「お母さんが笑うと子どもは楽しい」~難病のわが子と歩む~

「お母さんが笑うと子どもは楽しい」~難病のわが子と歩む~
とびきりの笑顔で太鼓をたたく女性たち。難病の子どもの母親たちで作る和太鼓奏団「ひまわりのやうに」のメンバーです。

グループ名には、「ひまわりのように上を向いて、笑顔で力強く生きる」という思いが込められています。

難病を患う子どもを育てながら、病院と家を往復する日々。社会から孤立していると感じて、一度は笑顔を失ってしまった人も少なくありません。

月に一度だけ集まり、同じ思いを持つものどうしがつながることで、励まされ、気づかされ、笑顔を取り戻していったと言います。

そんな彼女たちの演奏会が開かれると聞いて、カメラを回してきました。

(映像センター カメラマン 竹岡直幸)

私たちにしか出せない音がある

演奏会は、京都市内にあるホテルのロビーで開かれました。

観光客など60人ほどが集まる中、メンバーの一人、森本純子さん(46)は、こう語りかけました。
和太鼓奏団「ひまわりのやうに」 森本純子さん
「14年前、私は495グラムの小さな小さな男の子を産みました。息子は目が見えず歩けません。いろいろな病気や障害を抱えています。それでも初めて手を握ってくれた日、初めて笑い声が聞けた日、全部が記念日でした。当たり前にできることができなくても、息子のペースで成長していると感じることがうれしいと思う日々です。私たちはプロでもない、ただのお母ちゃんですが、私たちにしか出せない音があると思っています」
スピーチを終えると、純子さんのかけ声にあわせて黒い衣装をまとった6人の母親たちは、演奏を始めました。

「よっ!」

高速で打ち鳴らしても一糸乱れぬリズム、バチを高く突き上げて、一音一音、魂を込めて鳴り響く太鼓の音。
力強く生きる「母親たちの鼓動」を感じたのか、観客は、躍動する母親たちから目をそらすことなく、その姿と太鼓の響き渡る音に引き込まれているように見えました。
演奏を聴いた観客
「いろいろな思いを抱えていると思いますが力強い笑顔が印象的でした」

「笑顔の裏にある、お母さんたちの思いを感じることができて、目を離せませんでした」

母として最初の仕事ができなかった…

「おなかから朝ごはんいくで。あったかいの、いくよぉ」

大阪府東大阪市で暮らす純子さんの1日は、優しく声をかけながら、わが子の胃につながっている管にペースト状にした食事を流し込むことから始まります。

長男の琉久(りく)さん(15)は、「未熟児網膜症」や「水頭症」、「点頭てんかん」など複数の病気を患い、目は見えず、ことばを話すことや、歩くこともできません。

早産でうまれた琉久さんは、体重が495グラムしかなく、呼吸もしていませんでした。
懸命な処置で、なんとか一命をとりとめましたが、小さな体には無数の管がつながれ、退院するまでの8か月で7回の手術が必要でした。

保育器の中のわが子を見つめながら、純子さんは、おなかの中で子どもを育てる“母親としての最初の仕事”を全うできなかったと自分を責め続けたといいます。
森本純子さん
「本当だったら、おなかで育ててあげないといけないのに、なんで早くうまれてきちゃったんだろうって。なんか自分、悪いことしたんちゃうかなとか。あの時、かぜをひいたからかなとか。ほかのお母さんたちは授乳しているのに、私にはそれすらできなくて。あの時期は、相当つらかったです」

病院と家を往復する日々 社会から孤立

退院してからも医療的なケアが必要な琉久さんの付き添いで病院と家を往復する日々が続きました。

家でも頻繁に発作が起きるため、純子さんは、24時間、琉久さんのそばを離れることができませんでした。
夫も協力してくれましたが、琉久さんが小学校に通う年齢になると、ヘルパーなどの支援体制を整えてもらうために教育委員会への働きかけが必要になるなど、さらに対応することが増えました。

このころの純子さんにとっては、琉久さんと家族が世界のすべてだったと言います。
森本純子さん
「自分軸というのがほとんどなく、子どものため、家族のための時間がほとんどでした。今まで仕事をしていたので、仕事をしていないとよけいに社会と切り離されているように感じました」

咲かせたい ひまわりのような笑顔を

「子どものケアによって社会から孤立する人をなくしたい」

和太鼓奏団「ひまわりのやうに」は、こうした思いで7年前に結成されました。
グループを立ち上げた大住力さんは、難病の子どもがいる家庭を支援する団体で代表を務め、これまで1000近くの家庭に関わる中で、笑顔を失っていく母親の姿を多く見てきたと言います。
「ひまわりのやうに」を設立した大住力さん
「自宅と病院の行き来が多くなる生活が続くと、愛するわが子のためとはいえ、どうしても笑顔が減ってしまう。母親の笑顔を守ることが、家族の幸せにつながるのではないかと思ったんです」
母親たちが、ふだん抱えている不安を忘れて一心不乱になれるものはないか。思いついたのが、和太鼓でした。
初心者でも始められ、自宅で子どものケアをしながら練習ができる和太鼓なら、同じような境遇の母親が集まってひとつの目標に向かって一丸になることができると考えたのです。

太鼓の音は、おなかの鼓動

結成メンバーを集める中で、大住さんは、純子さんに声をかけました。

琉久さんのために走り続ける姿を見て、張りつめた気持ちを解きほぐしたいと思ったからです。

純子さんは、琉久さんが少しずつ小学校に慣れ始めた時期で、まだまだ心配が尽きないことや、2歳だった次男の子育ても重なっていたことから、余裕がないと参加を断りました。

しかし、一度だけ練習を見に行った時に、和太鼓の指導者からかけられたあることばに、背中を押されたと言います。
森本純子さん
「『和太鼓の音は、お母さんのおなかにいた時の“鼓動の音”と共通するものがあって、お子さんもきっと太鼓の音を好きになりますよ』って言われたんです」
目が見えない琉久さんですが、耳はしっかり聞こえていて、「音」は琉久さんの世界そのものです。

純子さんはおなかの中で聞かせ続けられなかった「鼓動」を琉久さんに届けられるとグループに入ることを決めました。

月に1度の合同練習 12時間のシンデレラ

「ひまわりのやうに」を設立した大住さんは、メンバーのことを「12時間のシンデレラ」と呼んでいます。
全員が難病の子どもを育てている母親で、自分の時間を作ることが難しい彼女たちが、集まって練習できるのは月に1度だけ。

1か月のうち、移動や準備の時間も含めて12時間だけは、家や病院を離れて自分のために太鼓に打ち込み、主人公になってほしいという思いから、そう呼んでいるのです。

社会と切り離されたと感じていた純子さんも、和太鼓と出会って社会とのつながりを実感できるようになったと言います。

以前は、家での子どもの世話と、病院や学校への送り迎えが生活のすべてでしたが、演奏会のステージに立つようになった今は、「病気や障害があっても一生懸命に生きている子どもがいる」ことを多くの人に伝えられていると感じているからです。
大住さんは、「ひまわりのやうに」は、同じ思いを持つものどうしが集まり、互いに励まされ、気づかされることで母親たちが笑顔を取り戻す場になっていると考えています。
大住力さん
「分かち合える場所があるということが大事。ステージに立つときは髪をきれいにセットして衣装を着て、ふだんしないようなおめかしもします。誰かの拍手を浴びて、お母さんが輝いて主人公になることで彼女たちの笑顔が増え、それが家族の幸せにつながるのではないかと思います」

わが子のために一歩を

ことし3月中旬(2022年)、新型コロナウイルスの感染拡大以降、中止されてきた合同練習が久しぶりに開かれました。

再会を喜びあうメンバーたち。

そこに、小学生の女の子を連れた母親が見学に訪れました。
「中村ちひろです」

純子さんたちは母親の名前を聞くと、「ちーちゃん、デビュー!」とすぐにあだ名をつけて真新しいバチを握らせました。

とまどいながら太鼓の前に立つ、ちひろさん。

娘のちなつちゃん(10)は、その様子をうれしそうに見つめています。
3年前、ちなつちゃんは脳に腫瘍が見つかり歩くことも会話をすることも、ほとんどできなくなりました。

ちひろさんは、放射線治療の影響で以前と様子が変わってしまった娘のことを知られたくないと親しい友人とも連絡を取らなくなりました。

保育士の仕事も辞めて娘のケアに専念しました。
3年にわたるリハビリで、ちなつちゃんは箸を使うことや、絵を描くこと、歩くことなど、少しずつできることが増えていきました。

そんな娘の姿を見て、ちひろさんは「私の考え方のせいで、ちなつを社会に出て行きにくくさせてしまっているかもしれない」と考えるようになりました。

こうした中、「ひまわりのやうに」の存在を知ったのです。
中村ちひろさん
「私もメンバーの皆さんのように人前に出れば、ちなつも自然と一緒に人前に出ることになる。もう、こそこそしたくないんです。ちなつの将来のためにも、周りの人に病気のことをわかってもらいたい」
夫の宣朗さんは、娘のために一歩を踏み出そうとする妻を応援しています。
中村宣朗さん
「妻は娘の病気を受け入れるのが精いっぱいで、『楽しいことをしたらあかん』と思い込んでいる状態でした。でも、お母さんが泣いているより笑っているほうが、子どもも楽しいし、家族全員にとってすごく良いことです。だから同じような境遇のお母さんたちが一緒に何かに向かって頑張る場があるのは妻にとってすごく大きいと思います」
練習を見学して、ちひろさんは、「ひまわりのやうに」の雰囲気に安心感を持ったと言います。
中村ちひろさん
「娘の病気には触れず、『何も言わなくても大丈夫。わかっているよ』と言ってもらっているように感じました。前を向いて頑張っている人たちばかりでここならできると思いました」
ちひろさんは入団を決め、演奏会には観客として応援に駆けつけるとメンバーたちと約束しました。

その様子をじっと見ていたちなつちゃんに気持ちを聞いてみると、こう答えました。
中村ちなつちゃん
「力強く速く太鼓をたたく姿がすごくて、心に響いた。お母さんの好きなところは、笑顔で頑張っているところ」
そして迎えた演奏会当日。

会場にはちひろさんと、ちなつちゃんの姿がありました。
純子さんたちのスピーチを聞き、初めてその笑顔の裏にある思いを知った、ちひろさん。

演奏が始まるとちなつちゃんとのリハビリの日々を思い出し、涙があふれ出ました。

そして、ちなつちゃんを抱き寄せて、「すごいね」と語りかけ、いつか自分も同じ舞台に立って、娘と一緒に前を向いて生きていきたいという思いを強くしました。
中村ちひろさん
「母親がひとりの女性として活動することに意味があるという気持ちが太鼓にのせられていたように感じました。私が一歩踏み出すことはきっと家族にも良いことなんだろうなあと実感しました」

取材を終えて

明るく優しい笑顔、そして「私たちにしか出せない音がある」ということばが印象に残った今回の取材。

彼女たちは、重い病気や障害と闘うわが子を懸命に支え、日々、“いのち”と向き合い続けています。

メンバーの中には闘病の末、わが子に先立たれた母親もいます。

だからこそ彼女たちは「今を精いっぱい生きる」ことを大切にし、ひまわりのような笑顔を咲かせているのだと思います。

「一歩、前に進みたい」と思いながら、困難な状況を前に踏み出せないでいる人たちの背中を押す音。

それが、彼女たちにしか出せない音だと感じました。
映像センター・カメラマン
竹岡直幸
2011年入局
熊本局や福岡局などを経て現所属
熊本地震や豪雨災害を取材。
福祉分野の取材も続けている。