患者情報を把握する新システム導入へ 次の感染症に備え 厚労省

新型コロナの患者情報を国や自治体が把握するためのシステムが、当初十分に機能しなかったことから、厚生労働省はことし10月から新たなシステムを導入する方針を固めました。現在は医療機関や保健所が1件1件手入力しており、業務負担になっているほか、入力が滞り把握の遅れにつながったことから、手書きのファックスを自動で読み取ることなどを検討しています。

新型コロナの感染対策に生かすため、国は感染初期のおととし5月から「HER-SYS(ハーシス)」というシステムを導入し、患者の名前や年齢、発症日、症状などの情報を収集しています。

しかし、医療機関や保健所では患者1人に対して当初、およそ120項目を1件1件手入力する必要があり大きな業務負担になっていたほか、入力が滞り、感染状況の把握の遅れにつながっていました。新型コロナ対策を検証する政府の有識者会議も、対策のための根幹の情報が国や専門家に提供されず、デジタル改革の遅れは深刻だと指摘しています。

こうしたことを受け、厚生労働省は次の感染症に向けた新たなシステムをことし10月から全国の自治体などに導入する方針を固めました。新たなシステムでは入力の負担を軽減するため、一部の情報は患者自身がスマートフォンで入力でき、感染を届け出る手書きのファックスを自動で読み取るOCRと呼ばれる技術の導入も検討しています。

厚生労働省は新型コロナでは感染が拡大した後にシステムを導入したため、十分に機能しなかったとして、あらかじめ導入することで次の感染症に対応したいとしています。

今のシステム リアルタイムで感染把握できず業務ひっ迫も

「HER-SYS」は、新型コロナの感染者の情報を一元的に管理するシステムで、国内での感染拡大を受けて厚生労働省が新たにおよそ2か月かけて開発し、おととし5月から全国で導入を進めました。

導入の目的の1つとして厚生労働省が掲げていたのが、全国の感染状況の「リアルタイムでの把握」です。

しかし、自治体への導入が進む中で集計機能の課題や、入力されたデータの誤りが相次いで見つかり、全国の感染状況を正確に分析できない状態が半年余りにわたって続きました。

また、医療機関がデータを直接入力できるため保健所の負担を軽減できるとされていましたが、当初は入力項目がおよそ120にのぼりました。

その後、現場の声を受け入力を求める項目は減らされましたが、医療機関から送られてきたファックスの情報の入力を保健所が迫られるケースも相次ぎ、業務がひっ迫する大きな要因になっていました。

東京 北区保健所 入力が追いつかないケース相次ぐ

このうち、東京都の北区保健所にはこれまでにファックスで送られてきた「発生届」が保管されていて、段ボール箱で数十個分に上っています。

「HER-SYS」が導入された当初、医療機関の入力の漏れや間違いが多くみられたため、保健所の職員が別途ファックスで届いた「発生届」をもとに修正したり、改めて患者から聞き取ったりして入力するしかなかったということです。

ただ、当初は入力を求められる項目がおよそ120項目と非常に多く、すべての項目を入力するためには1人分で30分ほどかかるということで、患者の健康観察や入院調整などの業務と並行して行うのは非常に負担が大きかったということです。

さらに感染者数が増えると業務がひっ迫し、入力作業が追いつかないケースが相次ぎましたが、当初は国などからは、どの情報を優先して入力するべきかといった指示がなかったため、可能な範囲で入力を続けるしかなかったということです。

この保健所によりますと現在は「HER-SYS」の入力項目が減ったこともあり、多くがそれぞれの医療機関で入力されているということです。

北区保健所の前田秀雄所長は「国として知りたい情報がどういったもので、最低限入力が必要なデータはなんなのかということについて、国と保健所のコミュニケーションがとれていなかった。全体として新たな感染症に対する備えができていなかったという問題の一端ではないか。新しい病気なので調整が必要になるのは当然だが『この項目が感染症対策に必要だ』ということについて議論と判断を事前にしておくべきだったのではないか」と話していました。

国の研究班 感染拡大前から別のシステム開発も導入されず

国の研究班は新型インフルエンザなど過去の感染症の教訓を踏まえ、新型コロナが国内で感染拡大する7年前の2013年からHERーSYSとは別のシステムの開発を進めていました。それが「症例情報迅速集積システム=FFHS」です。

開発の基本的な考え方は現場の負担を最小限にしながら、必要な情報を正確かつ効率的に集めるというものです。

例えば従来の方法では感染者が出た場合、保健所は医療機関からファックスで感染の発生届を受け、パソコンに入力しなければなりませんでしたが、このシステムではファックスの手書きの文字をOCRと呼ばれる技術で読み取りデータとして自動で登録できます。

また、HER-SYSでは感染者についておよそ120の項目の入力を求めていましたが、このシステムではどの情報が必要かについて自治体などと議論を重ね、患者の年齢、性別や発症日、症状など最小限の18項目に絞っています。

こうした情報は各自治体がリアルタイムで閲覧でき、情報共有に必要な業務の負担を減らすことが期待されていたということです。

さらに研究班では、2013年からこのシステムを実際に運用してパンデミックの発生を想定した演習を、毎年、複数の自治体と行ってきたということです。研究班によりますと新型コロナの感染拡大が始まったおととし2月、システムを新型コロナ向けに改修するよう、厚生労働省からメールで指示を受けたということですが、それ以降、連絡はなく、システムが導入されることはありませんでした。

厚生労働省の元技官で、研究班でシステムの開発を担当した北見工業大学の奥村貴史教授は「過去の教訓にもとづき、現場で起きる課題の解決を念頭に準備してきたので、もし導入されていれば、現場の負担軽減などが実現し、国内最初の感染者からパンデミックの最後に至るまで、患者の情報を全国で効率的に集約することができていたと思う。今回、過去の教訓を生かすことができなかったのは、経験などを継承する力が組織として失われていることが原因の1つではないか」と指摘しています。

研究班のシステム 北海道では導入され成果

研究班が開発したシステムは、北海道で新型コロナに対応するシステムとして導入され、成果をあげています。

北海道は開発時に演習訓練に参加していたことなどから、去年8月から研究班のシステムを導入し、道庁と道が管轄する26の保健所の間で、患者情報を共有するためのデータベースとして運用しています。

道によりますとHER-SYSでは患者の情報共有が効率的にできないことから、表計算ソフトに入力して管理していましたが、保健所に頻繁に確認する必要があり、現場の負担が大きかったということです。

研究班のシステムでは基本的な情報に加えて
▽患者の状況や
▽ワクチンの接種歴
▽感染経路
▽変異株の種類といった、自治体が感染対策を検討するうえで必要とする情報も確認することができます。

また、入力した内容がデータベースにすぐに反映されるため、迅速に情報を共有することができ、現在では道の施策を決めるにあたって必要不可欠なシステムになっているということです。

北海道保健福祉部の人見嘉哲技監は「HER-SYSは項目が網羅的なので、その内容をもとに保健所と情報共有したり、感染対策を考えたりはできていなかった。患者の人数は増えているのに研究班のシステムでは、現場の負担を減らすことができていて、以前とは状況が天と地ほどに違う。感染対策に取り組むうえで大事な基盤になっている」と話しています。

厚生労働省 研究班のシステムを把握せず

HER-SYSの導入に関わった厚生労働省の複数の幹部は、NHKの取材に対し研究班のシステムについて「報告を受けていないので把握していなかった」と話しています。

そのうえで、研究を所管していた厚生労働省結核感染症課は「HER-SYSの担当部署に研究班のシステムを共有したかどうかは、未曽有のコロナ対応に追われ記録を残していないため、明確に説明できない。ただ、研究班のシステムは全国で問題なく運用できると確認できなければ、そのまま導入することは難しかったのではないか」と話しています。

有識者会議の委員「事前に用意しておくべき」

新型コロナ対策を検証する政府の有識者会議の委員を務めた日本プライマリ・ケア連合学会の草場鉄周理事長は「危機が起きてから対応することはもちろん大事だが、平時から準備を積み重ねて危機が起きたときにすぐ移行できる体制づくりをしておくことが非常に重要だ。感染者情報の入力システムなどについても事前に用意しておくべきというのが大前提ではないか」と話しています。

また、国の研究班が、2013年から別のシステムを開発していたものの、今回、十分に活用されなかったことについては「新型コロナが実際に感染拡大したときに厚生労働省の担当部署からなぜ提言できなかったのか。長い時間をかけて準備されてきたものが、結果的に使われなかったということになるので、活用できないかの検討がなされたのか検証が必要だと思う」と指摘しています。