“逆風”の核兵器禁止条約 ロシア核の脅威の中 初の締約国会議

“逆風”の核兵器禁止条約 ロシア核の脅威の中 初の締約国会議
オーストリアの首都ウィーン。核兵器禁止条約に参加する世界各国の代表やNGOなどが集結し、6月21日から初めての締約国会議が開かれました。

去年1月に発効した核兵器禁止条約は、6月28日の時点で65の国と地域が署名・批准を終えた一方、アメリカやロシアなどの核保有国に加え、日本など核抑止に頼る安全保障政策をとる国は参加していません。

「核をもつ国が参加しない以上、核軍縮にはつながらない」

これまでそんな批判を受けてきた禁止条約は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻によって核の使用や核抑止論が盛んに論じられる中、これまでにもまして「逆風」にさらされています。

3日にわたる会議を通じて、どんな議論が繰り広げられたのか。現地でキーマンたちを取材しました。

(ウィーン取材班)

「誤った判断は核軍拡に」議長の危機感

初めての締約国会議の開幕を4日後に控えた6月17日の朝。ウィーン中心部にあるオーストリア外務省の奥まった執務室で、クメント軍縮軍備管理局長が迎えてくれました。

およそ20年にわたって軍縮問題に取り組み、核兵器禁止条約の成立にも中心的な役割を果たしたクメント氏。今回の会議でも議長を任されたベテランの外交官です。

図らずも、ロシアによる軍事侵攻によって核兵器の使用や核抑止をめぐる議論が盛んになる中で開催されることになった締約国会議。現状に強い危機感をにじませていました。
オーストリア外務省 クメント軍縮軍備管理局長
「核兵器がもたらす人道的な影響、核兵器を保有するリスクを理解すれば、核抑止などは幻想にすぎないかもしれないと気付くはずです。核兵器は安全を保障するための持続可能な手段ではありません。いま誤った判断をすれば、世界中に核兵器が増えてしまう」
会議の初日、クメント氏は議長席から、参加した各国に次のように呼びかけました。
クメント議長
「いま世界の核をめぐる議論はすべて間違った方向に向かっている。いま頼りになるのは私たちの条約だけなのです」
会議では各国の代表から、ロシアの核による威嚇に対する厳しい批判や、世界が再び核軍拡の方向へと進んでしまうことへの懸念が、相次いで表明されました。

いずれも、今こそ禁止条約の精神を守り、核軍縮の灯を絶やしてはならないという、切実な訴えでした。

揺れるオブザーバーの国々

締約国の傍らで存在感を示したのは、条約に署名・批准をしていない「オブザーバー」の国々でした。

当初の予想を上回る30か国余りがオブザーバーとしての出席を表明。中でも注目されたのは、アメリカの核の傘の下にあるNATO=北大西洋条約機構の加盟国でした。
ドイツやオランダの代表は会場で、NATOの核抑止政策のもとで条約には参加できないものの、『核なき世界』を目指す条約の目標は共有したいと、訴えました。
オブザーバーの席には、ロシアの隣国フィンランドの代表の姿もありました。

第2次世界大戦で当時のソビエトの侵攻を受け多くの犠牲を払ったフィンランドは、戦後一貫して軍事的に中立の政策をとってきました。しかし、ロシアによる軍事侵攻を受け、NATOへの加盟を申請。アメリカの核の傘に入ることで、ロシアの脅威と向き合う決断をしたのです。

それでもあえて締約国会議に出席したのはなぜなのか。

フィンランド外務省で軍備管理や軍縮を担当するヤルモ・ヴィーナネン大使が、私たちの取材に応じました。ロシアの脅威を前に核抑止力に頼らざるをえないとしながらも、核廃絶という最終的なゴールを目指す姿勢を示したかったといいます。
ヤルモ・ヴィーナネン大使
「アメリカやロシアといった核保有国が参加せず核廃絶の道筋も示されない中、今後も条約を批准する考えはありません」

「その一方で、アプローチのしかたは違っても、条約の締約国との間で核廃絶というゴールは一致しています」

「会議ではお互いの意見を聞くことで、共通点を模索することができました」
核廃絶という「理想」と安全保障の「現実」の狭間で揺れるオブザーバーの国々に対しては、締約国の多くも一定の理解を示したようでした。

国際世論に訴える・ICAN事務局長

世界が再び核軍拡へと向かわないよう国際世論に働きかけてきたもう1人のキーマンがいます。

禁止条約の成立に貢献しノーベル平和賞を受賞した、国際NGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンのベアトリス・フィン事務局長です。

「抑止力」の名のもとに核に頼り続ける世界を正当化していいのか。広島と長崎への原爆投下から77年となる今も、地球を何度も滅ぼせる1万3000発の核弾頭が世界に存在することは異常ではないのか。

いまこそ一人一人が考え直すべきだと、訴えてきました。
ICAN ベアトリス・フィン事務局長
「核保有国が存在し、核抑止に頼る安全保障政策をとる国がある現状を、当然だと考えるべきではありません。核抑止力が通用すると信じる国々の論理によれば、すべての国が核兵器を持つようになってしまいます。核の脅威に対する人々の激しい怒りや不安を、いかに政治的な力に変えていくかが問われているのです。『核兵器を持つことで問題を解決する』という各国政府の姿勢を、決して許してはならないのです」
ICANは会議にあわせ、世界各国の議員を招いて核軍縮の在り方を議論してもらう集会を企画。各国政府だけでなく、市民を代表する議員たちに意見交換をしてもらうことが、国際世論を動かすうえで欠かせないと考えたのです。

集会には、条約に参加していない日本やドイツ、ベルギーなど、10か国以上の議員の姿がありました。
ドイツの与党議員
「ほかの国の議員たちと議論し、情報を共有できるのはとても大切です」
ベルギーの与党議員
「NATO加盟国として条約に参加してはならないという強い圧力を受けている。それでもいつか、条約に署名・批准できる日がくることを望んでいます」
ベアトリス・フィン事務局長
「核兵器の問題は、民主的な場で議論し情報を共有することが大切です。各国の国政に関わる議員を招いて、禁止条約をめぐり何が起きているのか、他国の政府はどのように考えているのか、その全体像を確認する。国境を越えた協力体制を築くことが、核問題の解決に役立つと思っています」

条約に寄せる被爆者の思い

会議の会場には、各国の外交官やNGOとともに、広島や長崎からかけつけた被爆者たちの姿もありました。
「私たちは長く続くがんなどの病気への不安から解放されて穏やかな時間を過ごせたことはありません。私たちの子孫に放射能の影響がないことを願います」
長崎の被爆者で医師の朝長万左男さん(79)。2歳の時に爆心地から2.5キロ離れた自宅で被爆。自宅は半壊したものの、朝長さんは幸い無傷ですみました。

幼かったため、当時の記憶はありませんが、物心がついた4歳、5歳のころに見た荒廃した長崎の記憶は、今も忘れることができないといいます。

同世代の被爆者の間で白血病の患者が増えるのを目の当たりにして、医学の道を志しました。被爆者たちの多くは、まず白血病を発症し、その後はさまざまな臓器のがんを発症するようになったといいます。

朝長さんは治療や研究の傍ら、被爆者たちの生涯にわたる苦しみを伝えようと国際舞台でも発言を続け、禁止条約の成立も後押ししてきました。

会議では、条約に寄せる被爆者の思いと、いまなお多くの国が核抑止力に頼る現状への懸念を訴え、会場からひときわ大きな拍手を受けました。
朝長万左男さん
「被爆者は高齢化する中、条約が発効したことをとてもうれしく思っています。しかし、9つの核保有国と30をこえる国が、核の傘に頼っている事実、唯一の戦争被爆国の日本がアメリカの核の傘の下にある状況を、残念に思います。核兵器国も禁止条約に参加するよう、最大限の圧力をかけなければなりません」
会議での発言を終えた朝長さんはいつになく高揚した様子で、条約への国際的な理解が広がることに、期待をにじませていました。
朝長万左男さん
「締約国会議には核兵器国や日本は参加しませんでしたが、オブザーバーの国がある程度参加したので、それなりによいスタートを切ったのではないかと思います。第1回の締約国会議は成功だと思います」

被爆者の思い受け継ぐ若者

締約国会議に先立ちICANが開いたフォーラムでは、世界各国の若者たちのなかに、日本の大学生の姿もありました。
高橋悠太さん。2分半のスピーチで、交流のあった広島の被爆者が去年、亡くなったことに触れ、こう訴えました。
高橋悠太さん
「被爆者から直接話を聞ける、最後のチャンスです。いま被爆者の体験を継承しようとしなければ彼らの思いを未来につなげることはできません」
広島県福山市で育ち、中学生のころから部活動を通して被爆者から証言を聞き取り、核兵器廃絶を求める署名を集めてきた高橋さん。
高橋悠太さん
「私自身多くの被爆者の方と出会ってきたので、その思いを伝えたい。同時に、私たちはいま1万3000発もの核兵器のある時代に生きています。私自身も、核兵器の問題の当事者なわけです」
高橋さんがなにより違和感を感じたのは、締約国会議に日本から多くの被爆者やNGOが参加したのに対し、日本政府はオブザーバーとしても出席しなかったことでした。

前日に同じ会場で開かれた核兵器がもたらす人道的な影響について議論する会議には出席していた日本政府の代表に、高橋さんは詰め寄りました。
高橋悠太さん
「日本に締約国会議にオブザーバー参加をしてほしいという署名を集めまして、この3日間で2万1065も集まりました。これについてはどう受け止めますか」

外務省担当者
「核兵器というのは、保有国の協力がないと減らせず、保有国を核軍縮に関与させるよう、努力する必要があります。8月1日から始まるNPT再検討会議でそのような努力をします」
日本政府代表が去ったあと3日間、会議を傍聴した高橋さん。これからも活動を続けていく決意を固めていました。
高橋悠太さん
「核兵器の廃絶って一進一退なんだろうと思う。立ち止まっちゃいけない」

「まだまだいばらの道は続くと思うけど、今回こうやって世界が協力できたという達成感は未来の力になるような気がします」

会議が残した成果は

3日間にわたった締約国会議では最終日、議長を務めたオーストリア外務省のクメント氏が2つの文書を各国に示しました。

1つは「核なき世界」の実現を国際社会に呼びかけ、条約の参加国を増やす努力をするという「ウィーン宣言」

もう1つは、核保有国との対話を進め、被爆者や核実験の被害者の救済に向けて各国に法整備を促すなどの具体的な取り組みをまとめた「ウィーン行動計画」です。
文書が採択されると会場から大きな拍手があがり、差し迫った核の脅威を前にしても核廃絶に向けた決意は揺るがないという、各国の思いが伝わってきました。
クメント議長は閉幕後の記者会見で、「逆風」の中でも会議に予想を上回る数の国や関係者が参加し、率直な議論が繰り広げられたことで、条約の重みが証明されたと話していました。
クメント議長
「各国が協力して成果を上げ、条約に懐疑的な国も議論に参加したことが重要です。今後は条約を軽視することが難しくなるでしょう。各国は核兵器による人道上の影響やリスクについて国際社会全体にとって極めて重大な問題であることを提起しました。これまで懐疑的だった人たちもそれを認め、いまこそ問題の解決に関わるべきです」

国連が案じる核軍縮の行方

今回の会議に続いて8月1日からはニューヨークの国連本部で、世界の核軍縮の方向性を決めるNPT=核拡散防止条約の再検討会議が始まります。

新型コロナの感染拡大の影響で再三延期され、今回は7年ぶりの開催です。

核兵器禁止条約は核の保有、使用などをすべて禁じる条約ですが、NPT=核拡散防止条約は核保有国も参加し、保有国に対して核軍縮に取り組む義務を課しています。

国連の軍縮部門のトップを務める中満泉事務次長は、2つの条約が対立することなく、現実的な核軍縮に向けてともに補完しあっていくべきだと、考えています。
国連 中満泉事務次長
「核軍縮は禁止条約だけで達成できる単純な構図ではありません。NPTは核兵器保有国に法的拘束力をもって核軍縮を課している唯一の条約で、核軍縮の全体のレジームの中で非常に重要です。今回の締約国会議で国際世論を喚起しながら、核保有国をプッシュするような形で、できるだけ早く核軍縮を進められれば」
実は前回の再検討会議は、合意文書をまとめられず決裂。その後7年間、世界の核軍縮をめぐる統一した方針は存在しなかったのです。

ロシアが核戦力を用いた威嚇を行い、北朝鮮も核・ミサイル開発へと突き進むいま、会議が再び決裂すれば世界が核軍拡の方向へと転じてしまうかもしれない。

中満事務次長は、各国を歩み寄らせるため全力を傾けようとしています。
中満泉事務次長
「今回の再検討会議が、空中分解してしまうように、各国の対立関係があからさまになってしまうと、やはりNPTは難しいんだな、なかなかNPTの枠組みの中で核軍縮を進めていくのは難しいんだな、という認識が強まってしまう。これは避けなければいけません」

「歴史をみてみると何か大きな危機があったあと、安全保障や国際的な合意を新しく作る一つの機会が出てくるわけです」

「いま国連全体のキャッチフレーズは『諦めてはならない』です。ウクライナ情勢の非常に難しい状況の中でも、みんなで考えていかないといけません」
核兵器禁止条約の締約国会議に続いて8月に開かれる、NPT再検討会議。会期中には、被爆から77年となる広島・長崎の原爆の日も迎えます。

唯一の戦争被爆国・日本が、世界の核軍縮のためにどのような役割を果たすことができるのか、これまで以上に問われることになります。
ヨーロッパ総局記者
古山 彰子

2011年入局
初任地広島局で核問題の取材を始め、ICANやクメント氏を継続取材
国際部を経て現在はパリを拠点にフランスや国連などの取材を担当
World News部記者
吉田 麻由

2015年入局
金沢局、長崎局を経て、去年11月から現職
長崎では、高齢化する被爆者の声を伝え、ローマ教皇の訪日など、核軍縮をめぐる国際的な動きも取材してきた
長崎放送局記者
小島 萌衣

2015年入局
沖縄局を経て長崎へ
原爆関連の取材を担当
広島放送局記者
石川 拳太朗

2018年入局
初任地が広島局で被爆者や旧日本軍など戦争について継続して取材
広島放送局ディレクター
平安山 絢可

2018年入局
沖縄県出身
首都圏局をへて広島放送局
新型コロナウイルス、貧困問題を取材
アメリカ総局記者
矢野 尚平 

1999年入局
岡山局、秋田局、国際部、ソウル支局
現在はアメリカ総局(ニューヨーク)で国連担当