どうなる?サハリンプロジェクト プーチン大統領令の衝撃

どうなる?サハリンプロジェクト プーチン大統領令の衝撃
北海道・稚内市の北わずか43キロにある島・サハリン。ロシア極東の島には総額3兆円を超える巨額資金が投じられ、石油・天然ガスの生産が行われています。日本もこの島での開発事業に深く関わり、多くのエネルギーを調達しています。6月30日、ロシアのプーチン大統領は、その石油・天然ガスの開発プロジェクトの1つ、「サハリン2」について事業主体をロシア企業に変更するよう命じる大統領令に署名し、日本に衝撃が走りました。ロシアの真のねらいは何なのか、日本経済への影響はどれぐらいなのか、緊急報告です。(経済部記者 山根力 五十嵐圭祐 西園興起)

※3月8日に公開した記事をもとに最新の情勢を取材して加筆、修正しました。

信じられない

「信じられない。契約によって投資したものを何の理由もなく国有化するようなことをもし本当にやるのであれば、将来、ロシアに投資をしようという民間企業はほとんどいなくなってしまう」
長年、現日本製鉄の経営者としてグローバルビジネスに携わってきた日本商工会議所の三村会頭は、7月1日午後、記者団にこのように語り、驚きを隠しませんでした。

サハリン2 無償譲渡せよ

ことの発端はロシアのプーチン大統領による大統領令への署名です。

極東サハリンで行われている石油・天然ガスの開発プロジェクト「サハリン2」について、事業主体を、政府が新たに設立するロシア企業に変更し、その資産を新会社に無償で譲渡することを命じる大統領令に6月30日、プーチン大統領が署名したというのです。

大統領令では、開発に関する契約の義務違反があり、ロシアの国益や経済安全保障に対する脅威が生じたと主張し、ガスプロムを除く株主は、1か月以内に、ロシア政府の条件に同意するかどうかを通知する必要があるとしています。

サハリンでのエネルギー開発の歴史

サハリンの石油・天然ガス開発と日本は深いつながりがあります。地理的には北海道のすぐ北にある南北800キロの細長い島で、戦前は南半分が南樺太と呼ばれ、日本の領土でした。

この大型のエネルギー開発プロジェクトの起源は1970年代にさかのぼります。

第1次オイルショックで大きな打撃を受けた日本は、政府が関わる形でエネルギーの安全保障上の観点から、原油の中東依存を脱却する道を模索し始め、その候補地の1つにサハリンを選定したのです。

中東と比べて地理的にはるかに近く、輸送コストを抑えられるという大きなメリットがありました。

2つのプロジェクト

その後、旧ソビエトは崩壊し、ロシアになっても開発は続けられ、2つのプロジェクトが本格稼働します。

サハリン1とサハリン2です。
サハリン1にはアメリカの石油メジャー「エクソンモービル」やロシアの国営石油会社「ロスネフチ」とその子会社、インドの国営石油会社が加わっています。

日本勢は政府が50%を出資する「SODECO・サハリン石油ガス開発」に大手商社の「伊藤忠商事」と「丸紅」、「石油資源開発」などが参加し、この会社を通じてプロジェクトの30%の権益を保有しています。主に石油を生産し、日本や中国、韓国などアジアに輸出しています。

サハリン2は事業主体が合弁の「サハリンエナジー」社。この会社にロシアの政府系ガス会社「ガスプロム」が50%、石油メジャーの「シェル」が27.5%、日本からは大手商社「三井物産」が12.5%、「三菱商事」が10%を出資しています。

天然ガスを南部にある施設まで運び、LNG=液化天然ガスにして日本などに輸出しています。

JOGMECによりますと、日本が輸入する原油のうち、サハリン1の原油が占める割合は1.5%(2021年)、一方、輸入するLNGのうちサハリン2が占める割合は7.9%(2021年)だということです。

欧米石油メジャー相次ぐ撤退表明

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて、サハリン2に参加しているイギリスの大手石油会社シェルは、2月28日に撤退を表明。
シェルがサハリン2から撤退を表明したのに続き、日本時間3月2日午前にはサハリン1を主導するエクソンモービルがロシアによるウクライナ侵攻への対応としてサハリン1の稼働を中止し、撤退に向けた手続きを始めると発表しました。

衝撃はプロジェクトに関わる企業と関係省庁を駆け巡りました。

議論噴出

このとき、エネルギーを所管する資源エネルギー庁は担当者が緊急召集され、対応を協議。議論の焦点となったのはサハリン1と2の構成メンバーの違いでした。

サハリン2は日本勢は民間企業だけの参加ですが、サハリン1は政府が深く関わっています。

G7各国がロシアへの制裁を強化するなかで、政府が関与するロシアのエネルギー事業を続けて大丈夫なのかという意見が沸き起こったとある政府関係者は語ります。

サハリン2については発電所の燃料であるLNGを生産していることもあり、当初からエネルギー安全保障上、撤退することはありえないという意見が大多数でした。

一方、サハリン1はエクソンモービルというアメリカ政府とのパイプもある石油メジャーの決断だけに重く受け止めるべきだとの意見も出たということです。ある企業関係者も「ロシア・ウクライナの戦時中という過去に経験のない出来事。やめるとなってもしかたがないと思っている」と、難しい胸中を明かしました。

サハリン1について、アメリカと日本とでは立場が違うという見方を示す企業関係者もいました。

この関係者は「エクソンモービルからするとサハリン1は数あるプロジェクトの1つ。国際政治情勢や企業の評判を考えて撤退を表明したに過ぎない。しかし、日本はサハリン1から原油の供給を受け、中東に依存しない場所に権益を持っているというのは非常に重い意味がある」と話していました。

別の関係者は仮に撤退という道をたどると参加企業は株式や権益を誰かに売らないといけないが、果たして売れるのかと疑問を投げかけます。そして二束三文でたたき売ることになれば企業価値を損ない、株主からの代表訴訟リスクにさらされ、それは企業としてとても耐えられるものではないと力説します。

この当時、政府内や企業のあいだで、議論が重ねられ、両方のプロジェクトともすぐに撤退を決めることにはならない方向で落ち着きました。

しかし、突如、大統領令という形でサハリン2の無償譲渡を迫られ、政府内も関係する企業も情報収集に追われています。

冬の電力ひっ迫引き起こしかねない

今後、焦点となるのは日本の大手商社の出資やLNG=液化天然ガスの輸入への影響です。

「サハリン2」で生産されるLNGのおよそ6割は日本の電力会社とガス会社が長期契約で購入しています。ある政府関係者は、仮に新たに設立されるロシア企業から大手商社が締め出されLNGの輸入に支障が出れば電力の需給がさらにひっ迫し、特に冬の電力供給に深刻な影響を及ぼすおそれがあると指摘しています。
日本は東京電力管内で4日間の電力需給ひっ迫注意報を経験したばかりです。経済産業省によれば、冬の電力需給はさらに厳しいものになると予想されています。

電力供給の余力を示す「予備率」は安定供給に最低限必要とされるのが3%。

しかし、東北と東京では来年1月が1.5%、2月が1.6%と、3%を下回る厳しい状況です。

また、中部、北陸、関西、中国、四国、九州でも、1月が1.9%、2月が3.4%となっています。

この予想はサハリン2からのLNGが通常どおり届くことが前提になっています。

踏み絵を迫る?

ロシア側の真のねらいは何なのでしょうか。大統領令は冒頭で「ロシアに対する制限的措置を科すことを目的とした、非友好的かつ国際法に反する行為に関連し、ロシアの国益を守る」としています。

ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアに対して、欧米とともに制裁を強める日本側に揺さぶりをかけるねらいもあるとみられています。
ロシアの有力紙「コメルサント」は7月1日付けの電子版の記事で「プロジェクトに参画する外国企業に踏み絵を迫るものだ」と伝えています。

日本の政府関係者の間では、ロシアがヨーロッパでパイプラインガスを武器に使っているように、日本に対してもLNGを武器に使い始めたのではないかという見方も出ています。新たに設立されるロシア法人から日本企業を締め出せば、供給量をロシア側が自由にコントロールすることができるようになるというのです。

また、別の政府関係者は仮に株式をロシア法人に譲渡したとして、日本の電力会社やガス会社が新ロシア法人と新たな契約を結び直さなければならなくなることを警戒しています。

そのときの契約は前の契約と同じ条件にはならない可能性が十分あり、価格のつりあげもありうるのではないかというのです。

国際エネルギー情勢に詳しい日本エネルギー経済研究所の小山堅 首席研究員も次のように分析しています。
小山首席研究員
「電力需給がひっ迫し、電力の安定供給が大きな課題になっている日本の状況を、ロシア側も当然ながら把握していると考えたほうがいい。そうした状況に対して、揺さぶりをかけてきたのではないか」

難しい局面続くか

エネルギー資源に乏しい日本がエネルギーの安全保障を確保しようとこれまで時間をかけて築き上げてきたサハリンの石油・天然ガス開発。

ロシアの軍事侵攻、制裁の応酬、そして横暴にしかみえない大統領令で今、大きな岐路に立たされています。
経済部記者
山根力
平成19年入局
松江局、神戸局、経済部、鳥取局を経て経済部
現在、商社業界を担当
経済部記者
五十嵐圭祐
平成24年入局
横浜局、秋田局、札幌局を経て経済部
現在、エネルギー業界を担当
経済部記者
西園興起
平成26年入局
大分局を経て経済部
現在、経済産業省や
エネルギー業界を担当