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“自国開催”という夢のあと~東京五輪 残されたのは~

57年ぶりとなる自国開催の夏のオリンピック。コロナ禍での1年延期、ほとんどの会場が無観客、そして国民の賛否が分かれる中での開催といった異例づくめのものになりました。

招致が決まった時に期待した形とは大きくかけ離れた大会から1年。
「自国開催のオリンピック」が残したものは何だったのでしょうか。
(スポーツニュース部記者 本間由紀則/松山翔平/猿渡連太郎)

あの夏見た異様な光景

今月行われたラグビーの日本対フランス戦。

国立競技場には5万7000人を超える観衆が熱狂する姿がありました。
2022年7月9日 国立競技場
スタジアム全体が一体となる感覚はまさにスポーツの魅力のひとつです。

その約1年前の2021年7月23日。

私たちが同じ国立競技場で見た光景はまったく違うものでした。

東京オリンピックの開会式がまもなく始まろうという会場周辺には、少しでもオリンピックの雰囲気を感じようと集まってきた人たちと、「オリンピックはいらない」と叫ぶ人たちでごった返していました。
オリンピックへの期待感と、コロナ禍で開催することへの不安。

一体感とはほど遠い、開催への賛否が分かれた国民感情を象徴しているようでした。

オリンピックのメインスタジアムとなった国立競技場での開会式には、また違う光景が広がっていました。
スタジアムの中央に置かれた、太陽と富士山をモチーフとした「聖火台」、大量の花火や、ドローンで作られた巨大なエンブレムと地球。

派手な演出にも関わらず、スタジアムにいるとどうしても目に入ってしまうのは人のいない観客席でした。
オリンピック招致が決まった瞬間から、すでに8年がたっていました。

招致の時に想像した「東京オリンピック」と、現実のあまりにもかけ離れた姿の落差にとまどいながら、開会式のあとの深夜、千駄ヶ谷駅まで歩いたあの日を、忘れることはありません。

“賛否分かれた五輪”が残したものは

コロナ禍ではオリンピック開催の賛否が分かれるだけでなく、スポーツの存在意義そのものが問われました。

その夢の舞台を目指してきたアスリートたちも難しい立場に置かれました。

東京オリンピックで新たに採用された競技として注目されたスポーツクライミングで銅メダルを獲得した野口啓代さんは、当時をこう振り返ります。
野口啓代さん
野口啓代さん
「スポーツ選手という自分の職業や役割、本当にスポーツをやっていていいのかなという気持ちもありました。自問自答することもすごい多かった」
コロナ禍の社会でスポーツには何ができるのか、これまでと世の中が大きく様変わりした状況でスポーツは必要なのか。

スポーツ界全体が、そうした問いを突きつけられました。

元陸上選手でオリンピックに3大会連続で出場した為末大さんは、コロナ禍で意見が二分されるオリンピックに直面したことで、スポーツ界は大きな岐路に立たされたと説明します。
為末大さん
為末大さん
「社会のために、スポーツを何のためにやるのかというのを考えてこなかった一方で、スポーツ施設の維持にはスポーツと関係ない人たちの税金が使われるということは、説明がつかないし認めてもらえなくなっていく」
そのうえで為末さんは、競技の成績を追い求めるだけでなく、社会に価値を示さなければ応援されないということにスポーツ界が気づいたことが、東京オリンピックのレガシーのひとつだと指摘します。
為末大さん
「一番大切なのは私たちアスリートが何のためにいるのかということ。どうやって社会に価値を還元するかを考えないと、私はスポーツに対して好意的に思ってもらえる時代は長い間続かないと思います」
スポーツが社会に示す価値の模索も始まっています。

7月、東京・葛飾区のスポーツクライミングのイベントに参加した野口さんは、みずからの技を披露したり、子どもたちの質問に答えたりして交流していました。
技を披露する野口さん
野口さんが考える、スポーツの価値は、みずからの経験や思いを次の世代に伝えていくことです。

今後も、子どもたちの育成や普及活動などに力を入れていきたいとしています。
野口啓代さん
「自分がしてきた経験やオリンピックの体験は、1人でも多くの方にお会いして伝えていきたい。そこから『オリンピックを目指したいな』とか、『パリオリンピックを見にいきたいな』と思ってくれる人がいたら、それこそが私がレガシーを受け継いでいる証拠だと思う」

大会運営が残した“教訓”

大会開催に賛否が分かれたのはコロナの感染拡大だけが要因ではありませんでした。

準備段階から大会本番までに起きたさまざまな不祥事は、日本社会が抱えるいくつもの課題を浮き彫りにしました。

1つめは東京大会のコンセプトとして掲げた「多様性と調和」に逆行する動きでした。

組織委員会の森会長による女性蔑視と取れる発言。

開閉会式の統括責任者、開会式の作曲担当者、そして式典ショーディレクターの辞任・解任ドミノが開会式前日まで続く異例の事態となりました。

大会関係者の中には「森会長の発言でジェンダーへの意識が高まったことが大会のレガシーだ」と皮肉る人もいたほどでした。
2021年2月4日 会見する組織委員会の森会長(当時)
2つめは、観客の有無をめぐって二転三転した「意思決定プロセスに見られる日本的無責任さ」(組織委員会の元幹部)でした。

2021年3月、海外からの観客を受け入れないことを決め、6月には国内の観客を入れることを基本とした方針が示されたにも関わらず、開幕直前の7月に入って一転、一都三県の会場は無観客となることが決まりました。

先の元幹部は「無観客について、国は『都』の判断だと思っているし、都や組織委員会は『国』からおりてきたと思っている。結局、誰の判断なのか、世間から見てさっぱり分からない状況になった。チケットホルダーやスポンサーのためにもっと早く無観客を決定できなかったのか」と悔やみました。
無観客で行われた競技
そして、最後に最も大きかったのは大会が招いた社会の「分断」です。

その要因のひとつが、海外からの観客を受け入れないという決定でした。

人口減少が続き経済成長も停滞する日本社会にとって、57年ぶりの夏のオリンピックは大きな経済波及効果が期待されていました。

中でも海外からのインバウンドへの期待は高く、観光業界などは、それを見越した設備投資などをすでに行ってきました。

ところが、新型コロナによって状況は一変し、インバウンドは失われました。

オリンピックが経済波及効果を伴わない純粋なスポーツの大会となったことで、スポーツ界とそれに関わりのない人との分断が生まれる要因になった気がします。
さらに、コロナに対する不安も分断に拍車をかけました。

組織委員会はホームページに安全・安心な大会実現に向けた議論の経緯などを掲載し「透明性を確保している」と自負していましたが、世間の受け止めはまったく違うものでした。

「大会中止の議論はまったくない」という組織委員会の姿勢は「開催ありき」と映ってしまい、何が何でも開催に突き進むのではないかと世の中の不信感が高まる悪循環に陥っていきました。

組織委員会の統括責任者を務めた中村英正氏は「大会に反対する声を取り入れながらコロナ対策を進めてきた」としながらも次のように振り返ります。
組織委員会の統括責任者を務めた中村英正氏(2021年2月3日)
中村氏
「透明性を持ってやっているつもりが『何もやってないじゃないですか』と言われて、パンチをボンと食らったような衝撃を受けた。対話をもっと民主的にやればよかった」
こうした数々の問題によって浮かび上がったのはオリンピックという巨大なスポーツイベントそのものが曲がり角に来ているという現実でした。

史上最多の33競技まで肥大化し、真夏の猛暑の中での開催という環境面に加え、開催都市には大きな費用負担がのしかかります。

このままでは開催する都市がなくなるのではないかという指摘が出るほど、もはや持続可能ではなくなったオリンピック。

大会の在り方が大きく変わるきっかけになれば、それも東京大会のレガシーのひとつになると思います。

残された施設 どう生かすのか

自国開催のオリンピックは数々の教訓だけでなく、競技施設という目に見えるレガシーも残しました。

そこでスポーツ界は“ポスト東京”という新しいステージに向かって動き始めています。

開催経費1兆4238億円のうち、国立競技場など大会後も活用できる恒久施設の整備費には3491億円がかけられました。

こうした競技施設を活用して、競技人口をいかに増やしていくことができるかは大きな課題です。
「大井ホッケー競技場」で7月に行われたホッケーの体験教室には120人の定員に対し、1000人を超える応募が殺到しました。

競技場の近くに住む小学5年生の池田大和くん。

ホッケーの道具に触れるのはこの日が初めてでしたが、日本代表の紅白戦をこの競技場で見て興味を持ち、教室に参加しました。
池田大和くん(中央)
オリンピック選手にシュートやパスを実際に教えてもらいながら、およそ2時間、ホッケーに触れた池田くんは、目を輝かせてこう語りました。
池田大和くん
「オリンピックが行われた場所が近くにあるのはすごいことで、また来たいです」
競技団体が、普及にこだわるのは、過去に施設をほかの競技に譲ることになった苦い経験があるからです。

大阪市にあるサッカーJ1のセレッソ大阪のホームスタジアム「ヨドコウ桜スタジアム」はかつては人工芝の施設で、ホッケーの試合会場として国際大会も行われましたが、利用者数が伸びず、2010年に天然芝の施設に改修されホッケーの利用は難しくなりました。
旧・長居球技場(2007年10月 ホッケー女子日本代表とドイツとの親善試合)
大井ホッケー競技場を、大阪の二の舞にしたくないと、競技団体は4年前から自治体や日本代表選手と協力しながら、学校でのホッケー体験や、住民との交流の場を設けるなど、周辺の地域に対し、ホッケーを少しでも知ってもらう取り組みを行ってきました。
競技場周辺の商店街を訪れた男子の日本代表選手
東京大会に出場した選手に品川区の職員になってもらい、普及に当たることなどによって、地域には競技に興味を持つ人が増え始め、深夜にも関わらず、日本代表が出場する国際大会を観戦するコミュニティーも出てきました。
日本ホッケー協会 坂本幼樹事務局長
日本ホッケー協会 坂本幼樹事務局長
「『大井なくして、日本ホッケーの未来なし』ということで、協会や選手、携わる人たちがこの競技場を大事にしていくということが一番大切。体験教室に参加してくれた子どもが、オリンピアンの種になると思っている」

東京オリンピックを“変化の始まり”に

さまざまな人たちの夢の舞台だった“東京オリンピック”から1年。

映像で見た1964年の大会は、高揚感に満ちていましたが、私たちが2021年に目の当たりにした大会は、困難ばかりが記憶によみがえってきます。
大会ではアスリートのメンタルヘルスやSNSによる誹謗中傷といった現代の社会が抱える問題もクローズアップされました。

そして、スポーツやオリンピックの意義について、さまざまな観点から議論が起きたことは、これからの社会やスポーツ界が変わるきっかけになるでしょう。

57年ぶりの夢の舞台は「東京オリンピックが変化の始まりだった」という未来につながっています。
スポーツニュース部記者
本間由紀則
2004年入局
東京五輪・パラの招致から10年にわたって都庁と組織委員会で東京大会を取材
スポーツニュース部記者
松山翔平
スポーツ新聞社の営業職から2010年に入局
大分・千葉・広島局を経て現所属
スポーツ庁やアーバンスポーツなどを担当
スポーツニュース部記者
猿渡連太郎
2013年入局
宮崎局を経て現所属
プロ野球や相撲を担当し組織委員会を取材

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