夏の全国高校野球へ 名将・前田三夫から託された指揮官の覚悟

夏の全国高校野球へ 名将・前田三夫から託された指揮官の覚悟
甲子園で春夏通算3回の優勝を誇る東京の帝京高校。「東の横綱」と呼ばれた時もありました。

このチームを50年率いた名将・前田三夫前監督が去年夏で退き、教え子だった元キャプテンが監督に就任しました。

この10年、甲子園から遠ざかっているチームはかつての輝きを取り戻そうともがいています。

(ネットワーク報道部 松本裕樹)

“帝京魂”ということばを知っていますか?

「おまえのミスでチームが負けていいのか!」

東京・板橋区の住宅街の一角にある帝京高校野球部のグラウンド。ノックバットを持った37歳の金田優哉監督の怒号が響き渡りました。それから10分後、一転、柔和な笑顔になった金田監督が私のもとに来てくれました。

「監督の金田です。よろしくお願いします!」

野球に詳しくなくても帝京高校野球部出身でタレントの石橋貴明さんがテレビ番組などで発している「帝京魂」のことばを耳にしたことがある人は多いのではないでしょうか。
今回はこの「帝京魂」をきっかけに、復活を期す野球部の姿を追うため取材を進めました。

かつて全国区の強さで東の横綱と恐れられた

甲子園通算51勝、春夏通算3回の優勝。帝京高校は東京のみならず、かつて東の横綱と呼ばれる全国区の強豪校でした。

去年夏の公式戦終了後に野球部発足時から指揮をとってきた名将・前田三夫さんが勇退。コーチを務めていた金田さんが監督に就任し、この夏の甲子園出場をかけた東東京大会に初めて臨むのです。

大会前の6月。チームを仕上げる時期は指導に集中したいと取材を断られるかと思いましたが、金田監督は対応してくれました。
金田監督
「メディアの取材や周囲の注目を選手は力に変えてほしい。注目されていることはありがたいことですし、これぐらいの注目やプレッシャーに耐えられないと、帝京の選手としてやっていけないと思っています」
インタビューでチームの仕上がりなどを聞き、「帝京魂」に話が移った時にその表情が一瞬、曇りました。
金田監督
「その質問、よく聞かれます。模範的な回答をすれば、偉大な先輩が築き上げてきた強者のプライドでしょうけど、私たちは10年間、甲子園に出ていません。指揮官を変えたこの夏、もし勝てなかったら、帝京はずっと甲子園に出られない。そんな危機感をもって1日1日を過ごしています。だから強者でもないわれわれが今、『帝京魂』ということばを軽々と口にすることはできません」
チームの再建を託されたことへの強い覚悟がその語り口から感じられました。

監督就任の打診は突然に

帝京OBの金田監督は2年生だった2002年、背番号15で夏の甲子園に出場。3年生の時にはキャプテンを任されましたが東東京大会5回戦で敗退。筑波大学でも野球を続け、卒業後はベンチャー企業に就職しました。

しかし2年間でサラリーマン生活に別れを告げ、別の高校でのコーチを経て、2011年に前田前監督に呼び戻される形で母校のコーチになりました。そして、去年秋の都大会を間近に控えた8月末、監督就任の打診を受けました。
金田監督
「本当に驚きました。前田監督がまだまだ続けると思っていたので。でも託された以上、帝京の伝統を守りたいという思いはありました。『帝京高校の監督』はなりたくてもなれるものではないと腹をくくりました」
前田前監督にもその理由を聞きました。
前田前監督
「体は元気でしたし、高校野球への熱意が落ちたわけでもありません。ただ世の中が変わり、高校野球の指導方法が劇的に変わるなかで、今まで通りのやり方が押し通せず、結果も出なくなっていました。72歳という年齢から、新たなことをチャレンジする覚悟もありませんでした。妻以外には直前までやめることは言わなかったので、周囲は驚いたと思います。金田監督は選手時代から仲間や相手の特徴を観察し、試合の流れを読む力がありました。コーチになってからも指導方法や野球理論を貪欲に学んでいましたし、後任にふさわしいと思いました」

エラーやミスでつけ込まれないチームへ

どうすればかつて甲子園を湧かせた強豪校としての姿を取り戻すことができるのか。金田監督がまず始めたのが、練習で見せるプレーを試合でも出せるようにすることでした。
守備練習やバッティング練習はほぼすべて実戦を想定。ランナーの有無やアウトカウントだけではなく、点差やイニングなどを設定し、選手にはそれに応じたプレーを求めました。
金田監督
「私のこれまでの経験では、流れの中でのエラーや判断ミスをきっかけに大量点を取られてきました。全国の強豪校はそうしたエラーやミスに乗じて点を奪っていくものです。ふだんの練習から実戦を意識することで、つけ込まれないチームに強化する必要がありました」

前監督とは“真逆”のアプローチ 

バッティング練習ではケージの後ろから選手のスイングを入念にチェック。アドバイスはしますが、フォームには口出ししないと決めています。バッティングの型を一から作り上げる前田前監督とはある意味、真逆のアプローチです。
金田監督
「今の子どもはSNSやテレビでプロ野球選手などの打撃から自分にあう型を見つけて入学してくるケースが多いです。一から打撃について教えると逆にフォームが崩れるし、選手も受け入れくれません。それならばフォームの矯正は最低限にして、どういう球を打つのかなど目的意識を持たせようとしています」
この指導方法で大きく伸びたのがサードの小島慎也選手(3年生)です。身長は1メートル70センチほどと大きくありませんが、思い切りのよいスイングが持ち味です。通算ホームラン数は去年秋の時点で16本でしたが、ことしの春以降に量産し6月中旬までで37本になりました。
小島選手
「金田監督は思い切りのよさを認めてくれるので、自信を持てるようになりました。強豪校相手にも打ち負けることが少なくなり、チームとして打撃は誇れる強みになったと思います」

時代の流れを受け入れて

遠のいている甲子園を目指すうえで、少しでも多く練習をしたいところですが、ことし5月に大きな決断をしました。

月曜日を休日に設定し、選手たちがリフレッシュできるようにしたのです。週に1回のオフがあることで野球に向き合う真剣さが増しています。
渡辺礼選手
「父親の影響もあって、強い帝京を取り戻したくて、僕は迷いなく入学しました。休みがないことなどを理由に、ほかの強豪校に行く選手もいました。今は休みの日は体のケアにあてられるので、練習に今まで以上に力が入るようになりました」

エースナンバーを託した理由とは

夏の甲子園出場をかけた東東京大会まで2週間をきった7月上旬。帝京高校は各地で甲子園常連校と練習試合を行い、実戦を通した調整段階に入っていました。
取材したのは栃木の作新学院との練習試合でした。金田監督はレギュラーの中で背番号1のエースピッチャーを誰にするか決めかねていました。
2人目として6回から登板した3年生の佐久間光正投手はこれまでふた桁の背番号しかつけたことがなく、公式戦の初登板がこの春の都大会という“遅咲きの選手”でした。

4回2失点という結果でしたが、これまで気迫をあまり表に出さない佐久間投手がピンチの場面で三振を奪うごとに雄たけびをあげるなど、マウンドで戦う姿勢を見せました。

金田監督はこの試合の投球内容も踏まえ、佐久間投手に背番号1を与えることを決めました。
金田監督
「佐久間投手は強豪相手にひるむことなく、強気の投球を見せてくれた。夏の大会に向けて結果を残した選手を正当に評価することは大事だと思います」
佐久間投手
「去年の夏は精神的に追い込まれて、投げることすら怖くなっていた自分を金田監督や3年生の仲間が粘り強く支えてくれました。恩返しのためにも、この夏はエースとしてチームを勝たせる投球をして、帝京復活を印象付けたい」

OBも甲子園での雄姿を再び見たい

帝京高校からは東京オリンピック日本代表の山崎康晃投手(DeNA)など、多くのプロ野球選手が生まれています。
OB会を束ねている小島一茂会長と吉岡寿樹副会長にも話を聞きました。2人は昭和の時代に甲子園に出場していて、今の選手にも甲子園の大舞台でプレーする醍醐味を味わってほしいと願っています。
小島会長
「子どもたちには今を精いっぱい、頑張ってほしいですが、OBとしては10年間、帝京が甲子園に出ていないのは寂しい。弱い帝京の姿は見たくない。ことしは金田新監督のもといいチームができているので期待しています」
前田前監督も時折、練習を見学するためにグラウンドに訪れ、エールを送っています。
前田前監督
「金田監督が指導しているので、長居はしないけど教え子が頑張る姿を見て元気をもらっています。帝京の看板を背負う重圧は相当かもしれないけど、金田監督のカラーを出して、また新しい帝京の形を作っていってほしい」
前田前監督にも「帝京魂」ということばについて聞いてみました。
前田前監督
「私が最初に帝京高校で野球部を立ち上げた時は、4人の部員からスタートし、グラウンドもサッカー部と共用でした。そのような恵まれない環境のなかで、環境の整った伝統校に絶対に負けられないという強い気持ちから、それぞれの世代の選手が勝利という結果を積み重ね、引き継いでいった伝統なのだと思います。私は監督時代、選手に『帝京魂』ということばは、安っぽくないぞと伝えたことがあります」
そのうえで…
前田前監督
「文字どおり『帝京魂』は心に宿るんです。きっと夏の大会に向けて猛練習に耐えてきた選手はプレーの随所でその魂を見せてくれると思います。それだけの準備を金田監督はしたと私は信じています」
帝京高校は東東京大会で6試合に勝てば、11年ぶりの甲子園となります。
金田監督
「夏は負けたら3年生は高校野球は終わりなので去年の秋や春とはまた違う重圧です。周囲の期待も大きいことはわかっています。でも帝京の伝統に縛られるのは、私だけでいいと思っています。選手たちは1日でも長く仲間と野球ができるように目の前の一戦一戦を大事に戦ってほしいですし、私も一日でも長く一緒にいられるように戦っていきたいです」

【取材後記】ユニフォームに込められたメッセージ

帝京高校のユニフォームといえば、縦じまに英語で「Teikyo」です。練習試合と公式戦でユニフォームを分けるチームもありますが、帝京高校はほぼ同じデザインです。

これは練習試合であっても選手に帝京の名前を背負う意味を考えさせたり、公式戦と同じような緊張感を持たせたりするような意図があるといいます。