20年ぶりに取り戻した声 ずっとあなたを呼びたかった

20年ぶりに取り戻した声 ずっとあなたを呼びたかった
「しゅんちゃんー。しゅんちゃんー。うれしいー」
少しぎこちない女性の声。
それは、彼女にとって20年ぶりに自分の声を取り戻した瞬間でした。
喜びの涙を浮かべる様子を近くで見守っていた夫。その目も涙でうるんでいました。
夫にとっては結婚して初めて妻に呼んでもらった自分の名前です。
いったん声を失った人が再び話せるようになること。
取り戻したのは声だけではありませんでした。
(ネットワーク報道部 馬渕安代)

生きるために声を失った

のどのがんで声帯を切除したり、病気のために気管切開をしたりして、声を失ってしまう人たちがいます。正確な統計はありませんが、のどのがんになった人の人数などから日本では年間約4000人が声を失っている、とする推計もあります。
東京・足立区に住む安平有希さん(40)もその1人です。

有希さんは18歳の時に神経系の難病、脳脊髄炎を発症。進行性の病気で、筋肉が硬直する症状などがあります。現在、自力で動かせるのは右手など一部に限られ、24時間の介護が必要です。

本来の自分の声を出せなくなったのは、およそ20年前、気管切開して人工呼吸器を使い始めてからでした。
歌が大好きで、いつも歌を口ずさみ、静かにしている時があれば、家族から心配されるほどだったという有希さんにとって、自分の声が出せなくなってしまうことは大きなショックでした。
有希さん
「病気になった時には、とにかく生きるために気管切開をしなければならないということだったので、まさかこんなことになるとは思いませんでした。話すことができないのはもちろん、声が出ないということは歌うことができないということなので、すごく悲しい気持ちでした」

話せなくなってから出会った夫

有希さんは、小学校ではハンドボールに打ち込み、体調を崩しがちだった中学や高校時代も文化祭の実行委員会で活動するなど、活発な少女でした。
大学に入学する直前に病気になってからも、車いすで大学に通い、治療を続けながら大学を卒業しました。
ただ、病気になってからは家に閉じこもりがちになりました。

そんな有希さんに、8年前、大きな出会いがありました。
のちに夫となる俊(たかし)さん(57)と知り合ったのです。愛称は「しゅんちゃん」。
始まりは、有希さんが日々の出来事や思いをつづっていたSNSに、俊さんがコメントを書き込んだことでした。
文章でのやり取りを重ねるうちに少しずつ距離が縮まり、やがて毎日のようにスマートフォンを使って、オンライン通話をするようになりました。

でも、おしゃべりをすることはできません。俊さんの語りかけに、話すことができない有希さんは絵文字を使ったり、画面に向かって手話で使う指文字を示したりしてやり取りしました。

はじめ有希さんに結婚願望はほとんどありませんでした。病気のことを含め自分を理解してくれる人はいないだろうと思っていたからです。しかし、俊さんならありのままの自分を受け入れてくれる、という思いが強くなり、少しずつ結婚を意識するようになっていきました。

これからもずっとそばにいたい、2人なら乗り越えられると、俊さんからのプロポーズを受けて、7年前の6月、結婚しました。

もどかしい思い

しかし2人のコミュニケーションは試行錯誤の連続でした。

口の中の空気を舌などで押し出すことで生まれる「破裂音」を使った話し方では、周囲の人は、口の動きや、わずかに聞こえる音で有希さんがなんといっているか聞き取ろうとします。しかし、長年サポートしてくれているベテランの介護者にはわかっても、俊さんにはなかなか伝わりません。外出中、周囲が騒がしいときなどはなおさら聞き取るのは難しくなります。
透明な文字盤に書かれた50音順のひらがなに視線を向けて、1文字1文字伝えていく方法も試しました。有希さんがどこを見ているか俊さんが判断し、1文字ずつ読み上げていきますが、時間がかかります。俊さんが途中で文章を忘れてしまうこともあり、有希さんが会話そのものをやめてしまうことも珍しくありませんでした。

2人は、隣にいるにもかかわらず直接のやり取りを諦め、スマートフォンでメッセージを送ることもありました。

日常会話だけでなく、相手を想う気持ちを伝えたい時も、間接的にしか伝えられないことは有希さんにとって、想像以上にもどかしいことでした。

その気持ちは俊さんも同じで、言いたいことをわかってあげられないことに申し訳なさを感じていました。
俊さん
「この言い方だと伝わるだろうといろいろな言葉で試したり、根気強く何度も同じ言葉を繰り返してくれたりするんですが、わかってあげられない。『もういい』って有希が怒る時もありましたが、あとで考えてみると悲しかったんじゃないかなと。僕が苦しいと思っている以上に有希は苦しんでいたと思います」
2人のコミュニケーションを劇的に変えたのが、去年11月から使い始めた発声を助けてくれる新たな装置でした。
冒頭のシーンは、初めて有希さんがその装置を口の中に入れて「話した」時の様子です。
有希さんが20年ぶりに発した言葉は、ずっと直接呼びたいと思っていた夫の愛称でした。
俊さん
「結婚から6年半。ぼくにとっては初めて聞く声で、1番に自分の名前を呼んでもらって少し泣いてしまいました。耳で聞く言葉には、重みがあるというか、魂がこもっていると感じました」

声を失った人たちを支援したい

この装置を開発したのは、東京医科歯科大学の研究チームです。
声を失った人のために、なんとか簡単に話すことができる装置を作りたい。
歯科医で嚥下障害の治療が専門の戸原玄(はるか)教授が10年以上前から構想を練り、大学院生の山田大志さんが、2年前に試作品を作り上げました。
戸原教授
「ふだん診ている嚥下障害のある人たちは、気管切開するなどして声を失った人も多いんです。口は動くのに話すことを諦める人をたくさん見てきて、ずっと何とかしたいと思っていました」

声を出すには

そもそも人はどうやって声を出しているのでしょうか。
声はのどの奥にある「声帯」というヒダを、吐く息で震わせることで出すことができます。
そこでは、「あ」と「お」の中間、どちらかというと「お」に近いような声の元となる原音が作り出されます。そして、舌や口全体をさまざまに動かすことで、その原音は、「あいうえお」といった音に変化し、言葉になる仕組みです。

一方、有希さんのように、気管切開で気管と食道が分断された場合は、声帯を震わせることができなくなります。がんの手術などで声帯を切除した場合も同じです。
現在、声を出せなくなった人の間で、最も普及しているのは「電気式人工喉頭」という手のひらサイズの棒状の装置です。
声の元となる音が出ている装置を、首に押し当て、先端が振動することでのどの内側の空気を震わせ、声帯が出す原音の代わりにします。
ただ、のどにうまくあてるのが難しく、コツをつかまないと、機械の音が直接ノイズとして聞き手に伝わってしまうのが弱点でした。

また食道を使って空気を出し、音を出す方法もありますが、これも難しく、誰でも習得できるわけではありません。

ボイスレトリーバーとは

一方、開発された装置は、口の中で音を鳴らすためノイズが入りづらく、口を動かすことができれば話すことが可能です。
この装置を使うためには、まずあらかじめ声の元となる原音に近い「おー」という音を録音しておきます。

歯形にあわせて作ったマウスピースにはスピーカーが組み込まれています。録音再生機(音源)とそのスピーカーがつながっていて、口の中でその原音を鳴らします。

その原音は、舌や口全体を動かすことで、「あいうえお」などにかわり、言葉を話すことができます。話す時だけ、自分のタイミングでボタンを押して音を再生する仕組みです。
装置は「Voice Retriever(ボイスレトリーバー)」と名付けられました。「声を取り戻す」という意味が込められています。

研究室では、3Dプリンターを駆使し、電気店で買ってきた部品を1つ1つ組み合わせながら作っています。試作品はほぼ完成に近づき、これまでに声を失った人、およそ50人に提供されました。

話すことで“意欲を取り戻す”

東京・小平市に住む松平文朗さん(83)も、のどのがんで、3年前に声帯を切除する手術を受けて声を失いました。
松平さんは声を失うことをおそれ、いったん決まっていた手術の日程を8か月間延期しました。その後、家族の説得などを受けて、最終的には手術を受けることを決断しました。
「電気式人工喉頭」の講習会に参加しようと考えていましたが、新型コロナウイルスの感染が広がり、習得を断念せざるをえませんでした。

それから、松平さんは筆談に頼る生活になりました。
妻に伝えたいことがある場合は、そのつど、紙に文字を走らせます。しかし時間がかかり、意思疎通が十分できない生活は思っていた以上に不便なものでした。

病気をきっかけに、70代後半まで続けてきた歯科医の仕事はやめました。それまで社交的で話し好きな性格でしたが、話せなくなったことで外出の機会は激減し、自宅で静かに過ごす日が増えました。
声を失ったことについて筆談でこたえてくれました。
松平さん
「私のパワーがほとんどなくなった気がしました」
もう一度意欲を取り戻したのはボイスレトリーバーのことを人づてに知ってからです。
5月、東京医科歯科大学で実際に装着してからは、衰えた口の動きを取り戻そうと、1日3回、30分を目標にトレーニングを続けています。

実際に利用を始める前は「期待半分、心配も半分だった」という松平さん。しかし装置を使って再び話せるようになり、笑顔を取り戻しました。
松平さん
「もっと話せるようになったら遠方に住む友人と電話で話をしたいです。諦めていた『電気式人工喉頭』にもいつかチャレンジしたい」

歌う喜びを再び

20年ぶりに声を取り戻した安平有希さん。生活は大きく変わりました。
有希さん
「今まで20年間声が出せない生活だったので、その分を取り戻したくらいにしゃべれることがうれしいと感じました。私がいつまでしゃべれるのか、もちろん分かりませんけど、できるだけ話すことで夫との2人の時間を大切にしていきたいと思います」
今、有希さんの毎日の楽しみとなっているのが、離れて暮らす母親とのオンライン通話です。

以前は「はい」か「いいえ」で答えられる簡単なやり取りしかできませんでした。込み入った話をしたい場合はかすかに聞こえる「破裂音」を使って、介護者に通訳をお願いしていました。
今は、プライベートなこともはばかることなく自分で伝えられ、言葉のキャッチボールができることに喜びを感じています。

そしてもう1つ、有希さんの中で大きな変化がありました。

声を失ってから、以前は大好きだった歌は二度と歌えないと諦め、心の中でも歌を口ずさむことはなくなっていました。
しかし再び自分の声で歌うことができるようになるかもしれない、という期待は、有希さんが日々を過ごす上で大きな力となっています。
有希さん
「声を取り戻したことで、いつか歌える日も来るんじゃないかと心の中で歌を歌うようになったんです。自分の楽しみを復活させることができたんです。声を取り戻すというのは、人生を取り戻すことだといっても過言ではないと思います」
研究チームは、今後、声質の改善や、抑揚をつけられようにするなどさらに改良を重ね、早ければ1年後の製品化を目指しています。

現在、研究室では新たな試みが行われています。ボイスレトリーバーと開発中のスマートフォンのアプリをつないで、声の大きさや高さを変えることができないか調整を進めています。
うまく活用すれば、言葉に抑揚がつき、歌を歌うこともできそうです。

有希さんの夢がかなう日はすぐそこまで来ています。