姿だった。顔色は白く、意識を失っているようだ。声をかけても反応はない。

一緒に現場に駆けつけた看護師たちとともに、心臓マッサージを行った。持参したAEDを体に取り付ける。しかし、正しい手順で行っているのに作動しない。AEDは電気ショックの効果がある場合には作動するが、すでに心臓が動いていない場合には作動しないという。

胸の動きを観察すると、自発呼吸もないように見えた。
現場に駆けつけた中岡伸悟医師
「かなり厳しい状態だと感じました。目視しただけでは、傷の位置や程度はわかりませんでしたが、銃撃によって大きな血管や臓器が損傷しているのではないかとみられました。一刻も早く医療機関への搬送が必要な状態で、祈るような気持ちで救急車の到着を待ちました」
「背後から撃たれた」「この場から離れて」
「救急車がまもなく到着します」

さまざまな声が飛び交い騒然とする中、中岡医師らは心臓マッサージを続けた。

「至急向かってください」

奈良市消防局の消防無線の記録によると、救急車の出動要請は午前11時32分。

3分後「高齢男性、拳銃で撃たれ現在CPA(心肺停止)状態と思われます」「至急向かってください」などといったやり取りが残されている。

午前11時43分、現場に到着した救急車に安倍元総理が収容された。

気管挿管などの救命措置を行いながら、救急車はドクターヘリと合流できる着陸地点を目指した。

ドクターヘリ出動要請

同じ頃、奈良県のドクターヘリにも出動要請の連絡が入っていた。
ヘリの基地は事件現場から南に約30キロ離れた奈良県大淀町にある南奈良総合医療センター。この日、ヘリ当番として待機していたのは、救急医の植山徹医師だった。
パイロットから伝えられた一報は「高齢男性が銃撃を受け心肺停止」

植山医師は看護師らとともに蘇生処置に使う医療機器を積み込み、ヘリは事件現場から1キロほど離れた着陸地点へ向かって離陸した。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「銃創のけが人の搬送は奈良県のドクターヘリが始まって以来、初めてのことじゃないでしょうか。実は、けが人が安倍元総理だということは正式には誰からも聞いていないんです。要人であるからといって、対応を変えることはありません。ヘリの中は、騒音がすごくて聴診も効果的にはできないし、揺れが激しい上にシートベルトで動きも制限されます。難しい対応になることは予想していました」

ランデブーポイントは平城宮跡

午前11時52分。ヘリは着陸地点として指定された、奈良時代の都の跡・平城宮跡に着いた。

世界遺産にもなっているこの場所。周りを見るとふだんと変わらないようすでジョギングや散歩をする人の姿も目に入った。

5分後の午前11時57分、安倍元総理を乗せた救急車が到着した。
植山医師は安倍元総理の状況を確認し、まずは点滴ルートの確保を試みた。

しかし、事態は予想以上に深刻だった。血圧が急激に低下していて、血管に針がうまく入らない。ルートが確保できなければ、蘇生処置に使うアドレナリンなどの薬も投与することができない。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「全く意識もありませんし、脈も確認できませんでした。それで、静脈路をとろうとしてもできなかったので、骨髄針といって、骨に針を刺して骨髄の中から輸液する方法をとりました」

傷口が見当たらない

さらに難しかったのは、銃弾による傷の位置を特定することだった。

混乱していた現場からの情報は「安倍元総理は後ろから撃たれたようだ」ということだけだった。

搬送先の奈良県立医科大学附属病院までの距離は20キロ余り。到着までのわずか10分ほどの間に銃創の位置を特定し、病院で待つ医療チームに引き継ぐ必要があった。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「その時点で、いったい何発撃たれたのか、どんな銃が使われたのかといった情報は何もありませんでした。背後から撃たれたというので背中側に手を差し入れても、出血はなく、傷口は見当たりません。機内でできることは限られますが、病院に到着すれば手術ができるので、なんとかそれまでに位置を特定して病院のチームの助けになることが一番の仕事だと考えていました」
銃創の治療経験があった植山医師。揺れる機内で全身を観察し、傷を探した。
傷は背中ではなく体の前方にあった。首に2つと、さらに左肩にも1つ。特定できたのは、ヘリが病院に到着する2分前だった。

午後0時20分。ヘリは病院に到着。
治療は病院の医療チームに引き継がれた。

傷は心臓にまで達していた

手術を担当したのは救急医である福島英賢教授をはじめとするチームだった。
ストレッチャーに乗せられた安倍元総理は、エレベーターで病院の1階に降ろされ、高度救命救急センターの処置室に運び込まれた。年間2000人近い患者を受け入れる、奈良県の救急医療の最後の砦だ。

福島医師のもとに受け入れの要請があったのは、午前11時58分。福島医師は、到着までの20分ほどの間に人員と輸血のための血液の確保に動いた。
手術にあたった福島英賢医師
「銃創による心肺停止の状態だという情報が入っていましたので、その時点でかなり厳しい治療になると覚悟しました。とにかく蘇生処置を行わなければいけないので、できるだけたくさんのスタッフと輸血の手配をして手術の準備を始めました」
すぐに集まった10人ほどのスタッフとともに処置室に入った福島医師。出血している部位を特定し、止血しようと開胸手術にとりかかかった。

事件発生からは1時間近くが経過。蘇生のために必要な気道の確保と人工呼吸器の装着はすでに行われていた。

大きな血管や臓器の損傷はどの程度起きているのか。止まっている心臓を再び動かすには、まず、この出血を止める必要がある。
しかし、治療は困難を極めた。胸を開いてみると傷は血管だけでなく、心臓にまで達していた。血圧は急激に低下していて、血液は輸血したそばから失われていった。自動のポンプだけでは追いつかず、医師と看護師が交代しながら手動で血液を送り込んだ。
手術にあたった福島英賢医師
「過去に治療経験があったので、銃創は出血点が大きく、事故でおなかを打撲したようなけがとは損傷の仕方が違うことはわかっていました。今回は撃たれたのが大きい血管のある胸部だったので、止血の処置は非常に難しいものになりました」
手術で使われた血液は、およそ13リットルに上る。成人男性の全身の血液3人分ほどにあたる量だ。大学にあったものだけでは足りず、赤十字血液センターから取り寄せて対応した。
手術に携わった医療スタッフは、最終的に医師20人余りを含む総勢41人になった。大きな血管からの出血にはなんとか対処できたものの、心拍は回復しないままだった。

治療中止の決断

手術が始まってから4時間余りが経過した午後5時前、妻の昭恵さんが病院に駆けつけた。そのころ処置室では、治療を続けるべきかどうか、医療チームが重い判断を迫られていた。
手術にあたった福島英賢医師
「蘇生処置に反応せず、治療を続けても回復の見込みがないと思われる場合、どこかの時点で治療を中止する決断をしなければなりません。中止を決める際には、蘇生の限界点が来ているという医学的な判断だけでなく、家族の理解も得なければならないのです。今回は、病院に家族が来ると聞いていたので、そこまでは治療を続ける方針でした。家族に私から説明をして、理解していただいたうえで中止の決定をしました」
安倍元総理の死亡が確認されたのは午後5時3分。
事件発生からおよそ5時間半がたっていた。

テロを想定した医療態勢を

なんとか命を救おうと奔走した医師たち。事件を振り返り、教訓についても語り始めている。

ドクターヘリで搬送と治療を行った植山医師は、搬送されるけが人や、現場で活動する医療スタッフの安全管理に課題を感じていた。
ドクターヘリで搬送 植山徹医師
「ヘリで着陸地点に降りた際、周辺には散歩やジョギングをしている一般の人もいて、誰でも近づけるような状況だと感じました。複数人のグループで犯行に及んでいたとしたら、着陸地点をねらわれたり、搬送を妨害されたりするおそれもありました。医療スタッフの安全確保や人の出入りの制限が非常に重要だと思いました」
一方、大学病院で手術を行った福島医師は、銃などの事件やテロを想定した医療態勢が十分、整っていないと実感したという。そして今後、態勢を構築する必要があると指摘する。

今回の事件では、現場近くの駐車場の壁などに銃弾が当たったような痕跡が見つかっていて、演説を聞いていた人の中からもけが人が出ていたおそれがあったからだ。
手術にあたった福島英賢医師
「海外であればともかく、日本では銃撃によって複数のけが人が出るという想定は十分されているとはいえません。そうした場合にどのような医療態勢を作るべきかを今後考えていかなければいけないと思います」

共通する「無念の思い」

3人の医師たちは、命を救おうと手を尽くした人たちの活動を記録したいという私たちの依頼に応えインタビューに応じた。

共通して口にしたのは、1人の尊い命を救うことができなかったことに対する「無念の思い」だった。

社会的な反響も大きく、医師たちはそれぞれ今回の事件に複雑な思いを抱いていた。

それでもカメラの前に立ったのは、この事件に医師としてどう向き合ったのか証言を残すことにはきっと意味があるという思いがあったからではないかと思う。

福島医師は、2時間近いインタビューの最後を、自分自身を納得させるようにこう締めくくった。
手術にあたった福島英賢医師
「非常に残念な結果になりましたが、立ち止まるわけにはいかないので、今後もとにかく前を向いてやっていかなければいけないと思っています」
奈良放送局 記者
金子晃久
令和元年入局
奈良が初任地。医療機関や行政などを取材。平城宮跡では選挙解説用の動画を撮影していた。
奈良放送局 記者
バルテンシュタイン永岡 海
平成29年入局
2年前に奈良局に赴任。事件後は県警取材に従事。中岡医師は我が家のかかりつけ医。